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28:

時計の秒針が規則正しく時間を刻む聞こえる。

付けたままの電灯の電気が一瞬揺らぐ。テレビのリモコンを操作していないのに勝手に音声のボリュームが下がっていく。


もうすぐ彼女がやってくる。


目を瞑って少し意識を集中すると、ゆっくりと忍び寄る足音が聞こえた。

そして、音もなく感触もなく、ベッドに俯せになった私の背中に覆いかぶさる。


『あーいー、また泣いてるの?いつまで経っても哀は泣き虫だねぇ。泣き虫弱虫ウジ虫哀ちゃん』


耳元で囁く鈴を転がすような声。だけど、そこに全く生々しさはない。



「ゼロ」



そう、彼女の名前はゼロ。

午前0時にやってくるからゼロ。聞いても無いと言うから、私が名付けた彼女の名前。

もう随分、長い付き合いになるのに彼女の姿は見た事がない。

実態の無い、生死不明の、自分自身の事は全く喋らない、でも毎日私の所に一度だけやってくる多分女の子。


『お父さんから、連絡来た?』


ゼロがクスクスと笑いながら聞いてくる。私は右手で握ったままの携帯の画面を見る。


「来てない」


『ふーん、そっかぁ。哀はそれで拗ねてるんだ。でも、そんなのいつものことじゃない。

あの人が哀に特別何か関わろうとした事なんてあった?あの人はただのお金と住む場所をくれる人だよ、あと一応まだ保証人にはなってくれるかな。だから連絡付かないからって別に落ち込むような事じゃない、そうでしょ?』


「ゼロ、そういういう言い方は良くないよ」


『え?私なにか変な事言った?だって本当の事だよ』


「だって、血の繋がった家族だよ」


『血の繋がった他人だよ?』


ゼロの言葉に胸が詰まって声にならない。

この言葉だけは絶対に肯定させてはいけないのに。


「全部思い出したら、家族になるよ。今はまだそこまでいけなくても、いつか絶対なれるよ」


ゼロが『え?』とわざとらしく聞き返す。


『本当に記憶なんて戻るの?それに、記憶が戻ったら元通りになるって思ってる?』


「なるよ」


そう答えるしかないじゃないか。他に何に縋ればいいだというのだろうか。


『ねぇ、哀?ここに割れたコップあるじゃない?この破片全部かき集めて、接着剤でくっつけたとしてまた元のようにコップとして使えると思う?使えないよね、絶対どこかに綻びがあって、水が零れちゃう。人間もそう、例え親子関係にあっても一度破綻すればもう戻れない』


「人間とコップは違うよ」


『そう?ああ、ガラスの方がまた溶かして固めれば再利用できるからまだ救いはあるのか』


「ゼロ、お願いだからそんな事言わないで」


『まぁ、哀がそう言うのなら好きに夢想していればいいと思うけどね』


何が楽しいのかゼロは大抵いつもこういう風に私をこき下ろしては笑っている。

しかもゼロのいう事は、間違ってるとは断言出来るものが少ないので、余計に落ち込む。それにゼロには、私の状況もどんなに隠していた気持ちも何故か全部正確にバレているのだ。私はゼロの事を何も知らないのに。


『それより、哀?そんな年取ったくたびれたオッサンなんか止めてさぁ、他の男でも捕まえたら?』


「ゼロ?」


とぼけちゃってェ、とゼロがからかうような声色で言った。


『レンアイとかしなよ、恋愛。最近、哀ってばモテ期じゃん。なんだっけ…犬塚君に、猿河君に、桐谷先輩?ほら、勿体無い事に3人もフラグ立ってるよ。しかも全員何気にスペック結構高くない?すごーい、このビッチがー』


「止めてよ、何言ってんの」


『そんな怖い顔しちゃって、でも満更でもないんでしょ。だれか一人生贄を選んで、うまくたぶらかして宥め賺して、そしていっぱいいっぱい愛してもらうの。ずぅううっと一生逃げられないように縛り付けて寄生するの。そうすれば哀も幸せでしょ?それが哀の欲しかったものでしょ?』


「違うよ、そんな事絶対だめだって」


『なに痩せ我慢してるの。だって寂しくて耐えれないんでしょう?もう一人でいるのは限界だって思ってるんでしょ』


「それは…」


言い淀んでしまった隙をついて、ゼロが畳み掛けるように話を続けた。


『ちゃんとお代を払えば悪者にはならないよ、一緒にいてもらう代わりになんでもするよ。困っている事があれば助けるし、したい事はなんでもしてあげる、傷つきそうなら庇ってあげる。これでギブアンドテイクでしょ』


「それはおかしいよ、ゼロ」


『おかしくなんてない。それが哀が救われるたった一つの方法だよ』


そんな事考えたくもない。そんな汚い人間になりたくない。

自分の幸せのために、誰かを不幸にしてはいけない。自分の引き摺る闇の中に誰かを巻き込んではいけない。

どんなに寂しくて辛くても、それだけは駄目だ。


「それなら、私は救われるべきじゃない。ずっと一人で生きてく方が何倍もマシだ」


馬鹿な子、とゼロが囁く。

バカでいい。私には何も取り柄がないから、せめてずる賢くはならないようにするのだ。


『いい子ぶって面白くない。本当は誰よりも悪い子のくせに』


「悪い子だから、これは罰なんだよ。罰はちゃんと受けないと」


『罰なんて誰かに押し付ければいいのに。悪いのは哀だけじゃないのに』


「私が全部引き受ければ、その分他の人が楽になるよ。それでいいじゃない」


なに言ってんの、と一転してゼロが珍しく少し苛立ちを含んだ声を発した。


『今更いい人ぶったってあんたは絶対にいい人にはなれないし、気色悪くて痛々しいだけなんだよ!

もっと自分に素直に生きようよ、せっかくこの世に生まれてきたんなら幸せになりたいでしょ?こんな暗くしぼんだ人生なんて御免でしょ?もう逃げ出したいんだよね?安心したいんだよね?』


「ゼロ、もういいよ」


言葉を遮ると、そんなに大きな声でもなかったのにゼロは黙ってくれた。

そして少し落ち着いたのか、また静かに話し出した。


『良くないよ、だって私は哀が大事だよ、この世界にひしめき合ってるどんな価値ある他人より私は哀を一番大事に思ってるよ。守りたいよ、どんな手を使っても幸福にしてあげたい』


「……ごめんなさい」


怒ったようなゼロの言葉にただただ申し訳なく思う。

これから私はきっと彼女に可哀想な事をしてしまうし、彼女の気持ちを踏みにじると確信しているから。


『私、哀の事嫌い。本当に大嫌い』


「うん。私も私が嫌い」


ゼロの身体に触れることは出来ないけど、彼女を強く抱きしめた。

彼女は溶けていってそうして私たちはまたひとつの体になっていく。

夜が明けたら、また細く途切れそうな運命を渡っていかなければならない。だから今は眠って、体を休めてあげよう。


また、いつもの鬼丸哀で過ごせるように。

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