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episode7 I(アイ)

頭が痛い。耳鳴りもずっとしている。

消毒の独特の匂いと遠くからエレベーターのボタンの鳴る音。

人の声と白い壁と底の薄いスリッパの足音。診察室の待合席の隅に座り、ただ隅の壁時計の秒針だけを目で追いかける。寒い。もう7月なのになぁ。やっぱりカーディアンくらい羽織ってくるべきだった。


病院は嫌い。出来るなら行きたくない。

別に悪い所なんかないのに。どこも変じゃないのに。

私は普通なのに。皆と何にも変わらないのに。


「鬼丸さん。鬼丸哀さん、診療室まで来てください」


本当に。本当に?


診察室で痩せた初老の医師が椅子を少し回して此方を向いた。ずり下がった眼鏡を直しながら私に声をかける。


「鬼丸さん。どうですか、前回から変わりないかな?」


「はい」


「少しでも何か思い出した事はない?」


「はい」


「今日は一人で来たのかな、お父さんはお仕事?」


「はい…すみません」


「お父さん、まだ一回も来たことないよね?ちゃんと話できてる?治療には家族の人の協力が不可欠って先週も言ったよね」


「…はい」


苦手だな、この先生。

やっぱり病院を変えなければ良かった。多少遠くても中学の時に行っていた所の方に通えば良かった。


「はい、じゃなくて。次は絶対に来てもらうからね、お父さんにもそう伝えておいて。聞けばもう治療を初めて4年目になるというじゃないか。完治は不可能じゃない、だけど君自身が思い出す努力をしないとずっとこのまま元に戻れないよ」


元って何だよ。元の私って誰だよ。じゃあ今の私は、誰だ。そんな簡単な事が分からない。私が鬼丸哀であるという確固たる証拠が無いから、もしかして全部嘘なのかもしれないと疑ってしまう。


「はい、頑張ります」


本当は、私はただ顔が似ている全くの別人で何かの拍子で周りが勘違いをしただけなのかもしれない。

それなら私に何も無いのも一人なのも仕方ない。むしろそうならば、何の問題もないのにとさえ思う。





私には12歳以前の記憶が無い。

どう頑張ってもそれ以上前の事が思い出せない。記憶を失った直後付近も曖昧で、よく覚えていない。自分の名前も家の場所も家族の顔も自分の性格もそれまでの思い出も分からない。

脳に外傷が残っている訳でも記憶機能にそれほど障害があるわけもないので、そんなにかからず回復するであろうと説明されていたが予想に反して全く改善なし。ほとんど状態は変わっていない。やっと自分の名前に違和感が無くなったくらいだ。できるだけ沢山名乗るようにしたのが良かったのかも。


両親は離婚した。その原因は私らしい。

母親は精神を患い半年の入院の後、母方の祖父母の家にいる。すごく取り乱していて、一応会ってみたらお互いがお互いを親子と認識できない状態だった。

こんな状態だし親権は父に渡り、中学からは地元を離れて暮らしている。一人暮らしだ。まぁ、色々と大人の事情でそうなったらしい。何かに特別困っている訳でもない。ちゃんと生活費も学費も払ってもらっている。不便な事も何もない。今では買い物の仕方も家電の使い方も服の着替え方も分かっているし出来る。…まぁ、部屋の片付けは少し(?)苦手だけど。

ちゃんと普通に暮らしていける。高校にも行ってる。友達もいる。体も壊さずに元気でやっている。

大丈夫。こんなの大した事では無い。全国的に見れば一人暮らしてる学生なんていくらでもいるだろう。

私はごく普通の、平凡な高校生。

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