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まぁ、学祭準備もそこまで慌てるほどでもなく滞りなく進んでいて私の出る幕はまったくなかったので時間通りに下校することになった。というか「いいからお前は、犬塚を死ぬ気で説得しろ!」と言われ半ば放り出されるように学校を出た。どういう風の吹きまわしか、暇ならウチ来いと言われて犬塚君と一緒に帰った。
「で、私をおうちに呼ぶなんてなにかあったの…まさか、この私にこっそり女装のやり方を聞いておきたいとかそういう…?ハッ、違いますからね!わたくし、正真正銘のおなごですからね!これ変装じゃないよ!そもそも付いてないから!」
「知ってるわ!それにそんなもん、聞くかボケが!!」
なんだ、違うのか。それにしても、そんな一々額に青筋立てて怒鳴らなくても。
たぶん、女装という言葉に相当敏感になっているんだろう。ちょっとしつこく誘いすぎたか…。しかし、私だって頼まれてしていることだけに焦る。その匙加減がバカには難しすぎるので誰か変わってほしい。
「ミスコン…どうしても、だめっすか?全く1ミリも出る気なし?」
私より少し前を歩く犬塚君の背中に向かって質問する。
車通りの少ない時間帯なら歩道を歩きながらでもきっと声は届く。
「ないな。絶対出ない、諦めろ」
「そこをなんとか!クラスを助けると思って!犬塚君の働き如何で総合一位になれるかもしれないんだよ」
「知るか、他で頑張れよ」
「出たらほんと犬塚君、ぜったい優勝間違いないよ!学校中、いや全国探したって犬塚君みたいな美人いないんだから出ないと損なくらいだよ!」
「一応聞くけど…それ褒めてるつもりか?」
「褒めてるよ!!そりゃあ、もう全力で!」
「そうか。ならもう黙れ」
ぐぬぬ…なんだ、この無駄なガードの固さは。手強い。全然折れる気ゼロだ。
こういう時こそ、甘ちゃんを発揮してほしいものだ。
「なにが、そんなにいやなの?人前に出るから?可愛い可愛いって言われるから?」
「みっともないからに決まってる!全校中で馬鹿にされて平気なやつがいるか」
「みっともなくないし、馬鹿にするわけでもないって。単なる学校行事だよ、それで多少ハメ外したって誰もなにも言わないよ。きれいな顔してるんだしいいじゃん、それくらいクラスで貢献してくれたって。これに参加すればきっと皆とだって距離が縮んでうまくやっていけるかもしれないし」
「別にうまくなんてやっていかなくてもいい」
犬塚君、と呼んでも返事は返ってこない。
歩く速さも変わらない、相変わらずはやい。短足の私は一生懸命ついて行こうとするけど、微妙にどんどん間が開いていく。
「俺のことはほっといてくれ。やるなら他がやってくれ、恥を晒すくらいなら一人でいたほうがましだ。いままでだってそうしてきた。認められる必要も輪の中に入る必要もない。その代わり、俺もお前らに協力はしない。孤立して結構、チワワでもなんでもいくらでも好きなだけからかえばいい」
どうして、そんなこと言っちゃうのか。
なんでそんなに頑ななのか。私よりは確実に頭がいいはずなのに、なんでそういう偏った考え方をしてしまうのか。
「お前もあんまり俺の周りをうろちょろすんな。別にお前なら誰だって構ってくれるだろ、俺といたらお前だって何か言われるぞ」
「私は犬塚君と仲良くしたいから一緒にいるんだよ!別に何か言われてもいいし、ついでにいうなら皆にもっと犬塚君の良さを分かってもらいたいって思ってる!」
「は…?また余計な事を」
くるりと犬塚君が顔だけこっちに振り向いたのと私が犬塚君のワイシャツの生地を捕まえたタイミングは、奇しくも同じだった。
「かっこつけないでよ!チワワ顔のくせに!」
「あ゛ぁ?!」
犬塚君がさっきいくらでもチワワでもなんでも言えば良いって言ったから、面と向かってチワワ呼ばわりさせてもらう。すごい勢いでメンチを切られたけど、怯まない。どうせ犬塚君は女子に手を上げたりどうこうするなんてできない。
「誰だって完璧なわけないじゃん、弱みくらいいくらだってあるしそれがあるからピースが嵌るみたいに他人と付き合えることが出来るんだよ。なんの引け目も弄り所のない人なんて一緒にいて緊張するだけで面白くないよ!犬塚君がそんなに自分の顔や名前を気にしているのは知ってるよ?だけどそんなのはもう個性っていうしかないじゃん、隠してたって隠しきれないものじゃん。どうせこの先どうやったって影で言われるんなら、今から認めてネタにしちゃった方が楽だと私は思う」
これは完璧に私の持論で、ぜったいに正しいと聞かれたら頷けない部分はある。
だけどそれでも口に出したのは、犬塚君にほんの少しでも自分の意思を揺らがせる機会を作りたかったからだ。
「それに犬塚君、前に皆の事羨ましいって言ってたじゃん!馬鹿やれて羨ましいって。じゃあ、混ざってやればいいじゃん!高校生活、いつはっちゃけるの?今でしょ!」
両腕を犬塚君の前に投げ出し、中腰になる。林先生、私に力を貸して下さい。
「それこんな街中でやって…恥ずかしくないのか」
「ぜんぜん!!」
これでもかってほど即答してやる。恥などくそくらえである。
暫く犬塚君はじっと眉根を寄せたまま私を見下ろし、私も他に言い足す事は思いつかなかったのでそのまま犬塚君を見つめ返した。数十秒間睨み合う形で時間が経過した。そりゃあ居心地が悪いどころの騒ぎじゃなかったが、ここで目を逸らしては負けだと思ったので我慢した。何に負けるのかは具体的には不明だけど。
「……お前、やっぱすげーわ」
ふー、と犬塚君が長く息を吐いて一人呟いた。
その表情からはもうこわばりが取れている。なんだか私もほっとして肩の力が抜けた。
「じゃ、じゃあミスコンに出る気になった!?」
「出るか、どあほう。都合のいいように勘違いすんな」
なんだよー。今の漫画やアニメなら改心するシーンじゃないか。
ガード固いなぁ、もう。
「でも、私はこれだけは断言するよ。犬塚君はぜったいどうやったって一人になんてならない。そういう運命の元に生まれてるから」
「は?運命?」
「運命だよ。一人になんてならない、孤立ならない。ほんとにほんとうに一人になるのは、誰にも見てもらえないのは辛くて悲しいことだから、もしも犬塚君が一人になりそうでも私が阻止するし、それを犬塚君が止めることは出来ないよ」
「…意味が分からない」
運命。
そういえばむかし誰かもその言葉を言っていた。誰かは誰だと聞かれるとぜんぜん全く分からないのだけど。
"運命はサイコロの目じゃない、確かに前もって誰かに決められていて変えられない。変えられたとしても、それは罪だから背負えないほど大きな代償が伴う”
思い出せない。
◆
「おじゃましまーす、うわぁ約一カ月ぶりだわ~なんにも変わってなーい」
「当たり前だ、そんな頻繁に模様変えするわけないだろ」
なんかよく来ている言い方をしてしまったが、犬塚邸にくるのは実は二回目である。
相変わらず、とても新しいとは言えない木造建築のアパート部屋なのに細々としたものまで綺麗に整理整頓されている。多分犬塚君の努力の賜物だろうと思われる。
「だれもいないね、昴君たちは幼稚園で、裕美子さんは今日も仕事?」
「いや、今日は休み。丁度、チビ共迎えにいってるんだろ」
「へぇ。わぁ、久し振りの家族団欒だね」
「なんだ、その痒い言い方は…」
「そう?あ、そういえば結局何で私を呼んだか聞いてないんだけど」
「そうだった。これだ」
犬塚君はキッチンの方まで歩き、冷蔵庫から何かを取りだしまた戻ってきた。
大きなスイカを抱えながら。
「店のお客さんにスイカ農家の人がいたらしくて、もらってきやがった」
「うっわ、これすっごい高い品種じゃなかったっけ」
つやつやと黒光りしている大玉の西瓜にちょっと恐れを抱きつつ、犬塚君に尋ねた。
「ああ、一応規格外のやつらしいけど」
見たところ目立って傷は見当たらないけれど。とっても美味しそうな食べごろのスイカである。
「…私に、このような代物をどうすれと?」
「食ってけ、もしくは持ち帰えってもいい。裕美子は喉痒くなるから手を付けないし、チビはアイスばっかり食べてるしウチじゃこんなに食えないんだよ」
「まじで!?やったー!」
両手離しで大喜びした。西瓜は好きだが、なんとなく機会が無くてもう何年も食べていなかった。
「あ、そうだ!私アレやりたい、アレ。やったことないんだよ」
「アレ?」
犬塚君が首を傾げ、私はムフフと含み笑いで返した。
「あー、うーん…もうちょっとキツめにお願いー。あぁ、それじゃキツすぎるよ。痛い痛い」
「注文が多いな、キツいくらいが解けなくていいんじゃないのか」
決してSMプレイを急にやりだしたわけではない。
縛っているのは目からその後ろにかけてで、縛っているものはロープではなく豆絞りだ。
「室内でスイカ割りしたいなんて変な奴だな。普通、やるなら砂浜だろ」
「フフフ、そういうちゃちな常識に囚われない女なのだよ。私は」
そうスイカ割り。割りといっても本当に割るつもりはなく、持っているものは犬塚君に借りたすりこぎ棒で叩くだけ。
ずっとやってみたかったのだ。
何しろスイカ丸ごと手にすることがなかったし、泳げないから海にも行かないのでもうずっとこの先一生やらないものかと思っていた。
「おい、なにずらしてるんだよ」
「ち、違う違う、ズルしてるわけじゃないから。いや、なんか据わり悪いくって」
「ああ、少し皺たかってるからな。直してやるから、ちょっと待て」
絶対だめだと言われると思ったのに、意外と犬塚君は協力的だった。
わざわざピクニックシートを敷いてその上にスイカを乗せたのは犬塚君。別に本当に割るわけではないので、完全に雰囲気作りだけである。
「よし。これでいいか」
「ありがとう!じゃあやってみるね」
よいしょ、と立ち上がって歩いてみる。
いざ視界が奪われるとなかなか不安になる。
「もうちょっと右だ、それは行きすぎ」
「え、えっ、こう?こっち?」
そしてけっこう難しいぞ、スイカ割り。
こんなちょっとの距離ならすぐ見つけられると思ったのに、なかなかどうしてスイカまでたどり着けない。
「あともう少し進んで…そう、そこだ。叩け」
犬塚君、こうやってスイカのありかまでナビしてもらうのはズルではないのか?
その辺のルールはいまいちよく分からないが、スイカが間近ということなので私は腕を振り上げた。
「「おにーーーー!なんでいるのー?なにやってるのーーー?」」
どすどす、と脹脛に質量のある何かが二つぶつかった。
全然予期していなかった攻撃に私はバランスを崩した。たぶんちょっと衝撃で滞空した。
「あ゛ー!こら、あー君、すば君!邪魔しちゃだめって言ったでしょ!!」
裕美子さんの声が聞こえる。
あ、お久しぶりです。元気そうでなによりです。…ところで、邪魔ってなんですか。
そして私は床に落ちた。しかも顔から。
がち、と歯が床に当たって痛かった。しかし、それ以外は別に強い衝撃は感じなかった。
「あいたたた…」
むくりと起きあがって、なんか違和感を覚えた。
はらりと豆絞りが勝手に落ちた。犬塚君の上に私が馬乗りしていた。庇ってくれたらしい。どうりで体が痛くないはずだ。
「あれ、犬塚君」
犬塚君が珍しくぽかんとした表情をしている。どうかしたのか。
ん?なんで口を押さえているのか。くち?
「………えっ」
もしかして、床だとおもったアレは、なんかぐにゃっていう変な感触の生温かいアレは、もしかして犬塚君のアレであって……あれ?それはもしかして。
「おかーさんあれチュウしたの?ねぇ」
「うわー!チュウだ!チュウしたぁ」
「み、見てないからっ!全然見てないよ!全然ばっちり見てないからっ!ねっ、えへへー」
あ、これは確定ですわ……。




