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それから私はしつこく犬塚君にミスコンへの参加を薦めたのだが、尽く玉砕。
クラスの皆は期待するような気持ちでこっちを見てくるし、心が折れそうになる。否、もう折れてくるのかもしれない。
そんなに嫌か、女装。
けちけちしなくてもいいじゃんか。
真っ先に名前が挙げられる美形なんて羨ましい限りだよ。猿河氏ほどとは言わないけど、もうちょっと自惚れればいいのに。奴なら乗せられればいくらでも調子にのるぞ。
「鬼丸、あんた暇?」
男子たちとなにやら話していたハギっちが突然振り返って、私に聞いた。
教室では漫才ライブのためのステージを制作中だ。誰が設計したのか結構複雑な構造のもので、不器用&集中力ブレーカーな私はお祓い箱で教室の隅でいじいじしている。with犬塚君(寝)。犬塚君に至っては最初からクラスに貢献しようという気は更々ないようで最初から机に突っ伏している。そのふてぶてしさに私なりに思う所があるので、犬塚君の旋毛を親指でぐりぐり刺激した。犬塚君はハエを追っ払うように右手を振るが、優しさか眠気と戦っているせいか不明だが力が入っていない。
「暇なら、ちょっとホームセンターでハケとペンキ買ってきてくれない?荷物持ちに犬塚も」
あぁ?と頭を伏せたまま犬塚君が声を出した。
◆
「…犬塚君、そんなに嫌なら誰か別の人に頼むからいいんだよ」
別に、と犬塚君の背中がむすっとした声で返事をした。
自転車の上、二人乗りで。漕いでるのは、はるか・犬塚。絵ヅラ的には非常に一昔前の少女漫画的なのだが、ドキドキするとかときめくとか以前に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。お、重くないっすか、犬塚君。私汗臭ないっすか、なんなら8×4とかその辺のコンビニで買って振りかけてくるんで。むしろ原液を浴びてくるんで。ひぃい…。
自転車通学をしている人に借りたはいいが丁度借りれたのが一台だけだった。
金槌で木片をコンコン叩いて一生懸命作業していたり何やら話合っているなか「自電車もう一台貸しておーくれ」と言っても、ただただ黙殺されるばかりだった。犬塚君と私、一台の自転車の鍵を見つめ暫く無言。そのままつっ立ててもしょうがないと、とりあえず自転車置き場に行き目的のママチャリを発見、「どうするよ、誰が漕ぐんだよ」という相談無しにさっさと犬塚君がサドルに跨りそのまま私は歩けとペダルを漕ぎだした…のではなくただ「乗れ」と一言言い放った。後ろのハリガネみたいになっている椅子に座って乗れと。えぇーと勿論戸惑ったが、早くしろと急かされてまんまと乗ってしまった。
「二人乗りって犯罪なんだよ、知ってる?こんな堂々と走ってていいの?やっぱ私歩いた方が良くない?」
心身ともにこんな乗り心地の悪さを味わうくらいなら、たとえホームセンターまで走っても構わないとさえ思う。まだふらついてはないが、なんだか犬塚君が疲れて転ぶんじゃないかとはらはらする。
「いぬづ…」
「うるさい、さっきからなんだよ!!」
平日の昼下がりの路上に犬塚君の怒声が響き渡った。
キッと自転車は止まり、犬塚君が振りかえった。丁度逆光で顔全体に影ができていたが、太い眉毛がつり上がっているのは分かる。
怒った。激おこチワワ丸だ。
「あう…」
「あう、じゃねぇ!!あっついし、後ろからなんかウダウダとうるせぇし、落ち着きないからバランスは取りにくいし、何なんだよお前は!邪魔したいのか!俺はさっさとこんなの終わらせたいんだよ!」
「ご、ゴメーヌ…」
「お前、まったく謝る気ないだろ」
はぁと軽く息を吐いて犬塚君は、ともかく…と言葉を続ける。
「危ないからしっかり掴まれ。鬼丸黙ってたら死にそうだから喋ってもいいけど、下ろせとか止まれとか進歩のないことを言うな」
「えっ掴まれってどこに」
「お前ハンドルまで手ぇ届くのか。ゴムゴムの人か?」
「じゃ、じゃ、じゃあ、犬塚君の…その…腰に」
「別に敢えて言葉にすることじゃないだろ」
そう言われ、私も覚悟を決めて、重度のアル中患者のように震える手で犬塚君のお腹に両腕を回す。
「うわっ、なんか硬い!ていうか細い!思いの外、細い!なんだこれ、内臓本当に入ってるの⁉︎犬塚君生きてる?」
「生きてるわ!失礼な事ばっか言うな!肉付けたくても太れない体質なんだよ」
「嫌味か!呪われし下っ腹ぽっこりペンギン体型の私に対する嫌味か!脂肪が欲しけりゃ私のをくれてやるよ!ムファアアアアアアアアアアアッ」
「腹を摩るな、腹を」
そうやって喧しく騒ぎながら自電車に乗っているうちに目的地のホームセンターに到着した。
学校からやや離れた距離にあるがここのホームセンターは品揃えが豊富で学祭前の桃園生御用達の店らしい。なかにペットショップが入っているのか奥から犬の鳴き声らしきものが聞こえて、つい犬塚君の方に顔を向けたら「やかましいわ」と小突かれた。私珍しくまだ何も言ってなかったのに。
「えーと、ペンキ、ペンキ…は、ここかな」
「何色だ?」
ペンキのある棚に辿り着いたはいいが、犬塚君の発した疑問に思考が停止する。
目の前には番号のラベルが貼られたペンキのボトルがずらりと並んでいる。
…どうしよう、どう記憶を辿っても何色を買えばいいかが分からない。聞くのを忘れていた。
「分からないのか?携帯は?」
「……」
「鬼丸、言わないと分からない」
「……忘れました…」
「誰かクラスの中で番号かアドレス覚えてるやついないのか?」
「いないです…」
絶、望。
なにやってんだ、私。肝心のペンキの色を聞くのを忘れて、しかも携帯電話まで忘れるとは。
あのとき犬塚君は寝惚けていたし、私がしっかりしてなきゃならなかったのに。
馬鹿だろ、ほんど馬鹿だ。間抜けだ。
「私、戻って聞いてくるよ。犬塚君はここで待ってて」
自転車の鍵貸して、と手を差し出すと代わりに買い物カゴの持ち手を渡された。
「まぁ待て。とりあえず佐伯に連絡を取ってみるから」
「え、なんで…」
制服のポケットからスマホを取りだした犬塚君だが、彼が佐伯君の連絡先などなぜ知っているのか。
佐伯君とほとんど話したことも無さそうなのに。
「学祭の話し合いの時、あいつ緊急連絡用に自分の電話番号黒板に書いてたからな」
確かに、そういえばそんな事があった気が。登録されているということは真実なのだろう。
それをちゃんと携帯に登録していたのが偉い。私なら多分連絡は取らないだろうと放置していたところだ。
普段まったく学祭準備を手伝ってないくせに何故そういうことだけちゃんとしている。
「俺だって聞くの忘れたんだから気にすんな。それより佐伯に繋がらなかったらどうするかだな…あ、もしもし佐伯か?犬塚だけど」
え゛ぇえええっ!!?という佐伯君の声が電話口から離れた私まで聞こえた。
そりゃあびっくりするだろう。突然あの犬塚君から電話が来たりしたら。私だってその立場だったらそうする。だから犬塚君よ、「うるせぇえよ!鼓膜ぶち壊す気か!!」と怒鳴り返してやらんでくれ。
佐伯君に連絡が取れたペンキの色の件はなんとか解決した。あと、起こったアクシデントといえば私の財布の中身がハケとペンキ代に満たなくて代わりに犬塚君が支払ったくらいだった。くらいだった、と他人事のように語っておきたいくらい信じがたい事態だった。
「もう私なんのために来たか分かんないじゃん、本来なら私がハギっちに頼まれた事なのに」
帰り道、当たり前のように犬塚君の運転する自転車に乗りながら「あぁぁ…」と項垂れた。荷物は自転車のカゴに収まっている。私は多分このカゴより役に立ってない。
結局、全部犬塚君ひとりいれば全部円滑にいっていただろうに。なんなんだ私は。ただ口だけ動かしてつっ立ってただけじゃないか…。
「ほんと申し訳ない…犬塚君」
自分の駄目っぷりがつらい。なんで私は何においてもこう抜けてるんだ。バカ丸出し無能ヌケ作なんだ…。この鬼丸・アホス・哀がぁあ…。
「よく分からん奴だな、お前は」
横断歩道の信号が赤になった。
自転車を止めて、顔をふと此方に向けてそんな事を言った。
「すぐ図に乗るしすぐ落ち込むし、もっと気にするべき所で全然気にしないのに無駄な所で神経質だし。分かりやすいようで全然意味不明だし」
「え、そう?結構私単純だと思うんだけど」
「複雑だよ。ほとんど全く鬼丸の考えていることなんて分かんないし、行動も読めないし。…ほんと割と頻繁にお前には驚かされてる、うん。アホの思考回路については熟知しているつもりなんだけどな」
そうだったの!?ていうか今さりげなくアホ呼ばわりした!?
「そんなにかなぁ。でも、エスパーじゃないんだから人の心の中身なんて読めるわけないじゃないか。そんなの出来たら私困るよ」
言うと、犬塚君は片眉を上げて黙った。怒っている、というよりも何か考えているようだった。
「あ、犬塚君。青になったよ」
おう、と答えて犬塚君がまた自転車を漕ぎ出す。
喧騒が再び息を吹き返したように耳の中に戻ってくる。
「確かに、それもそうか。…まぁ、鬼丸もくだらないことで落ち込むな。お前が行かなかったら多分俺も行かなかっただろうから、それだけでもお前がいる意味はあった、と思う」
「さぁ、そのノリでミスコンにも参加だッ!」
「うるせーよ」
多分、犬塚君は甘い。甘ちゃんだ。じぇじぇじぇ。
気をつけなければ。あまり犬塚君に寄りかかりすぎないように。施しを当たり前だと思わないように。これだけは忘れないようにしなければ。肝に銘じておかなければ。
危険人物は実の所、犬塚君なのかもしれない。
「そうだ、鬼丸。今日暇ならちょっとウチに寄って来い」
ほんとうにほんとうに気をつけなければ。




