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私はホラーもの全般苦手だ。
ゾンビ系も、殺人鬼も、人形や貞子も全く無理。これはフリではなく、本当に受け付けない。
テレビ番組でよくやっている心霊写真特集や怪談、ホラー映画放送は絶対チャンネルを変えるし、なるべく幽霊や妖怪の類に遭遇しないよう常心がけている。墓地やお地蔵様がる道は避けているし、夜出歩く時も街灯や人通りのある所を選んでいる。自宅の照明は就寝時はほぼ付けっぱなしだし何かあった時のために盛り塩を用意している。
前に伝染する系の怪談噺を聞いてしまった時は大変だった。不眠症にはなるし悪霊退避するお経を書いたメモを四六時中手放せなかった。今思えばちょっとアホらしいとは思うが…。
「ねぇ、鬼丸。さっきからくっついてきてどうしたの。暑苦しいんだけど」
杉田さんの腕にコアラのようにしがみついているのがバレて振り払われた。
だってこうやって誰か人肌を感じてないと不安でしょうがない。もし、私以外の全員が知らない間にお化けにすり替わっていたら詰んでしまうじゃないか。
時刻は20時40分。特に何の障害も無く肝試しが決行されようとしている。
「…いやー、なんかむしろ肌寒くないですか?うっ、前方100メートル先からものすごい霊圧がっ…これは幽霊が怒ってますねぇ…」
「真顔でなに言ってんのよ。霊圧ってなによ、チャド?」
「はいはい、はしゃぐのはもういいから少し落ち着きなさい」
と、鈴木・高橋コンビにいなされた。なんで私は何かと人にはしゃいでるように見られてしまうのか。日頃の行いが悪いせいだろうか。
「じゃあ、僕が祠に置いておいたトランプカードを取りに行くって事でいいかな?一応道みたいなのはあるし、迷う事は無いと思うから安心して」
猿河氏が懐中電灯片手に説明した。
「ところで、肝試しって一人で行くんですかね…それだと時間掛かりすぎじゃないですか。やっぱ何人かで交代で行った方が良いんじゃないか。二人組とか」
なんか明らかに下心ありまくりの如月さんが意見し、それを予想していたように涼しい顔で「勿論」と猿河氏が何本かの割り箸を差し出した。
「このくじでペアを決めて行ってもらおうと思ってるんだ。人数的に1グループだけ3人になるけど」
よし、3人グループ来い!!
確率は3/7、これは決して低い確率じゃない。私は運気を練ろうと両手をすり合わせてから、割り箸の一本を引いた。
「猿河氏、絶対くじに何か細工したでしょ…」
そもそも用意周到に割り箸くじを用意していた事にもっと警戒すべきだったと返す返すも後悔している。
くじで決まったペアは、
・如月、杉田
・高橋、鈴木、石清水
・猿河、鬼丸
となった。なんだ、この不自然に安定感のある組み合わせは…。
如月さんは小さくガッツポーズをしてたし、他の親衛隊のメンバーもくじで決まった事ならと納得して決まってしまったが私としては疑惑だらけの結果である。
「細工なんてとんでもない。偶然だよ、偶然。それとも何、哀ちゃんは僕とペアになるの嫌だった?」
「嫌っていうか…」
大浴場裏の非常口の前の階段で、私の隣に腰掛けた猿河氏が気まぐれに此方に詰め寄ってきた。
それを上体を逸らして避けるも手すりに後頭部をぶつけた。
ちなみに他5名は、丁度出払った所である。最初に行った杉田・如月組が中々戻って来ないので、痺れを切らした3人が出発してしまった。その直後、杉田さんと彼女に肩を貸してもらいながら泥だらけになった如月さんが戻ってきた。別に悪霊に祟られたとかではなく、落ち窪みのような所で転び足を挫いたらしい。「そんな危険な場所あったっけ」と猿河氏が首を捻っていたが、大方杉田さんと二人っきりになって大興奮でドジったという所だろう。そして今は、猿河氏の救急セットでテーピングをして二人共施設内のラウンジにいる。…それはそれで如月さんは部分的にいい思いをしたので、まぁいっか。
「ほ、ほら、私こういうイベント事は騒いじゃうからさぁ。さすがの猿河氏もうんざりするかな、と思って。へへっ…」
猿河氏に無闇矢鱈に弱味を見せるのは良くない気がする。この人非人に付け込まれたら最後、とことん弱点を責められるか、後で散々利用されそうだ。私はまだ昼間海に投げ落とされたのを忘れていない。
「今更だよ、そんなの。それに多少騒いでくれたほうが企画した側としては嬉しいけど」
「いやぁ~、でもこんな猿河氏を独占するなんて他の皆に悪いし」
「え?何を今更…というかその挙動不審っぷりはどうしたの」
「きょ?きょ、何?え、なにそれそんな難しい単語知らない」
「目も泳いでるし、手汗びっしょりなんだけど」
ぺたぺたと私の掌の指紋を親指で撫ぜながら手汗チェックするのは正直止めてほしい。
金の睫毛をばさばさと瞬かせ、ごく至近距離で猿河氏のご尊顔が覗き込まれる。耐えられず顔を背けるも、横顔になっただけで存在感から起因する威圧感は拭えない。
「哀ちゃん、もしかして怖い?」
い、いや?とひっくり返った声で階段の先を見つめなら答えるも。怪しい。我ながら怪しすぎる態度だった。
「そういえば石清水さんたち結構、怪談話で盛り上がってたよね。廃病院とかうちの旧校舎の七不思議とかで…それで怖くなってきちゃった?」
「まっさかぁあ!ほら、私って重度のホラージャンクじゃん?だからむしろテンション上がって仕方ないんだよねぇ~。恐怖を求めて、こんな風に震えてきちゃう程に。これ禁断症状だから。決して怖いとかそういうのじゃ無いから!あ、あれ石清水さん達じゃない?よしよし、怪我もなく無事戻って来てよかったよかった!じゃあ早速行こうか猿河氏、早くしないと置いていっちゃうゾ☆」
若干ヤケクソ気味に誤魔化し、立ち上がって大股かつ早足で歩き出した。
もう猿河氏に悟られては行けないという一心で歩みを進めていた。もう一回トイレ済ませておけばよかった、とただそれを後悔しながら。
草を踏む足音と、あとは虫の鳴き声。あと、少し遠くで波の音が聞こえる。
辺りは真っ暗で月明かりもしょっちゅう雲に隠れて頼りない。
獣道に近い一本道は、懐中電灯で足元をやっと照らせるほどだった。しかも伸びきった草で足を取られる。これは如月さんがあんな状態になっても不思議じゃない。
かくゆう私も、何かが出たらちゃんと逃げれる自信が無い。そう、何か出たら…。
そう思うともう虚勢はあっという間に崩れた。
「あのさぁ、コレ歩きにくいんだけど。ホラージャンクの鬼丸さん」
立ち止まった猿河氏に、私は氏の背中に埋めていた顔を少し上げて、代わりに氏の着ているポロシャツを握り締める力を強めた。
私は恐怖と不安の余り、猿河氏の背後にまわり、そこからぎっちりと氏にしがみついていた。
「さよなら、天さん…どうか死なないで…」
「やめろー!餃子!って、それだと僕ナッパじゃん。この僕がナッパって無いでしょ」
気にする所はそこじゃないと思う。あとナッパさんは戦闘力4000の割に超強いんだから侮ってはいけない。
「もー、怖いなら怖いって変に強がらずに最初から言えばいいのに。僕だってそれなりの対応するよ?」
呆れた口調で猿河氏が頭だけ振り向き、私の方を見下ろす。
対して私は涙目でそれを睨み返した。
「嘘だ!ぜったい見捨てるに決まってる!簀巻きにしてその辺に投げ捨てて恐怖に怯える私を嘲笑う気でしょ!」
「しないって。大体僕って哀ちゃんの事は結構な頻度で助けてるよ?今日だって溺れかけたのを浜辺まで運んだりしたし」
海へ投げ落としたのは猿河氏だけど。
私の無言の訴えが効いたのか、諦めたように氏が息を吐いた。
「全く、いつもこうなら可愛いのにね。ベタベタ甘えて纏わり付いてればいいのに。これで、誰か第三者がいると必ずそっちに行くからムカつく」
「ぅえ?ちょっと何言ってるか良く分からないんですけど」
別にー、と猿河氏は小さく肩を竦めてみせただけだった。
やっぱり猿河氏の機嫌を損ねてしまったかと心配していると、猿河氏がふいに右腕を軽く上げた。脇腹付近に人1人入るスペースができていた。
「掴んでてもいいけど、せめて横に来て。その方がこっちも哀ちゃんの歩調に合わせられるから」
「……わかった…」
ずりずりと間抜けに横スライドして、人肌を求めて縋り付く。猿河氏はそれを剥ぎ取るでも無く終始無言で観察していたようだった。多分、この状況を杉田さんたちに見られたら半殺し程度じゃ済まないと思う。
でもそれでも、一人じゃないのは幸せだ。誰かにくっついていると不安が薄らぐ。この多幸感をどう言葉で表現すればいいのか分からない。猿河氏だから、という訳じゃない。けど、私が今この状況で遠慮無く縋れる人は彼だけだった。
「…そんなにお化けって嫌い?」
猿河氏が立ち止まったまま、懐中電灯の光をふらふらさせて尋ねた。
未だにからかうような半信半疑のようなニュアンスをしていた。普通に考えて猿河氏に抱きつきたいがためにこんな事をするわけない。そんな事をしてもトラブルの元を産むだけだろう。
「嫌いってか怖い。理由なんて特に無いよ、怖いものは怖い!いるのかいないのか存在自体訳分からないし、物理攻撃も入らないし、ちょっと関わったらすぐ無関係の人でも呪ってくるとか言うし」
そもそも幽霊という未確認物体を前にして怖くない人なんてそうそういないと思う。
「よく見た事もないものに、そんな怯えられるよね…」と猿河氏が呆れていたが、見たら最後もうまともな精神状態じゃいられないじゃないか。
「じゃあ、海は?なんであんなに行くの嫌そうだったの。近寄るの自体避けてたみたいだけど、何かあった?トラウマ的な」
「……」
トラウマなんてない。あったかもしれないが覚えてない。
やっぱりそれもはっきりとした理由なんてない。どうしても気味が悪くて、怖くて怖くて仕方ない。溺れるほどの勢いも無いし、足もちゃんと着くのは分かっているけど。
「…なんか、水って掴めないじゃないですか。幽霊と一緒で切っても叩いても効果ないし、常に誰か呑み込もうとしてるみたいで。誰かっていうか私を。」
こんなふわっとした話を人に聞かせるなんて不毛すぎる。第一説明になってない。私も自分の思考を辿りながらそれを言葉で吐き出してるので、自分が次に何を言い出すのか分からない。
こんな話続けても何の得もないだろうと思って笑って誤魔化そうとしたら、猿河氏が意外なほど真面目な顔をしていたから切り上げられなかった。
「なんか喚ばれてる気がして…」
「喚ばれる?」
「こうやって聞こえる水音とか、足を攫おうとする水流とかに。幽霊の国?霊界?地獄?そういう暗くて寒くて淋しい所に連れていかれそうなイメージがなぜかあって…きっとそこに行ったら帰って来れないし、多分私もお化けになっちゃう。それって怖いよ、きっと怖い」
全部『そんな気がする』の話だ。
誰かに言ったって到底分かって貰えることじゃないし、私だって自分の無意識下の事は判然としない。
子どもの頃に聞いた童話や映像のせいかもしれないが、何も思い出せない私のどこにそんなものが残っているというのか。
「なに、それ厨二病?アホらし、漫画やアニメに影響されすぎでしょ」
鼻で笑われた。当然の反応だと思う。信じてもらなかったからと言って怒りはしない。寧ろ大体予想通りの着地点に降りられて安心した。本気に取られた方が困る、こんな荒唐無稽な話。
「あは、だよねぇ~」と私は必要以上に明るい声を発した。
「心理学とか良く分からないけど、いわゆる現実逃避の一種なんじゃないの。こんな冴えない日常は私の居場所じゃないから、不可思議な力で異世界に連れ戻されそう…みたいな。頭の悪いファンタジー脳炎でも引き起こしてそう」
う゛っ…そうかも。と、おちゃらけてギクリ顔を作ったのに、猿河氏は私の方を向いてくれない。
「幽霊だって哀ちゃんなんて引き摺りこんだって何もメリットなんてないと思うよ。こんなスーパーお騒がせドジっ娘(萌え属性なし)なんか」
「最後の(萌え属性なし)って何!?ただのトラブルメーカーって事?」
良く分かってるじゃん、と猿河氏は悪気もなさそうに答えた。
…まぁ、これまでの事を振り返ってみるとそれは間違ってないとも言えるかもしれないが。
「地縛霊だって浮遊霊だってわざわざ不要な人間攫ってくるほど暇でもないよ。それに、例え何かの間違いで幽霊の国?だかに行けたとしてそんなの全然ダメだから。許されないし許さない。こっちの現実世界以上にあんたを大切にしている場所も無いんだから、もっとここで地に足つけてみなよ」
地に足つけてって、着いてますけど。と、自分の足元を見る。剥き出しの生脚が草で擦れて痒い。
「分かったから、うん。私のただの思い込みなだけだから気にしないで。ほんと自分でも意味不明な事だと思うし」
「は?分かってないじゃん。僕は親切心でアドバイスを送ってるんだよ、夢見がち被害妄想女ってキモ痛いって。そんな腐ったドリームなんか捨ててさっさと堅実に現実世界に根付いた方がいいって言っているんだよ」
「夢見がち被害妄想って、私そんな電波系だった?そういう路線も悪くないかなぁ。ベントラーベントラー宇宙ノオトモダチ………ごめん、今のはふざけすぎました…。」
なんでこんな口論みたいな感じになっているんだ。こんな状況でこんな話を悠長にしている暇はない。暗いし不気味な雰囲気だし、いかにも出そうな感じだ。長く留まっていたくないし、さっさと帰りたい。
言うんじゃなかったこんな話。やっぱり他人に自分の事を話すと碌なことがない。何か良い事を言って私を救ってくれるとまで思っていたわけではないけど、ここまでディスられるとも予想してなかった。
気まぐれな猿河氏の事なので、どこが琴線になったのかもよく分からない。
「知ってるよ。私は幽霊にすら必要とされてないし、何処にも行けないし何にもなれない。猿河氏の仰る通り被害妄想で痛い奴です。嫌なほど思い知ってるから、それでいいでしょ…。」
猿河氏が息を深く吐いた呼吸音が聞こえた。ため息とは違う、湧き上がった何らかの感情を押し殺して外に逃がすような息の吐き方だった。
腹は立たないが面倒臭い。こんな無意味な問答が。無意味なくせに殺傷能力を孕む言葉は聞きたくない。
「いい加減わざと的を外すの止めて。あと、その投げやりな態度は何。自分がそうだからっていって、誰も彼もあんたに無頓着だとは限らないんだよ。あんたはどうしてそう…」
なんだかその先は聞いてはいけない気がして、遮るために短く声を発した。多分「あ」とか「え」とか「う」とかそういう母音系の声だったと思う。適当に何か言わなければ、尚且つ猿河氏が満足するような答えを探して口を開いた。
「…えぇと、つまり、もしかして本当に、私が幽霊に攫われるか現実世界から逃避するために何処かに行くかもしれないとか思ってた?地に足つけてってそういうこと?まwwじwwwでwwww。これただのジョークだからwwwてか、そんなに私がいなくなったら寂しいw?うはw猿河氏かーーわーいーいーwwww…ああっ!ちょっ待って、置いてかないで!」
ウザさMAXで煽ったのは認めるけど、追いつけないほど急に歩かれて猿河氏とはぐれたら困る。ごめんなさい!と草を生やした二倍は叫んでやっと止まってくれた。膝小僧で体を支えている私のゼエゼエとした呼吸音が辺り一帯に響き渡っていた。
ふと、猿河氏が話しだした。口調から既に怒りは醒めてるようで安心した。
「…普通に有り得そうだったから。幽霊云々関係無くその気になれば何でも捨てて消えていける悪い意味で後腐れのないタイプだと僕が単に思ってただけ。その痕跡を残さないための秘密主義なんだと。でもただの冗談なんだよね?それなら別にいい」
どう答えたものか迷っていると突然視界が真っ暗になった。
「!?!?!?!?」
パニックになりながら、手を大きく振りながら探ってやっと指にかかった猿河氏のシャツの裾らしきものを思いっきり掴んで引っ張った。
「あー、落ち着いて。出てる、今背中が超出ちゃってるから」
よく見えないが私が裾を引っ張り回したせいで猿河氏の背中が出てしまったらしい。素直に離したら、ちゃんと手を引いてすぐ近くまで誘導してくれた。
「ただ電池切れただけだから。携帯のバックライトがあるから大丈夫だって」
やっぱり祠の主が怒っているのか…!と戦慄が走る。
携帯のライトが付いたのも束の間、猿河氏がポロっと不穏な発言をこぼした。
「…しまった。あとバッテリー20%しかない」
「えぇっ、私携帯部屋に置いてきちゃったよ?」
「この分じゃ帰りは多分無灯火だね。ま、月明かりあるし余裕か」
「いやいやいや全然余裕じゃないよ!?これ見て真っ暗!自分の足の爪先も見えない!ていうか言い忘れてたけど鳥目なんだよ、私!無理無理!何かの拍子で猿河氏見失ったら絶対迷子になって戻って来れない!」
「あんまり騒ぐと近くの野犬とか来ちゃうよ。暗いのが怖いんならさっさと行こ」
その後は肝試しムードをガン無視でずんずん奥に進み、石祠の土台部分に置いてあったトランプを回収し、ろくに会話もせずにただひたすら足を動かしストイックにゴールを目指した。
最後の方は猿河氏が私を米俵が如く担いでいた。そのおかげか、奇跡的に携帯が生きてるうちに戻って来れたのだった。
◆
色々あった二泊三日の小旅行も終わろうとしている。帰るまでが遠足だとはよく言うが。
布団を畳んで荷造りをしていると、そういえば部屋の物干しに水着をかけっぱなしなのを思い出した。
「あー、いけないいけない…あれ?」
ベッドから降りて探したが、水着はそこにかかって無かった。
誰か間違えて持っていってしまったのだろうか。
「すいません、誰か私の水着知りませんか?こう青いワンピースの…」
身振り手振りで説明したが、部屋にいた鈴木さんと高橋さんは首を振るだけだった。
なので、先にロビーに向かうと言っていた杉田さんと石清水さんにも聞こうと部屋を出ようとしたがそこを高橋さんに呼び止められた。
「鬼丸。悪いけど、ついでに部屋で出たゴミ、焼却炉に持って行ってくれない?」
荷作りは殆ど終わって時間には余裕があったから引き受けた。焼却炉は駐車場を抜けた玄関横で、丁度通り道だったし。
私は部屋の隅に置いてあったゴミ箱からポリ袋を取り出して、道程をショートカットしようと外靴を履いてバルコニーから外に出ることにした。
特に迷う事なく、ガレージ横の焼却炉を発見してその蓋を開けた。ふと、電池など有害ゴミは捨てないようにと言われていた事を思い出して一応袋を確かめようと思った。
「うわぁ、見事にお菓子のゴミばっかだなぁ。…主に私が食べた」
口を結んだポリ袋の中身を改めて確認しながら、一昨日の如月さんの『お前、太腿とかケツとか腰周り相当やばいぞ』を思い出した。本当にヤバいかもしれない…。水着だって大幅にお尻はみ出してたし。とりあえずそろそろ本腰入れて減量しよう。そう決意を固めた頃だった。
「あれ…これって」
何か見覚えあるものが見えたような気がして、袋を漁ってそれを取り出した。
ゴム地の布のようなもの、だった。その端は何か刃物で乱暴に切断されたような形跡が見られた。
それが元は何だったのかはすぐに分かった。
「うそだ」
だって意味が分からなかった。分かったのにただ考えがまとまらなかった。脳味噌が考える事を拒否していた。
指先が冷たいのを通り過ぎて、間隔が無い。
それは猿河氏に貰った水着だった。なんでゴミ袋に入れられたのか分からない。
干していたのが間違えてゴミ箱に落ちてしまったのか。じゃあ、こんな真っ二つに破かれているのは?
何故。いつ。誰が。どうやって。どんな気持ちで。
そんな事を考えたくないし、想像したくもない。
「鬼丸?ここで何をしてるの」
誰かに肩を叩かれて我に返った。
手の中のものを背中の後ろに隠して振り向いた。私の目の前にいたのは杉田さんで、その後ろに石清水さんと猿河氏がいた。
「あ、えっと部屋のゴミ捨てしてて…。もうすぐ支度も終わるんで杉田さん達は戻ってて大丈夫ですよ」
あは、と面白くもないのに笑って誤魔化す。
引き攣って最高に不細工になっているに違いないのに顔を逸らせられない。
やっぱり怪しいと思われたらしく石清水さんも詰め寄ってきて、反射的に後ずさりした。
「後ろに隠しているのってなに」
「いや、これは」
見せられるわけがなかった。正直に言ったら余計な火種になってしまう。折角の親衛隊の絆に余計な茶々を入れたくない。それに猿河氏もいる。送ったものをこんな風に粗末にされたら傷つくだろう。
「鬼丸」
他人の目が怖いと思ったのは久々だった。怒鳴り声を上げられたわけじゃないのに竦んで動けなくなってしまう。今すぐ言い訳を並べて機嫌を取ってこの嫌な空気を消し飛ばしたくなる。
だが、私が何かリアクションを取るより早くに、後ろで隠してたものはあっという間に剥ぎ取られて露呈した。
「なにやってるの、これ修司にもらったものでしょ。なんでこんなになってるの」
「あ…違う、その」
「違う?どう違うの、ねぇ修司この柄に見覚えはない?旭陽も鬼丸がこの水着を着ていたのを覚えているよね」
どうやっても言い訳が出来ないほど猿河氏の目の前に、切断した水着だったものが突きつけられる。
「こんな所にわざわざ捨てるとか、よっぽど気に入らなかったか嫌がらせよね。それとも私たちに喧嘩売ってるつもりだった?」
そう言われて、私が犯人だと疑われているのだとやっと気付いた。
それはそうだ。よくよく考えれば、この状況で一番怪しいのは私だ。状況証拠が揃いすぎている。
猿河氏は何も言葉を発しなかった。ただただ冷ややかな目をしていた。
「最低よ、鬼丸」
吐き捨てられた言葉に、勘違いしていたのだと気付いた。
私の事を親衛隊の皆は受け入れてくれているのだと思っていた。助け合うべき仲間で、無条件に信頼してくれるものだと思っていた。
それは違った。元々、嘘ばかりついていた私が彼女達に信じてもらえる訳がなかった。
「…なぜ黙っているの。言い訳はもうしないの?」
石清水さんが喋っている間、口を噤んでいた杉田さんが下を向いて首を擡げていた私に言った。
なにを言い訳しろというのか。私が焼却炉にゴミを捨てに来た理由?猿河氏に水着を貰った経緯?別にそこまで熱烈なファンでもなかったのに親衛隊に入った理由?
今更、何を言っても信じてくれないのに何を話せというのだろうか。
何も言わないでいると、杉田さんが小さくため息をついた音が聞こえた。
「この件に関しては私たちで話し合います。それと、鬼丸には会の参加を禁止してもらうのでそのつもりで」
はい、と答えるしかなかった。
なぜか頭はぼーっとしていて、白昼夢をみているようだった。




