22:
台車と段ボールを収納し、薄暗い旧校舎を迷うことなく進んでいく桐谷先輩の後を遅れないよう付いていく。自分たちの靴音しか物音が聞こえず、校舎の騒がしさが嘘のようだった。猿河氏に借りたTシャツは(返し忘れた…)もう自分の服も半乾きになっていたのでそのまま着ずに右手で抱えていた。
「学校祭の期間は旧校舎の一部を生徒会で使用しているんだ。そうすれば今回のように備品が多い場合でも、他の生徒が使用できるスペースを確保できるだろう。基本的に施錠できるし、生徒会や実行委員の出入りが定期的あるので防犯的にも問題ない」
桐谷先輩が淡々と説明するのに、私は特に疑問や意見も浮かばなかったので「はぁ、なるほど…」とアホ丸出しな感じで相槌を打つしかなかった。
知らなかったけど、そういうことなんだろう。猿河君も実行委員だし、何か色々と事情があって一室を貸してもらったんだろう。
「そういえば、先輩はなんで制服のままなんですか。クラスTシャツや仮装・私服OKだし、確か生徒会のロゴ入ったTシャツ着てる人を何人か見ましたよ」
先輩はいつもと変わらない標準制服で、右腕に赤地に白い文字で「生徒会執行部」と書かれた腕章を付けていた。左耳にはイヤホンを付けていて、時々胸付近のイヤホンのコード上にある恐らくマイク?を取り出して何か喋っていた。
「ああ、動きやすいし僕もそうしようと思ったのだが生徒会の皆に何故か着用を止められている。壊滅的に似合わないらしい。着させていると悪い事をしている気分になり、全校生徒を動揺させてしまうだろうからと全会一致で懇願された。今年に至っては僕の分だけ注文されなかった」
「えっ、そうなんですか…」
確かに、桐谷先輩がラフな格好をしているのは全然想像できない。そこまで言われるのならきっと相当なのだろう。
そこまでなら逆に見てみたい気もする。ちょっと想像してみる。絶対にあり得ないシチュエーションを、そう、例えば桐谷先輩が青空の下、麦藁帽子にランニングシャツと膝小僧が剥き出しになるほどの丈の短いズボンを履いて腰に釣竿と虫捕り網を携えて「鬼丸君、夏休みを楽しんでるか!」といつもの能面ちっくな顔で言っている…うっ、これは。
「鬼丸君、笑うのならもっと君らしく正直に笑ってくれた方が救われるんだが」
さすがに失礼かと思って最大限抑えてたつもりだが、やっぱり堪えきれなかったようだ。
「すいません…ふふっ、でも、先輩せめて山か海統一したほうがいいかと…へへっ、あとカブトムシは夕方が捕りやすいらしいです」
「なんの話か全く分からない」
完全にツボにはまってしまって、先輩の言葉に甘えて満足するまでお腹が捩れそうなほど大笑いしまった。
ひぃーと余韻の悲鳴を上げながら目の縁に溜まった涙を拭っていると、心なしかきょとんとしている先輩と目が合った。
「本当ごめんなさい、別に先輩を馬鹿にしたわけじゃないんですよ。ただちょっと変な想像をしてしまっただけで…」
いやそうではなく、と先輩が答えた。
「前にも思ったが君はよく笑うんだな。しかもとても楽しそうだ、此方まで笑ってしまいそうになる」
そう言ってますが、超仏頂面のままじゃないですか。
もはや表情筋が仮死状態ですよ。
「世の中には誘い笑いというものがあって…まぁいいや、笑いたいなら笑ってくださいよ。私だけが一人で笑ってたらアホみたいじゃないですか」
そう言うと、ギギ…ガチャガー…パポー…エラーが発生しました、エラーが発生しました…と空耳が聞こえそうなほどのぎこちなさで桐谷先輩の表情が崩れた。しかも全然笑顔じゃない。なんか苦しそう。
「先輩、お腹でも痛いんですか…保健室行きましょうか?」
「違う、笑ってるんだ」
うそだぁー。まじまじと観察していると、なるほど辛うじて口角が微妙にいつものへの字よりは上がっている…。こんなに分かりにくい笑顔を初めて見た。分かりにくいっていうか軽く作画崩壊している。猿河氏の表情筋をほんの一部でもあげたいくらいだ。
「そんなに変な顔をしてるだろうか?」
左手で頬をさすりながら聞いてきたので、思わずつい容赦なく「してますよ!!」と答えてしまった。
「笑顔は大切なんですよ!円滑なコミュニケーションをするには、まず表情の柔らかさが重要なんです!毎日鏡の前で笑顔の練習してください、5分でもいいんで!絶対ですよ、週1で抜き打ちテストするんでサボっちゃだめですよ!」
「む、分かった…やってみよう」
よくよく考えると失礼にもほどがある酷い言い様なのに、意外にも素直に先輩は頷いた。思うにこんなに誤解されている要因の一つにはその表情レパートリーの少なさにあるのではなかろうか。せっかく元々の顔は美形なのに勿体無い、非常にMOTTAINAI!
そんな取り留めもない話をしながら歩いているとあっという間に旧校舎を出てしまった。聞こえてくる賑やかな喧騒に、学祭の最中だった事を唐突に思い出す。
「ああ、分かった。もう少ししたら其方に向かう」
桐谷先輩が胸元のマイクにむかって何か話している。生徒会長なので当たり前なのかもしれないが忙しいのだろう。なのに貴重な時間をとらせてしまって申し訳なく思う。私がいなかったらもっと早く仕事に戻れただろうに。
「先輩。私を送るのはここでいいんで、早くお仕事に戻ってください」
しかし、と桐谷先輩が喋ろうとしたのに被せるように言葉を続ける。
「猿河君もたぶん自分のクラスに拘束されていると思うので、もう大丈夫だと思います。あとは出来るだけ人の多い場所にいるようにします!久しぶりにお話できて嬉しかったです!また暇な時にでも構ってください!」
ビシッと敬礼のポーズをとると、先輩はなぜか眉間に皺を寄せて苦しそうだった。あれ、私また失言してしまいましたか?
「そうか、僕も楽しかった。……何かあれば実行委員本部に来るといい。本当に気をつけるんだぞ」
例によって全然楽しくなさそうな顔の桐谷先輩の言葉に頷いて、先輩とはそこで別れた。
◆
「ふぁあ、そういえば私ぼっちだったんだ…!」
見渡すと周りはキャッキャウフフと友達とかカップルとか家族連れとかばっかり。そこにぽつんと私だけが立ち尽くし、リア充達は邪魔そうに避けていく。いや、普通に通行の邪魔だったので廊下脇に退けて一人頭をかかえてしゃがみ込んだ。
べ、別に友達いないわけじゃないし…。たまたまタイミング逃して一人になっちゃっただけだし。クラスの誰にも誘われなかったけど、別に嫌われてるわけじゃないし、いやホント。
「あああああ…やっぱり無理言ってでも先輩の後にでもくっついてれば良かったぁ…」
孤独、耐エラレナイ。
かといって1Cの教室に戻るのはリスクがありすぎるし、それに会の皆がまだあの場にいるか分からない。
「もうこうなったら皆にめぐり合うのを期待してぶらつくか。あ、ご飯まだ食べてないし何か食べに行こ…」
ぐぅうう、と健康的にも私の胃腸が蠕動運動した音がした。一人であってもお腹は空く。
犬塚君達も模擬店の方に行くって言ってたし、誰か一人くらいには会うだろう。かなりの確率で。
しかし、現実は想像より非常でそれから1時間強過ぎようとしている何故か一向に知り合いに会わない…。
なにこれ、避けられてるの?皆から避けられてるの?
もうかれこれ屋台系の模擬店メニューの目ぼしいものは全店舗制覇しそうなんだけど。やばくない?なんで私一人でこんなに爆食してるの?馬鹿なの?
「あっれ、鬼丸!あんた一人でなにやってんのよ?ハブられてんの?」
ぐっさりんこー☆と私の心臓を狙い撃ちしたかのように突き刺されて、満身創痍で後ろを振り向くとそこにいたのはすらりと背の高いやや浅黒い肌の女子、ハギっちだった。
「おおーッ!そこにいるのはマイフレンド、ハギっちこと荻原瑞希さぁあんじゃないですかぁ!!ヘェェエエイ!会いたかった!今まさにハギっちに会いたかったとこなんだよぉおお」
「…どうしたの?いつも以上に超うざいんだけど」
あっさりと爽やかにハギっちは毒を吐く。
しかし、こんな些細な事でめげる私じゃない。今は、このぼっち地獄で友に逢えた喜びの方が優っている。
「ハギっちー、私なんか運命の悪戯的な宿命で今一人で彷徨っているんだよ…孤独の戦士として戦っているんだよ、そうかっての一匹狼ダークネス涼のように。一緒にリア充という魔物たちが闊歩するこの校舎を正義の名の元に浄化していかない?」
訳:一人で淋しいので一緒に学祭回ってください。お願いします。
「あ…悪い、あたし今から女バレの店の方に行かなきゃならないのよ」
そうだ、女子バレー部は縁日もやっているんだった。すまなそうに両手を合わせるハギっちにこれ以上なにか言えようか、いや言えまい。さっきまで希望の光がみえてあんなに一人でテンション上げていたのに、もうすでにへなへなと脱力しようとしている。
「そ、そっか。ハギっちも忙しいなぁ…ちょっと私手伝いに行ってもいい?タダ働きとか何でもするんで。ここで働かせてください!ここで働かせてください!」
「嫌だとか帰りたいだとか言ったらすぐに子豚にしてやるからね…って、までは言わないけどあんたの全然知らない人ばっかりだよ。ていうか逆に先輩たちに気を遣わせちゃうから」
「さ、左用か…」
なにこれ、鬼丸哀ぼっちルートは避けられないのか?なんなの、私って今日なにかに呪われてるの?
がっくりしているとハギっちがふと高めの声を出した。
「あ、そういえばさっき沙耶たちに会ったわ!鬼丸がそっちに合流すればいいんじゃね?なんか猿河君のクラス行くっていってたよ。なんか喫茶店で猿河君がすごいんでしょ?しかも、猿河君と写メとか写真撮ってもらったりもできるらしいし。あたしも時間あったら行きたかったなぁ…って、あんた何鬱陶しい顔してんのよ」
すると、なんですか?私がもう少しあそこに意地でも粘って居座ってたら良かったという話?
いや、無理か…そして今から行くのももっと無理だ。
「女バレのお店行っていい?客として!なんだっけ芋団子だっけ?まだお腹に空きがあるし!行くよ!あと、いちハギっちの友人として先輩方に挨拶とかしておかなきゃ!」
「え、冗談。絶対来んな」
「えっ…ハギっち、それなんてツンデレ」
「いや、だから来るなって」
シッシッ、と手を払う動作を真顔でするハギっちにばっきばきに心が折れていった。
「もしかして…実はハギっちって私の事嫌い…?ねぇ、そうなの?そうなんでしょ」
「別に嫌いじゃないけど、あんた今行ったら誰彼構わず絶対うざい絡み方するじゃん。なんかやらかしそうで恥ずかしいからダメ」
「は、はう…」
その件に関しては自制できる自信がないので反論できない。自分でも寂しさのあまりそのまま30分位女バレの店に居座ってしまいそうだと思うもの。
「じゃあ、あたし行くからね。この辺ブラブラしてたら他の奴にも会えるんじゃないの?それに当番終わったら付き合ってやらないこともないから…ん?なにあれ」
ハギっちにあわせて私も後ろを振り返ってみる。
そこにはいつの間にか人だかりができていて、遠巻きに見て中心には人がいるようだ。
なんだろうと気になってハギっちと見に行くとそこには何やら誰かと話している桐谷先輩がいた。しかも何やら険悪なムード。
珍しい。というか見たとこがない。
桐谷先輩に面と向かってこんなにも堂々と対峙している人を。
しかも女生徒。桐谷先輩と同じくきっちり制服を着ていて、腰まである長いストレートの艶艶した髪にバーバリーチェック柄のカチューシャを付けている。前髪は眉毛の辺りでまっすぐに切り揃えられていて、うりざね型の輪郭にきりっとした吊り目も黒目が大きい。要するになかなかの美人だった。
「…人が集まってきている。お互い業務に差し支えも出るだろう。大体、君らが我々にこれ以上何を求めているのか分からない」
眉間を揉みながら桐谷先輩が息を吐いた。一見すごく苛立っているように見えるが多分困っている時にすぐに皺を作ってしまう眉間を伸ばしているだけなのだろう。
「単純な話よ、こっちに体育館のギャラリーのスペースを此方に寄越しなさい」
しかし彼女は気が削がれた様子が見られない。
「それは不可能だ。ギャラリーは明日は来客者の方々も利用する、もう場所を確保している人もいる。僕らの都合だけでどうにか出来るはずがない、君も分かっているだろう。花巻」
「それをどうにかするのが生徒会じゃないの。毎回こっちがどれだけ協力してやってると思っているのよ、少ない予算でいいだけタダ働きさせられてこっちはおかげでまた新しい機材買い逃したわよ」
「放送局の協力には感謝している。多くの学事行事は君らがいなかったら執り行えないだろう。しかし予算は適正に審議した上で規定したものだ。増額を望むのならそれは今ではなく予算会議の時に然るべき要望書を提出すべきだ」
「だから例えで言っただけで、いちいち答えてくるんじゃないわよ!話がズレる!」
花巻、と呼ばれた彼女の後ろで何人かの女子生徒が見るからにハラハラといった感じに見守っている。
私は全く状況が分からないので隣のハギっちに視線を向けてみた。察してくれたハギっちが少し屈んで私の耳に手を当てこっそり話してくれた。
「なんかウチの学校って、代々生徒会と放送局の仲が超悪いらしいよ。ほら放送局って、執行部から独立してるじゃん。それでも色々行事の音響関係の仕事とか担当してるから、妙にプライド高いっていうか色々因縁が積み重なって一触即発な感じらしい」
そ、そうだったのか。放送局という存在も全然知らなかったし。
一触即発かぁ…確かにあちらさんは相当な剣幕で怒鳴ってるからそうなのかもしれない。しかし、桐谷先輩は基本的に温厚だしどう考えても好戦的なタイプではないような。表情も口調も概ね平常運転なようだし。
実情はまったく分からないけど、見た感じ桐谷先輩が一方的に難癖つけて絡まれているようにみえるけど。まぁ、全部即座に言い返してしまってるせいで言い争いのようにみえなくもない、か…。
「それとトランシーバーの周波数も固定しなさい、混線して使いにくいのよ!ドラムも生徒会の余ってるならこっちに回しなさい!それと、桐谷。何が腹立つって、あんたその顔が一番イラつく!なにその余裕ぶった済まし顔は!馬鹿にしてんの!?」
「周波数は此方は変えていないが一応皆に伝えておこう。ドラムは予備で確保している必要があるから全部は難しいが必要ならいくつか貸し出すことが可能だ。顔は…特に何も意識はしてないのだが、一体どうすればいいんだ?」
「知らないわよ!!私に聞くんじゃないわよ!」
ふむ、とひと呼吸おいたかと思うと桐谷先輩は突然筆舌に尽くしがたいようなすごい顔をした。
さっきまで威勢のよかった花巻さんも「ひっ…」と小さく悲鳴を上げたほどだった。
「やばい、遂に桐谷がキレたぞ!」
「逃げろ!皆一先ず逃げろっ危険だ!あの顔は何をするか分かんねぇ奴の顔だぞ!」
「きょ、局長!私たちももう行きましょう!」
「桐谷会長、どどどうか気を収めてください、今回の件は概ね水に流していただけますか…!どうか、学校祭を円滑に進めていくためにも!私たちも全力で支援はするのでっ!」
放送局の二人が花巻さんを連れてどこかに行ってしまったのを合図に、蜘蛛の子を散らしたようにその場に集まっていた野次馬達も去っていく。そして後には、私と桐谷先輩が残っていた。
私はものすごい罪悪感に苛まれていた。
アレ、か…多分先輩は先輩なりに考えて笑顔を作ろうとしたんだろうな。……私がさっき笑顔がコミュニケーションには大切と言ってしまったから…。
「先輩、笑顔の練習はやっぱり5分じゃなくて30分にしましょうか…」と提案しようと思ったけど、立ち尽くしている先輩の横顔を見てたら今言うべき言葉じゃない気がして、渾身のヒップアタックで桐谷先輩に近づいた。
「驚いた。鬼丸君か、また会ったな」
フラットなテンションで桐谷先輩は尻を突き出した体勢の私に声をかけた。
ほら、桐谷先輩は突然のわけのわからん後輩からの理不尽極まりないヒップアタックにも絶対キレたりしないんだからと誰かに見て欲しかったが生憎もう周囲は閑散としてしまっていた。
「先輩!今お仕事中でしたか!?やっぱりどうにも暇なんで付いて行ってもいいでしょうか!なんなら手伝えるお仕事があれば手伝うので!」
「気持ちは嬉しいが今は校内の見回りをしているだけだから手伝ってもらう程の仕事はないぞ。それに、君は友達といた方が有意義な時間が過ごせると思う」
なんでそういうこと言うんだろう。何にも感じてないように平然と。
くるりと背を向けてしまった先輩に向かって、ドスッと重いタックルをかました。
「なっ…」
よろけた先輩が顔だけ振り向いた。そこに少し焦りが見えてなんだか安心した。
「いや、私ぼっちなんで!!私友達少ないんで!完全にタイミング逃しちゃってなので折角の学祭なのに孤独で死んじゃいそうなんですよ!ここは一つこの鬼丸哀を救うと思って!お供させてください!さぁ!さぁああ、何なら私が食べてきた屋台ベスト3教えますから!」
「………」
先輩は何も喋らなかった。しばらく無言で此方を見てさえくれないのでさすがにこれはもう怒ったかとも思ったが、私のシャツの裾を先輩の左手が摘んでいたので多分付いて来てももいいという事だと勝手に解釈した。




