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[extra8 如月プラトニック]

杉田旭陽は女神である。


いや、生物学的には人間のはずなのだが、俺にとってはまさに女神。この世のすべてを統べる現人神。

そして俺の前世は彼女の従者。そして、現世でもひっそりと彼女の守護者をやっている。


つまり、彼女は前世からの主人というわけだ。

彼女が白と言えば黒いものも白くなり、崇めよと言われたら頭を垂れて深くかしづいてもいい。服従の証に靴先を舐めろと言われたら、舐める。喜んで舐める。


そして、今は何も命令は受けてないのさで出来る限り彼女を見守っている。


朝は乗り継ぎをしつつ彼女が登校に使う電車に自分も乗り遠巻きにその様子を確かめ、HRが始まる前に親衛隊メンバーと会議をしている彼女を教室のドアから観察し漏れ聞こえる声を一言一言胸に留めている。必要ならばメモを取る。彼女のクラスの授業の時間割は把握済み、既に頭に叩き込んでいて少しでも彼女に拝覧できるようスケジュールを組んでいる。昼休み、中庭で昼食を取っている彼女を見ながら心中でポエムをひねりながら自らも弁当を食す。腐れ猿河修司が彼女の隣でヘラヘラ女子を誑かしているのをとりあえず呪っておく。放課後、後ろ髪を惹かれるように駅まで彼女を見送り、その後また部活のたびに学校に戻る。


これがこの俺、如月圭吾の日常のルーチン。ほぼ杉田さんがいるから登校していると言っても過言ではない。


勘違いしないでほしいのはそこに邪な、例えば愛だの恋だのといったちゃらついた感情なんて持ってないということだ。だから、あわよくば…なんて思っちゃいないし、彼女が自分に特別な感情を抱いてくれるなんて期待していない。


だから。


だから!!


例え、二人っきりになったとしてもデレデレ浮かれたりしないし、調子こいて口説こうなんてさらさら思ってない。



「如月さんは、お休みの日って何してるんですか。やっぱりカメラ?」


暗闇の中、懐中電灯の光を頼りに肝試し。

隣には杉田さんのみという状況下。嫌ではない。決して嫌ではないけれど。


「あ、えっと概ねそうっすね…オフは電車とか、観に行ったり乗ったり撮ったり…」


緊張する。あらゆる汗腺から脂汗がにじみ出ていて多分明るい所で見たら間違いなくテカっているであろう謂わばカタツムリ人間。

なのに嬉しくてたまらないという矛盾。

彼女に存在を認識してもらえる事。口から溢れる宝石のような言の葉を、さもごく自然な会話であるかのように自分に投げかけてくれる事。右の二の腕に微かに人肌の雰囲気を感じる事。

それだけの事が震え上がるほど感動する。


「へぇ、電車ってこの辺のですか?」


「イ、イベントとかあれば結構遠出します。GWとかは、えーと、北海道とか行ったりしました…」


高校が夏休みに入ってすぐ、ひょんなことから杉田さんと泊まりで出かける事になって今に至る。

もちろん二人きりではない。猿河修司の親衛隊とそれと猿河本人。俺がいなかったら猿河のハーレム状態。そんな中に杉田さんを置いておくなんて恐ろしい。


「え、北海道まで!?嘘っ」


杉田さんは一年の猿河修司が好きらしい。

親衛隊を自ら作るほどに。猿川に近づく他の女子を排他するほどに。

自分が猿河修司より男として秀でているとは言わないが、俺からすればただの彫りの深いチャラ男だ。

しかも、お世辞には誠実とはいえない。他人の前では猫を被ってはいるが、鬼丸哀に対する所業を見る限りどこまでも自己中心的で平気な顔で恋人でもなんでもない女子にセクハラをかます変態。

そんな野郎の親衛隊の会長をしているなんて心配すぎる。弄ばれてボロボロになってしまう姿が容易に想像できる。猿河がその気になればそんなのいくらでも出来る状況を打破したい。


はやく杉田さんの目を覚まさなければ。この際、他の女子なんてどうでもいい。

猿河は王子でもヒーローでもなく、ただのゲス野郎という決定的な証拠を手に入れなければ。

頼みの綱の鬼丸は肝心な所でまるで女子みたいに恥ずかしがって作戦は進まない。他を揃えようにも、女子の大半は猿河ファンだし話自体にすら乗ってもらえる自信がない。下手したら、逆にこっちが吊るし上げをくらうかもしれない。

ただただ焦る。

猿河に近づければいいのだが、なかなか奴も狡猾で隙を見せない。見せたとしてもネタとしてはまだ弱い。

恋愛面の大スキャンダルのネタを掴むにはやはり鬼丸を使うしかないと思う。意外と猿河は乗り気なようだし。


「いいなぁ。なんか楽しそう…。今度私も行っていいですか?」


「はい喜んでー。…って今何の話してましたっけ?」


杉田さんはどこに行きたいと言ってるんだっけ?緊張のあまり数分前の事が思い出せない。


「何の話って…休みの日に電車撮りに行くって話ですけど」


「え、俺そんなオタ趣味を暴露してましたか」


最悪だ…。鉄オタだという事が露呈してしまった。高校生で鉄オタって…って絶対引かれる。ドン引きされる。

しかし、いまさっき「私も行っていいですか」と杉田さんは言ってなかったか。


「あ、その前に自分のカメラ買わないとですよね」


「カメラなんて、俺の貸しますよ!てか、差しあげますよ!」


生まれてこの方、命より大事なカメラを他人に貸した事はない。ましてやあげるなんて。

そもそも「カメラなんて」と自分の口から出たことが信じられない。


「えっ…いいんですか?」


「いいですとも!」


勝手に口が動く。なんで。

カッコつけてるのがカッコ悪い。

器が大きいアピなんて今更何のイメージアップにつながるというのか。


「撮り方とか教えるんで!だからっ…」


そんなに嬉しいのか、自分。

呆気に取られているような彼女の瞳の光に冷静さを取り戻す。

引かれたって無理は無い。

そりゃあそうだ。杉田さんにしてみればたったついこの間、知り合ったばかりの、冴えない、道端の石ころよりもどうでもいいような、まさにアウトオブ眼中男に、いきなり熱烈に迫られているわけだから。


「な、なーんちゃって」


居た堪れなくって頭の上で大きく腕で円を描いて、中腰で愛想笑いをしてみる。

完全に鬼丸が乗り移っている。「うっわ、如月さん…それはないわー」という奴の幻聴が聞こえた気がした。


全部嘘にして逃げてしまいたいのに、信じられない程にポンコツな自分はうまく誤魔化す事も出来ない。


ただの有象無象でいいんじゃなかったのか。自分。


結局、俺はあれか。杉田さんを穢れた目で見ていたわけか。


いざ目の前にすると、欲を出してしまうというわけか。


「まぁ、その話は置いといて、早く終わらしちゃいましょうか!肝試し!俺、あんまり怖いの得意じゃないんスよねぇ~(俺みたいなのと長時間といるとキツいだろうし)」


卑屈な台詞ばかりが頭に思い浮かんで、塞き止める。

気持ち悪がられても弁明しようがない。


「鬼丸も今頃猿河にじゃれついてるかもしれないし」


「…如月さん?」


一人で勝手に喋って歩き出す。気持ちばかり急いてしまってだめだ。

でも、ちょっと今は冷静になれない。


猿河より先に貴女を見つけたのは俺です。


違う。


いつでも誰よりも見守っていますから。誰も知らない、貴女も知らない貴女の感情も分かっているつもりですから。


違う。


「如月さん!」


違う。


「木更津ですから!!」


名乗る必要もない。名前を認識されなくてもいい。それで良かったはずなのに。

邪な思いなんて、彼女を汚してしまうだけだ。

だって俺は守護者だし。


「じゃなくて、前!」


「前?…うあ!」


ずるっとケツから急激な重力に引き摺られて、すっ転ぶ。

そのまま背中がずり下がって、糸で引っ張られた操り人形みたいな妙ちくりんな体勢で着地する。

眼鏡が外れてしまったようで周りが見えない。軽くパニックになりそうになったが、すぐにサーチライトに捕らえられた。


「大丈夫ですか!?」


懐中電灯で此方を照らしながら、杉田さんが声をかけてくれていた。


「えぇ、大丈夫ですとも!この通り…あれ、痛…なにこれ」





ああ、もう最悪…。

どうやら自分は突然道なき道へと歩き出し、勝手に窪みに突っ込んで足を取られてゴロゴロ転げたらしい。

しかも、足を捻ったらしく歩けないときた。


「とりあえず戻りましょう。腕をこっちに寄せてもらえますか」


彼女の前髪が頬を掠めて、慌てて後ろ方向に座ったまま避けた。

大丈夫か。匂いとか嗅いでないよな。

触れたりなどしてないよな。


「いや、大丈夫なんで」


「え?何が大丈夫なんですか」


「杉田さんは先に戻って下さい」


「はい?」


「何とかなりますから。てか、何とかしますから自分の事は放っておいて下さい」


「…無理でしょう」


無理だろうが何だろうが耐えられない。

杉田さんに迷惑をかけてしまう事が。


肩を貸してくれようとした事自体は嬉しい。

本当に優しい人なのだと思う。

でも、それとは別問題なのだ。


「俺は守護者なんでっ…」


思えば浮かれていたのだと思う。

杉田さん達とキャンプで、しかもなぜか杉田さんが自分に話しかけてくれて。

きっと偶然だけど。


「もう充分ですから」


これ以上はいらない。バチが当たる。

手のひらを彼女に向ける。ハンドサインをだめ押しに。


「私、なんかしました?そんなに私に触られるの嫌ですか」


怪訝な顔で彼女は此方を見下ろす。

そんなわけないと断言しようとしたが、藪蛇になりそうで押し黙る。最低な事に。


杉田さんが傷付いた顔をした。ように見えた。

自分ごときに傷付く事なんてないのに。


こんな時、猿河(アレ)がいればいい。無駄に愛想を振りまいて杉田さんの心を慰めてくれれば良い。

極論を言えば、猿河がもっと誠実で二面性が無くて杉田さんだけを見ているのなら、何も問題は無いのだ。それは他の男も然り。

基本的には、杉田さんが幸せならそれでいい。それだけ言うと、滅茶苦茶いい人みたいだが実際はかなり自分勝手である。


不意に誰かが鼻で笑った音がした。

杉田さんが小さく吹き出したらしかった。

謎の感情変化に、頭の上にクエスチョンマークが無限増殖していく。

見上げると、眉毛をハの字にして途方に暮れたような表情があった。


「私、いつもこうなんですよね。誰かに嫌われるまで、分からないんです。異様に鈍くて…」


ごめんなさい、と彼女は頭を110度下げた。小さなシルエットがさらに縮こまって妙にもの悲しい。


「そんなこと…」


「あります。今だって、修司の事だって」


「猿河の?」


ええ、と真っ直ぐな面持ちで彼女は頷いた。


「親衛隊を無理して続けなくていいと言われました。それよりこれからの学校生活を楽しんだ方がいいって」


「なっ…」


「私達のやっている事は修司の為になっていると思っていました。でも、そう言われるって事は遠回しに要らないって事ですよね。修司自信が学校生活を楽しみたいし、もっと普通に高校性活送りたいって思っているって事ですよね」


何様だ、猿河。

とまず思った。奴のこういう厭らしさが憎たらしい。

自分の感情は一切漏らさないで、あくまで相手の為という体で支配しようとする。


奴は何から何まで計算づくなのだと思う。

常人よりかはいくらか器用だし、うまく世渡りできるほどのスペックを備えているから。

馬鹿な奴らはあいつを聖人か何かだと思うだろうがそれは全く違う。


自分以外の誰かならいくら悩んでも傷ついてもどうでもいいという人間。

クズの中のクズ。


不都合なものは眉一つ動かさず切り捨てていける、その冷酷さ。

苛立ちがただただ降り積もっていく。


虫唾が走る。


「いいじゃないですか!」


え?と杉田さんが痛々しく微笑んだまま首を傾げた。


「無理じゃないのなら、そのまま親衛隊やってればいいんですよ!何ら問題ない!だって、今が楽しいから!このままでいい、それでいいじゃないですか!嫌がるわけないですよ、あんな完璧超人なイケメンがそんなに器の小さい訳がない」


小さな抵抗だった。

ざまあみろ、猿河。お前の思惑通りには絶対させない。

何を思って親衛隊を解散させようとしたのかは分からないけど、そうそう思いどおりに動かしてたまるか。


「…でも」


「そうですよ!」


「だって」


「そうですよ!」


「だけど…」


「そうですよ!」


杉田さんの言葉を遮って前のめりで唾を飛ばしながら声を張り上げる。ただただ同じ台詞を。

自分の痛さに目が眩む。あと、頭の悪さで。

せっかく杉田さんが親衛隊をやめると決意したというのに、なんでこんなにマジになって止めているのだ。


「要するに、猿河に気を遣われないように今まで以上にやりたい事をやればいいんですよ!それで万事解決ですよ!」


「…そうですか?」


「そうですよ!杉田さんは深読みしすぎですよ!なんせ、登校日の一日たりとも抜けずに記録・観察し続けた僕がいうのですから!」


「え?」


とんでもない事を暴露しているとは、自覚しているけど引き返せない。

過ぎていってしまった時間は戻せない。


「愛、ゆえに…です」


「…は、はぁ…」


今になって。今になって米神あたりに走る血管から血液が流れ出している。

ここを斬りつければ多分、辺りは自分の吹き出した血で真っ赤に染まる。

ていうか殺してくれ。いますぐ俺を。

へへ、と笑ってみても唖然とした風な杉田さんの表情は変わらない。


「そんなに、好きなんですね」


予想通り、完全に引いたような声色で、目で、口で。

こっちだって笑うしかない。


「ええ。そりゃあもう、なんだって入学前から一筋ですから」


「え…」


「もう使命感すら感じているんです。自分を全く見てくれてなくたって、ただ幸せで笑ってくれればいい。その為なら何をしたっていい」


もう格好つけったって遅い。だのに、使命感とか笑ってくれればいいとか、こそばゆい事を宣ってしまう。


「分かってます!キモいですよね、俺!」


口先だけ着飾ろうが、気持ち悪さが軽減される訳がない。

好きになってしまってごめんなさい。

想い続けてごめんなさい。付きまとってごめんなさい。勝手に隠し取りしてごめんなさい。

気持ちを隠しきれなくてごめんなさい。


終わった。

何もかも終わった。

終わる時は、笑えるくらいに、あっけない。


瞑った目から涙がにじむ。


「…そんな事ないですよ」


杉田さんは優しい。でも、その優しさが今はただただ痛い。


「本当に好きなんですね、修司の事」


「はい………あれ?」


我に返って、目を見開く。眼下には何かの決意を秘めたような真っ直ぐな眼差しの杉田さん。


「そうですよね!私、未熟者でした!!修司の美しさの前では、性別とか関係ないですよね。むしろ、負けました…如月さんの深い愛情に。私は忘れてました。初めて、修司に出会った瞬間の事も、気持ちも」


はい?


「あんまり言いたくない話ですけど、中学でいじめられてたんです。もう毎日毎日学校行くのが嫌で、こんな世界から早く消えちゃいたいって思ってたんです。でも、修司がいてくれたから頑張って今までやってこれた。あの時の気持ち、思い出しました。ありがとうございます」


なんか重い話が出てきちゃったけど集中出来ないよ!

ちょっと待って杉田さん、もしかして…。


「良かったら正式に親衛隊に入りませんか。貴方が修司を想う気持ち…その熱意があれば、誰も文句は言いませんよ」


ほらーーーーーー!!

やっぱり勘違いしてる!どこからか、俺の台詞が杉田さんの中で猿河修司が主語になって認識されてる!

じゃあ今までのはアレか。


『そうですよ!杉田さんは深読みしすぎですよ!なんせ、(猿河を)登校日の一日たりとも抜けずに記録・観察し続けた僕がいうのですから!』

『(猿河への)愛、ゆえに…です』

『ええ。そりゃあもう、なんだって入学前から(猿河)一筋ですから』

『もう使命感すら感じているんです。(猿河が)自分を全く見てくれてなくたって、(猿河が)ただ幸せで笑ってくれればいい。(猿河が笑っていてくれるなら)その為なら何をしたっていい』


…さぶいぼが…。

なにこれ、すごい吐き気。なぜに俺が奴の幸せを祈らにゃならんのだ。


「あの、杉田さん!何か誤解を…」


はっし、と両肩に暖かい手の平が乗っかって反射的に顔を上げた。


「如月さん、今日から私たちは同士です。同じ人を大事に想っている、謂わば友人です」


杉田旭陽さんの、きらきらと瞬く瞳と、月明かりでも分かる興奮で桃色に染まった頬と、触れた体温、そして何より『友人』という関係の誘惑にくらりと目眩がした。


「はい、これからよろしくお願いします」


気が付くと二つ返事を返していた己の姿があった。

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