episode9 短期ホームステイ
今更言うまでもないかもしれないが、犬塚家には父親がいない。
曰く、輝君と昴君が生まれてすぐ『お空の向こうにいっちゃった』らしいので、そういう事だろう。
その割には仏壇も写真も何一つ痕跡がないが。まるで最初から居なかったように。
どういう人かは知らない。犬塚君はお父さんに関わるエピソードを全く話さないからだ。
裕美ちゃんも何も言わない。確実に何か事情があるのだろう。おそらく、仄暗い何かが。
なにがあったのか。気にならなくもない。
だが、犬塚君に特段聞いたりはしない。
だって、自分の事に話が及んだら困るから。
私だって自分のお父さんの事はよく知らないし。お母さんに至ってはまともに言葉を交わした事もない。
みんな、大なり小なり家庭の事情があるのだろう。多分。
全く幸福な家庭なんてあるのか。
孤独感や不安を抱えない人なんているのか。
いないだろう。自分だけが特別恵まれていない訳がない。そう思ってなきゃやってられない。
だから言わない。聞かない。近づかない。
私が他人と接する時の約束。不戦約定。
私は特別を作ってはいけない。
必ずその人を不幸にしてしまうと分かっているから。
だから犬塚君は危険人物なのだ。
何を仕出かすか分からない猿河氏より、たまに大胆不敵な行動力を見せる桐谷先輩よりも。
本音を言えば、これ以上近づきたくない。距離を置きたい。
決して嫌いではない。生理的に無理な訳でもないし、無闇に傷つけたい訳でもない。
むしろ、その逆だから困っている。
本当に本当に困っている。




