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21:

「うっしゃあああ!1B優勝ぉおお!ファイッ」


「オーッ」


「ファイッ」


「オーッ」


「ファイィイイイ…ゲホッゲホッ……ファイッ」


「…オ、オー…」


円陣の掛け声でむせてしまうほど、テンションが急降下するものはない。なんだか不吉な先行きを示すようだが。


とうとうやって来ました学校祭。


うちのクラスの出し物、「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権オンステージ」は、初日にして絶賛むっちり系男子佐伯君が板を踏み抜いてしまい、ステージが壊れた。

修理してなんとか応急処置はしたが、佐伯君積載禁止令が出てしまった。


「くそー、あんなネタが最後になるとかやりきれないぜ…」


「あんなネタとは何だよ!渾身のネタなんですからね!みんな好きだろ、きかんしゃトーマス!」


お揃いの青ジャージを着ている事からご察しの通り、何を隠そう佐伯君とコンビを組んでいたのはこの私、鬼丸哀だ。ネタはきかんしゃトーマスの名場面集の再現。もちろんナレーション役は私。佐伯君をスカウトしたのは、なんか顔色といい、頬骨の盛り上がり感といい適任だと思ったからだ。


「誰も付いてこれてなかったけどな!ていうか、ジャージのチャック開けてそこから顔出してトーマスなんてtoo cheapだ、子供なんか怖がってたぞ」


「そうだよ、佐伯君が床踏み抜いた時が一番ウケてたよ!子供もお母さんの陰に隠れちゃったよ!佐伯君の顔芸が気合い入りすぎのせいだよ、なんで白塗りまでしちゃう?そこまでならわかるけどなんで唇に紅までひいちゃったの?殿じゃないんだから!ネタ合わせの段階じゃそんな事しなかったじゃん!なんで本番で軽く冒険しちゃう?」


「おまっ、じゃあ本番前にGOサイン出すなよ!人気芸人みたいで大人気間違いなしとかヨイショしまくるなよ!ああ、恥ずかしい!わざわざポケットマネーでドーランまで買った俺恥ずかしい!ちくしょー、二度と鬼丸とコンビなんか組むもんか!FUCK!」


早速コンビ解消。活動期間は準備を含めて三日だった。




相方が積載禁止になってしまい、私は暇を出された。受け付けの当番は午後からだし、沙耶ちゃんとハギっちは部活の方に行ってるし、他の友達とは休憩のタイミングが合わずに先に行ってしまった。佐伯君とはケンカ別れで犬塚君は二日目の事で目に見えてブルーになっていたので土屋君を筆頭とする男子達が「景気付けになんか奢ってやるよ!」と何処かに連れて行かれた。よって私は一人である。ぼっちだ。

高校一年生、学校祭にて一人ぼっちである。死にたい…。

フラフラと行く宛てもなく歩いていると、誰かにぶつかって弾かれた。


「あ、すいません…お前か」


謝ったのに、相手が私だと気付くとすかさず舌打ちしだすその変わり身の速さは何だ。

私がぶつかったのは、クラスTシャツであろう緑のシャツを着た如月さんだった。


「えっ如月さんもやっぱりぼっちですか?」


思わず声が弾んでしまった。一人ぼっち仲間を見つけて嬉しい。


「貴様と一緒にするな。オレは、ほれ、光画部の展示会の呼び込みだ」


そういえば右手にプラカードを掲げている。


「ていうか片手塞がってるんだから、カメラで撮影出来ないんだから置いておけばいいのに。そんな所で無駄にキャラ付けしなくても…」


如月さんは今日も相変わらず一眼レフのごついカメラを首から下げていた。重くはないのだろうか。


「キャラ付けとかバカバカしいな!そもそもこの子はもはやオレの一部だから、引き離すことなんて出来ないんだ」


「この子ってカメラの事ですか…うわぁ」


如月さんってば人をドン引きさせる天才だなぁ。


「まぁ、こんな所で立ち話もなんなんでたまたま暇なんで写真部の展示会見に行ってあげますよ。今回だけですよ?」


「だから写真部じゃなくて光画部だ!まったく何度言ったら分かるんだ。大体貴様のようなプランクトン並みの知性でオレの作品が分かるわけがないから来ても無駄だ、さぁ分かったら散れ散れ。こっちは貴様と違って忙しいんだ」


なんでこういけしゃあしゃあと憎まれ口を叩けるのか。ある意味才能だと思うのだが。


「あれ?」


うちの学校祭は一般人も入場可である。ほとんどが父兄なんだそうだが、その中でもいつもよりずっと学校の中に人がいるように見えて驚く。その中で、見知った集団を見つけて如月さんを放置し駆け付けた。


「あ、杉田さーん!それに皆も!なんで揃ってるんですか!何も聞いてないですけど!?ハブられてるんですか、私は!?ハブリーッシュ!?」


杉田さん、石清水さん、それに高橋・鈴木コンビ。親衛隊の皆がいた。

猿河君に嫌われたから暫く活動自粛すると言っていたはずなのに。


「違うのよ…これは。ねぇ?」


いや、違うって何が。そんなに焦らなくても。


「ほら、偶然…偶然ばったり会ってしまったというか。ほんと吸い寄せられるように…」


ふと石清水さんが顔を逸らした方を見てみると、でかでかと書かれた「1C執事喫茶」の文字が。

あれ、1Cって…それにこの教室から既に溢れんばかりの人。ていうか女子ばっかり。


「お帰りなさいませ、お嬢様…あれみんな?来てくれたんだ?」


入り口から出迎えきたのは猿河君だ。

猿河修司が金髪をオールバックにして白シャツに燕尾服を着て、銀色のトレーを持っている。しかも眼鏡着用。

この暑い中、なぜかむさ苦しくなく逆に涼しげ。

うわぁ、すげーな。なんかナチュラルに薔薇の幻影背負ってるよ…。なにあれ新手のスタンド使い?

そうか、分かったぞ。この気合いの入りようは客寄せパンダか。


「あ、あの修司!す、すごく似合ってわ!」


杉田さんが大興奮していた。石清水さんなんて鼻血を出してしまった。高橋さんがティッシュ持ってて良かった。


「ありがとう、あれ…そこの人は?」


猿河氏がわざとらしい顔で首を傾げた。振り向くと私のすぐ後ろに如月さんがいた。私のジャージの裾を掴みなにやらジト目をしている。


「あれ、如月さんまだいたんですか?プランクトン並みの知性の奴にまだなにか用があるんですか?」


「……。」


「いや、そんな捨てられた犬のような目で見られても全然可愛くないです」


丁度テーブルが空いているらしいので、鬱陶しいし如月さんの紹介くらいはしてやる事にした。


「二年の如月さんです。写真部です」


「えと…き、如月圭吾です。誕生日は9月24日、血液型はAで、好きな花言葉は…マーガレットの、真実の愛…です」


いや、「写真部じゃなくて光画部だ!」のツッコミは?

しかも無駄な情報が多いな。名前以外どうでもいい。花言葉ってなんぞ。


如月さんの顔はまるで茹で蛸、目の焦点が合ってない。挙動不審だし眼鏡曇ってるし。絵に描いたような挙動不審。あれ、この人ってこんなキャラでしたっけ。


「如月、桂吾です」


なぜ二回言った。


すっかり忘れていたが、如月さんは杉田さんにホの字らしいのだ。多分隠し撮りした写真を持ち歩き、猿河氏にハニトラを仕掛けて陥れようとするのも、愛でる会の解散を目論むのも、結局それが理由らしい。そもそもこれが初対面らしいし、如月さんがどういう経緯で杉田さんを見初めたのかは謎である。


「お嬢様、紅茶をお注ぎしますよ」


「や、やだ。お嬢様なんてそんな」


残念。総スルー。

猿河君が紅茶を淹れる姿を食い入るように杉田さんは見ているので、そこに如月さんが映り込む隙は皆無。ちなみに負傷(鼻血)した石清水さんはこんな姿を猿河君に見せられないとどこかに行ってしまった。

そして猿河氏、なんで私にだけ無言で水を出す。なに、嫌がらせ?「召し上がり下さい、お嬢様」くらい言ってよ。ちょっと楽しみにしてたのに。


「猿河くーん!こっちにも来てー!」


黄色い悲鳴が上がり、猿河君が笑顔で振り向き「では、行って参ります」と丁寧に礼をして呼ばれた方に向かった。


「どうどう。抑えて、会長。ほら、高橋さんもカップを構えない。猿河君もアレ仕事なんですから」


「わ、分かってるわ…私も同じ轍を踏むほど愚かではないわよ」


「猿河君やっぱり特に怒ってなかったでしょ?」


「そうね。しかも気を遣って修司から声をかけてくれるなんて。やっぱり優しいのね」


「……そうっすね…へへっ」


真実の姿なんて誰も知らないほうが幸せに違いない。幸せそうに紅茶を啜る3人の顔を見比べながら改めてそう思った。


「これからも修司がのびのびと学校生活を送れるように尽力しましょう!」


「そうですね、会長!修司はわが校の、いや日本ひいては全世界の宝!猿河修司を保護することこそ私たちの使命です」


うーん、個人的にそれは言い過ぎだと思うけれど。

なにはともはれ、親衛隊の皆が元気になってよかった。杉田さんなんて会ったばっかりの時は怖い印象しかなかったり、参加してからも他の皆の異様な情熱の向け方にびびったりもしたけど実際の所は真面目で仲間内の団結力が強い。私みたいに何かにつけて抜けようとするサボリ魔でもある程度は寛容してくれるし、仲良くしてくれる。私にとって十分居心地良い場所になりつつある。

たぶん猿河氏は特に何も考えずにした行動だろうけど一応お礼を言っておこう。


「ええ、そうです!その通り!あなたもそう思いますよね!?えーと、木更津さん?」


興奮しきった杉田さんがとうとう視界に入ったらしい如月さんに同意を求めた。

如月さんはビクッと肩を震わせ「は、はい!思います!」と答えた。


いやいやいや。如月さんの立場でそう答えちゃだめだろ。打倒・猿河修司!なんですよね?

ていうか、まず木更津を訂正しましょう。アナタ二回も名乗ってたじゃないですか。


「…あの、一ついいですか」


ガタッといきなり如月さんが立ち上がって声を発した。

お?てっきりこのままヘタレ街道まっしぐらだとおもったのに、如月さんはなにやら覚悟を決めた顔で杉田さんを見下ろしていた。

漢、如月圭吾ついに行くか?固唾を呑んで見守っていると如月さんはおもむろに胸のカメラを軽く構えて言った。


「写真を撮らせてください!」


…そっちかーい!さては如月さん、前に私が「隠し撮りですか、それって犯罪ですよ」と発言した事をひそかに気にしていたな。


「ぶ、部活の作品として使いたいので、決して、決して!邪な事には使用しないので!あの…お願いします」


「いいですよ?」


あっさりと杉田さんは涼しい顔で答えた。

えぇーっ!と思わず私が驚いてしまった。絶対不審者か変質者扱いされると思ったのに。




「あ、じゃあ撮りますよ…。はい、チーズ」


カシャッと軽い音がする。

写ったのはピースサイン付きの杉田さんと、高橋さんに鈴木さん、あと私、そして気まぐれにこっちのテーブルに戻ってきた猿河氏。撮影者は如月さん。


「ありがとうございます、あれ?なんだろうな何故か涙が止まらないなぁ…」


杉田さんの写真だけが欲しいのであって、集合写真を撮りたいわけじゃないんですと言えない所が如月イズムだよなぁ…。


「作品に使うならもっと沢山あった方がいいですよね。他の人達にも頼みますか?」


「え…あの」


「皆さーん、写真部の方が撮影させてほしいそうなんですが協力して頂けないでしょうか?」

「えっ、えっ」


「こちらの如月さんが学祭の様子を撮影したいそうです、ですよね?」

「あっ、はい…」


あっ、はい…じゃねーよ。

いつもの無駄に偉そうな態度はどうした。しかもポッと顔を赤らめてる場合か。何この状況下でときめいちゃったの?


「あの、すいません。如月さんそういえば呼び込みの途中だったのでは…ぎゃあっ!」


さすがに如月さんを見ていられなくて助け舟を出そうとした時、急に冷たい感触に叫び声をあげてしまった。思わず腕を上げてしまったのでコップが倒れたので中身の水も溢れていく。


「大丈夫?!鬼丸さん」


私のすぐ横にいた猿河君が布巾で私の服を押さえた。机の上でグラスが倒れた程度では到底飛ばない位置の濡れた部位を隠すように。


「何やってんのよ、鬼丸。ほんとあんたはそそっかしいわね」と杉田さん。


「もー、いちいちハプニング起こさないといけない病気なの?」「子供じゃないんだからもう少し落ち着いた方がいいと思うわ」鈴木さんと高橋さんが肩をすくめた。


「どうした。はやくも更年期障害か、ふっ」と鼻で笑ってる如月さんは絶対に許さない。絶対にだ。


「うーん、大分濡れちゃったなぁ。この服のままずっとは可哀想だよね、着替え貸すからちょっと来てくれる?」と白々しい猿河氏。


グラスに入っていた水は半分くらいしか残ってなかった。

それも殆どテーブルに広がっただけだし、私の太腿に少し溢れただけで済んだだろう。本来なら。

私のTシャツの腹部の色が主に変色するほど濡れてしまうわけがない。

猿河氏はさっきまで持っていた水差しをちゃっかり片して、私にだけしか見えない角度で邪悪にほくそ笑む。


「鬼丸なんてほっといても大丈夫よ、修司がそこまでする必要はないわ」


「いや、女の子にこんな格好させたままになんて出来ないよ。俺にも近くにいたのにフォロー出来なかった責任はあるしね」


いかにも紳士然としているが、化けの皮一枚剥がせばそこに見紛うことなき悪魔だと断言できるのは悲しい事に私だけ。


「いや、真犯人はあん…ふがっ」


ほら行こう、と私の前に立ちふさがりそのまま肩に顔を押し付けられ引き摺られるように連れてかれた。

「なにあの女。猿河君にあんなに馴れ馴れしく…」とか「鬼丸…磔刑決定ね」とか胃が爆発しそうな言葉が聞こえたような気がしたが、今の私にはどうにもできないので胸で十字を切るしかなかった。





「えっ、ちょちょ、何ここ!?何ここ!?旧校舎じゃん、人いないじゃん!ていうか学祭中は立ち入り禁止じゃん!うわぉ!!」


文字通り担がれ、ポイッとどこかの教室に放り込まれた。

体育館を抜けて渡り廊下を過ぎると旧校舎に繋がっている。当然電気は付かないしので薄暗い。あと埃だらけで汚い。幽霊でも出てきそうで怖い。ホラーは嫌いだ。

それでも教室内は窓の光が入ってきているので廊下よりはものが見えるのはありがたい。


「大体なんで鍵持ってるの、いや律儀に締めなくていいよ!むしろ全開で!ドア全開で」


「僕が控え室に借りてるから。普通の教室だと確実に服とか私物盗まれるし」


ドアの鍵をしっかり締めながら猿河氏が答える。

本能的になにか不穏なものを感じて私は後ずさった。それに合わせるようにじりじりと猿河氏が近づいてくる。

とうとう教室の角まで来て背中が壁にぶつかる。猿河氏がにじり寄り、あっという間に目の前に迫ってきた。いつもの事ながらさっきの好青年風イケメンはどこにいった…。


「は、話せば分かる…」


「はぁ?何か話す事でもあるの」


伸ばされた手にびくぅ!と震えていたら、その手はひょいと私のすぐ脇にあった紙袋を掴んでそのまま中を探り、やがて私になにか布っぽいものを押し付けるように手渡した。黒地のTシャツだった。


「多分それ着ることないだろうから貸してあげる」


あ、意外にもちゃんと着替えの事考えてくれてたのか。濡らしたのは猿河氏だけどな。


「ありがとう…あれ、クラスTシャツじゃないんだ」


「誰が着るか、あんなダサいもの」


白い犬歯を見せて忌々しそうに言い捨てる猿河君はものの見事にデビル。ほんとこの台詞を全校生徒に聞かせてやりたいわ。


「ていうか、猿河君。なんでこんな事したんすか…いじめっすか」


それもあるけど、と猿河氏は眼鏡を外したが「伊達メガネっすか?」「うん、クラスの子にかけろって渡された」「猿河氏ってメガネ結構似合うんだね」「結構じゃないよね。物凄くの間違いでしょ」というやり取りがあり、猿河氏はまた眼鏡をかけ直した。今日もナルシズム絶好調のようだ。


「僕、シフト的にこうでもしないと休み取れないから。昼休みすら無しでずっと働けっておかしくない?他の人もうニ回くらい交代してるんだけど。しかも、実行委員の仕事もあるって言ってるのに無理矢理生徒会にかけあって免除するように頼んで認められちゃったからね。しかも結局それを桐谷先輩に頼んだのは僕だよ?面と向かって先輩に意見言えるほどの度胸がないんだったら、最初っからやるなよって話。あー腹立つ」


「なんか猿河氏も色々大変なんだね…うん、お疲れ」


でもだからって無関係の私を巻き込んでいいってことではない。


「それにあんただってあの場に居たくなかったでしょ?あんなあからさまじゃ、全然相手にされてないって丸分かりだし。ざーんねんでしたー、ざーまーあー」


「えぇ…何なんのこと?」


「なに今更とぼけてるの、何ってあいつだよ。あの如月とかいう芋男。アレ、杉田さんに惚れてんでしょ。あんた立場なくてあんまりにも惨めだから連れてきてあげたのに、感謝の言葉すらないの?」


「猿河氏でさえ名前覚えてるというのに如月さん……じゃなくて!やっぱりまだ勘違いしてない!?違うから!いや、如月さんが杉田さんを好きらしいのは嘘じゃないけど別に私は奴をどうも思ってないですから!なんで!?どこに誤解する要素あった?WHY?私だってもう少し理想は高いわ!」


「だって、この僕がいるのにずっとアレの事心配そうに見てるし」


「それはあまりに如月さんがヘタレすぎたのとツッコミ所満載だったからだよ…ほら、あまりにダメな子ってなんか応援したくなるよね。ああいうのだよ…別に応援はしないけど」


へーぇ、と尚も疑わしく半目で私の顔を凝視する。ていうかそんなに顔近づけないで欲しいんですが。これじゃあ呼吸も出来ない。


「なら、別に如月には無関心だと?いつ切っても何ら問題のない人間ってことなら、もう捨てちゃっていいよね。…なにブサイクな顔してんの、こっちは真面目に喋ってるのに」


「いや、い、息できなくて、ちょ離れて…」


「はぁ?息?普通にすればいいじゃん、なにやってんの」


顎から顔を掴まれて、強制的に口を開けられる。そしてそのまま上を向かされ軌道を確保され「ほら吸って、吐いて、もーいっかい」と呼吸を促される。いや…普通に離れてくれればいいんですけど。


「息、出来た?これで良い?」


なんで良い事してやったみたいな顔してるのか全然分からない。


「…私の、人間関係に干渉する権利なんて猿河君に、ないじゃないですか」


全然離してくれない顎を固定されたままの姿勢で喋る。当然ながら非常に話しにくい。

眉一つ動かさないでじっと此方を見下ろす猿河君に本当に私の言葉が本当に届いたのか不安になる。


「あの、猿河君?」


「物覚え悪いよね、本当に。あんたは僕のなんだっけ?」


…これは怒っているのか。口角だけは上がってるけど、そんなにも険しい目をしているので。


「もう忘れちゃったんだ?お馬鹿さんだもんね、仕方ないか。奴隷(ペット)ならそれらしく主人の言う事を聞いてればいいんだよ。分かった?」


「あの、あの猿河君!私そろそろ着替えたいんですがっ!猿河君も教室にもう戻らないとっ、皆待ってるって。よっ、日本を代表するイケメン執事様!私もトイレかどこかで着替えなきゃだし」


このタイミングで頷いてしまったら一生戻れない気がして、無理矢理にでも話題を逸らした。

猿河君がようやく手を離してくれたのと入れ違いで、思い出したように心臓がばくばく拍動しだした。


「ここで着替えなよ。早くしなよ、濡れたままじゃ気持ち悪いでしょ」


「え?え?じゃあ猿河君が出てってよ」


「やだよ、なんで僕が出て行かないといけないわけ?ほら脱げないなら手伝ってあげるから」


平気な顔で私のシャツの裾を捲り始めた猿河氏にぎょっとして、大慌てでその手を制した。だがちょっと触っただけで筋肉の束が詰まっていると分かるような腕を食い止める事ができようか。


「や、いい!それはいい、結構ですって!危ない!危ないからだめだって」


「何が危ないって?」


「色物だからキャミソールとかじゃないし(いやそれでも問題あるけど)、普通に下は下着だから!よく考えてみてみ?そして取り敢えず離れよう、そうしよう。仮に例えここで脱衣する事態になったとしても一人でやるから。猿河君の介助が必要になる事は無いから!」


「ブラ付けてるんならいいんじゃない。何か問題ある?」


「ありまくりだよ!!そんな勿体ぶるようなものじゃないかもしれないけど、私にだって恥と矜持と倫理観くらいはあるよ!だからそんなセクハラは許されないんだって!」


「でも、嫌ではないんだ?満更ではないって顔してる」


「してないよ!?全然してないって、都合のいい解釈にも程があるよ!ぎゃあ、待って今どこ触った!?ていうか揉んだ?揉んだよね?これ入ってるよね、手ぇ!」


「うるさい、騒ぎすぎ。空気読んで大人しくして、いい子だから」


信じられないほど近くに寄せられた綺麗な顔に、途方に暮れて泣きたくなる。何がなんだか分からなくて表情を読み取るのさえ難しい。よって猿河君は何が楽しくてこんな事をするのか理解できない。楽しいのか?

ただこのまま流され続けると大変な事態になるという事が私にも分かっていたから、腕の侵入を食い止める。が、強い…。相手の力が強すぎる。なにこれ、この人は私と同じ人間なのか!?せめてこれ以上の接近を避けようとお互いの体の間に膝を折って押しのけ、それでも押し負けそうになってひねりながら力を入れて我武者羅にもがいた。


「……!……!」


突然、猿河君の動きが鈍った。そのまま前に押せばさっきの力の差が嘘みたいに、相手の体があっさり後ろに退いた。やや前屈みになりながら頭は俯いたまま文句の一つも言わない。但しよく見ると小さく打ち震えている。え、何が起きた…?


そういえば、さっき抵抗してる時に膝小僧になんかやたら熱いものが触れたような。そしてそのまま全身全霊の力で押しのけたような。

まさか、あれは、噂に聞いた謎の怪球X…?


「なんかごめん!じゃあ私はこれでっ」


多少の罪悪感は感じつつ患部の状態を確かめずそのまま放置して、窓を開けてそこから脱出した。

一階で良かった。難なく着地し、そっと後ろを振り返ると窓枠に掛かった五本指。


「えっ…」


次いでかかる靴。はみ出て覗くスラックスの膝と腕まくりしたワイシャツの肘。


「うわっ、屍鬼人(ゾンビ)だ…!!」


これは今度こそ捕まったらやばいと判断し、全力疾走で逃げた。

行く宛が全然決まってないけど、人の多い所に行けば多分助かると思い駆ける。

しかし出た所はどうやら中庭で旧校舎の間取りなんて知らないしどこが出口に近いか分からない。適当なドアから旧校舎の中に戻って、一人薄暗い廊下を走った。

必死に大手を振って走るも、足が付いていかず焦る以上には走れない。いきなり走るものだから肺が痛い。


「なんかっ足音近づいてるんですけど…怖いんですけどぉ」


ていうか時間差的に私がどの方向に逃げたのか分からなかったはずでは?そもそも距離的にハンデがあったはずなのに、撒くどころかなんで確実に距離を詰めていけるのか。なにその無駄な脚力と体力。そんな所で元サッカー部の本領発揮しなくたっていいんじゃないかと思うんだよ、私は。


「うあっ、もう無理ぃ…」


下っ腹の痛みとかもはや痛くなってきた太腿の筋肉とか、色んな要因でこれ以上長く走れそうにない。

しまいには足がもつれて転けた。


「そこで何をしている?」


ふと、人の声がして驚いた。思わず顔を上げるとそれはよく見知った人物だった。





間もなくして誰かがこっちにやってきた。

その人は立ち止まり少し呼吸を整えてから、彼に話しかけた。


「あれ、桐谷先輩?こんな所にいたんですか」


「ああ。景品の運び出しする所だ。これが最後の一個で今から本部に向かう。猿河君はここに何をしに?」


「ちょっと人探しを。桐谷先輩、一年の鬼丸哀ってご存知ですよね?こっちに来ませんでした?」


「僕は見ていないが?しかし、一般生徒が立ち入るのは問題だな。分かった、僕が探しておこう。何か要件があるのなら伝えるが」


「…いや、特には。やっぱりいいです。それより、その段ボールって景品ですか?運ぶの手伝いましょうか」


「その為の台車だ、問題ない。それに君は確かクラスの模擬店の方で忙しいのではなかったか。此方はいいからすぐ向かったほうがいい」


冷静な桐谷先輩の言葉に相手は少し沈黙し、やがて分かりましたと答えた。

「くっそ、次見つけたら最低でもナマ乳は拝んでやる…」という恐怖の捨て台詞を残して。



「…鬼丸君、もう出ても大丈夫なようだ」


段ボールの封を先輩が開けてくれたので体を起こして這い出る。ソリッドスネークもびっくりの隠匿術である。まさか無事に逃げきれるとは思わなかった。それもこれも桐谷先輩が、ろくに説明する時間も無くテンパりながら「匿って下さい!」と頼んだ私に二つ返事で引き受けてくれたおかげである。


「ほんとうにありがとうございます!!このご恩は一生忘れません!」


起立して深々と頭を上げてくると、「大袈裟だ、そこまでしなくていい」と先輩が困っていた。


「先輩はいい人ですよね。もう、私の味方は桐谷先輩だけです…」


地獄に仏とはまさにこの事だと、なんだか感動して目元が水っぽくなってしまう。

他の人なら絶対私と猿河君なら後者の言う事を信じるに違いないもの。こんなに無条件に私を信用してくれるのはきっと桐谷先輩だけだ。


「…それは、君が僕の味方でいてくれるからだと思う」


「え?」


「ただの独り言だ。念の為、教室まで送ろう。これを片付けるので少しだけ付き合ってくれないか」



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