15:
あゝ、気が重い…。
「鬼丸、なに溜息ついてるの。別にあなたの精神状態はどうでもいいけど、修司の気まで滅入ったらどうするのよ。迷惑だからとりあえず言いなさい」
今日の猿河氏の警護は杉田さんと私の担当だ。
いつもはもっと多いのだが、学祭の準備がそろそろ忙しく手伝いでなかなか来れないのだ。愛でる会は当然部活ではないので、手伝いを断る理由にもならない。私も沙耶ちゃんとハギっちたちのご機嫌を相当取ってここに来た。
「いや〜、実行委員会の会議超長引いてるなぁと思って。あはは」
「そうね。確かにてっきりすぐ終わるのかと思っていたのに」
そう、私達が会議室のドアに立ってかれこれ一時間である。
猿河君は実行委員なのでその会議に出ている。それを私と杉田さんで出待ちしているのだ。てっきりすぐ終わるかと思っていたのに。中からまだ人の声が聞こえる。よっぽどエキサイトしてるんだろう。
「…あ、やっと終わったみたいですよ」
ガラリと開いたドアから人が出てくる。通る人通る人顔が強張っていてなんだか必死だ。我先にと逃げ帰っていく。
なんだなんだと思って中を覗くと会議室の片隅で猿河君と桐谷先輩が向き合っていた。
「じゃあ、これからよろしくお願いしますよ。センパイ」
「了解した。君もこれから此方に付き合ってもらう時間が格段に増えるがいいな?」
にっこり爽やか営業スマイルの猿河氏に、氷のポーカーフェイスの桐谷先輩という異色コンビ。何の話をしているかは断片的にしか聞いてないから分からない。
完全に生徒会長モードの桐谷先輩に対して、猿河氏は怯む事なく堂々と話しているように見える。
「あれ、君達いたの?クラスに戻ってくれてよかったのに」
猿河氏が私と杉田さんに気が付いて、声をかけて此方まで歩いてくる。言葉の聞きようによっては嫌味なのか?とも思わなくはないけど、けろっとした顔で言っているので案外何も考えず言った言葉なのかもしれない。猿河氏が嫌味をいう時はもっと悪い顔をしているし。
「し、修司、まだお昼まだよね?一緒に購買行きません?」
「ああ、ごめんね。クラスの人が差し入れくれたからいいや。それにまたいつ生徒会室に呼ばれるか分かんないし今日は一人でいいよ」
「修司…」
杉田さんが下を向いて急にワナワナと震え出して、ぎょっとした。
「え?あれ、どうしたの?杉田さん」
猿河氏がちらりと私に目配せしたが、そんなの杉田さんの心理状態に何があったのかなんて分からない。
「やっぱり…」
「やっぱり?」
ぼそぼそと呟いた言葉を聞き返すと、杉田さんがくっと顔を再び上げた。その目の淵に大粒の涙が溜まっていた。
「やっぱり、私達に怒っているんですね!それならそう言ってくれればいいのに!わざわざ当て付けのような事しなくてもいいじゃないですか!それも此方が何も言えないような理由まで付けて」
「は?」
「分かりました、修司が私たちを許してくれるまで親衛隊の活動は中止します!これでいいですよね!」
「え…」
言い放って、杉田さんはものすごい速さで廊下を駆け抜けていった。
「なにこれ、僕が悪いの?」
「うーん…」
今回ばかりは猿河氏に落ち度はないように思うけど。
私は特に何も考えていたけど杉田さんめっちゃ思いつめていたんだなぁ。私より溜息吐きたかったのは杉田さんだったのかもしれない。
「杉田さん追わなくていいの?『仲間』なんでしょ?」
「今は放っておいたほうがいいと思う。気持ちが落ち着いたら誤解だって説明してくるよ。それより…」
断腸の思いで腕を上げ、麻薬中毒者のような手つきで猿河氏のブレザーの端を掴んだ。
「チョットデモイイカラ、今日ハサルカワクントオシャベリシタイキブンダナ☆」
あああああああ。私が猿河修司にこんな事を言う日が来るとは。
猿河氏もさすがに表情を失くしているようだった。バレたか、さすがに怪しいか!?
「あ、猿河氏?嫌だったら別にいいんだからね?」
「……いいけど…べつに」
まじか。
◆
猿河氏にハニトラを仕掛ける。という無謀な作戦に、不安しか覚えないのは私が弱気すぎるのか?
なぜか自信満々な如月さんに押し切られる形で一応やってみて、すぐ駄目だと分かって作戦変更すればいいかと引きうけてしまった私はアホである。
ハニートラップなど私のようなレベルの女がやっていいものじゃないと思うんだけどなぁ…。しかも相手は絶世の美形男子だし。
「で、話ってなに」
「いやぁー、今日はいい天気だねぇ。猿河氏」
「今日曇りだけど」
第二理科室にて猿河氏が窓をちらりと見て答える。
「や、やだなぁ!私なりのボケだよ!なんかノリ悪いじゃん、どうしたの?おーっと、足を挫いたぁ!このままでは転んでしまうので猿河氏を支えにしよーっと、失礼しますよー」
と、転びそうなふりをして猿河氏の胸に抱きついた。どうしても抵抗があり、拳一個分の距離は距離を取っているので私は傍から見てかなり不自然な格好をしているに違いない。
「なに、これ何の遊び?あんたを抱っこすればいいの?」
「違っ…うわぁあ!」
思いもよらず、ひょいと持ち上げられた。
驚きのあまり心肺停止するかと思った。しかも背中と足を支えられた持ち方はいわゆるお姫様だっこじゃないか。少女漫画とかで見たことあるけど、こんなに恥ずかしいものだとは思わなかった。顔が近い!
「なに、この体勢からの投げっぱなしジャーマン希望?」
「そういうネタ振りじゃないから!ちょちょ、一先ずちょっと下ろして!お願いだから!重いでしょ?」
「えー、やだ」と答えてディ●ニーに出てくる王子様がやるように私を抱えたままくるくる回る猿河氏。いろんな恐怖を味わえる、なんてステキなアトラクションなんだー(棒)
「話ないんなら一体どうしたの。僕と嫌がらずに一緒にいるなんて珍しいじゃない、いつも無理矢理連れてこないと逃げるくせに」
「え?あ、えーと、ほ、ほら!昨日、放置プレイしすぎって言われて反省したんだよ!最近猿河君にさみしいさせ可哀想なことしたかなーと思って。だからなんか構ってあげようかなぁーっと、ね?だめでした?」
「ふーん…」
切れ長の目が私を見下ろす。
流石に苦しい言い訳すぎたか、とドキマギしていると「で?」と猿河君が声をあげた。
「構うって何してくれるの?具体的に」
「え?えーと…そうだなぁ」
猿河君が見抜いているのか、そうでないのか見極めできない。
緊張のあまり背中に変な汗をかいてきた。
「ほ、ほーら、よーしゃっしゃっしゃー」
結局他に何にも思いつかず、ムツゴロウさんの真似をして猿河氏の頭をわしゃわしゃ撫でた。
金髪は思ったよりずっと艶々していて、なんか触り心地が良い。いい匂いがするし。いいシャンプー使ってるんだろうなー。夏に入ってるし湿度高いからか汗をかいてるみたいだが、不思議と嫌な男臭さはない。
「あ、ごめん。やりすぎたわ」
猿河君の髪を弄りすぎてもさもさにしてしまった。珍しく無言な所を見ると、おこなのかもしれない。猿河君は身だしなみに特に気を遣ってるようだし。慌てて手櫛で直すとすぐにまとまった。くそ、羨ましい髪だな!
髪を直しながら、猿河君の虹彩がこっちを見ているのに気付いた。
ずっと見てみたいような、黒と緑の不思議な感じの深い碧の眼。使い回された表現だが、宝石みたいだと思った。縁取る長い金の睫毛が装飾みたい。
「…綺麗…」
うっとりしすぎて、うっかり思ったことを口走ってしまった。
後悔しても遅い。頬に熱が浮かんでくるのを止められない。
「あ、いや!そんなの猿河氏が一番知ってるか!だよねー、あっはっは…」
と馬鹿笑いしすぎて誤魔化してしまおうとして、ふと猿河君の顔を見てぎょっとした。
にまー、と効果音をあてているほど顔を綻ばせていたからだ。表情を崩しすぎてこれではある意味変顔だ。
「もっと言って。僕を褒めて」
なるほどそういう事か。流石、生粋のナルシスト。緊張がほどけて「ふへへ…」と声が自然に漏れた。
「あー、えっと、なんかいい匂いするのがいいと思うよ。この匂い好きだよ」
「変態臭いね。他には?」
「あー、小顔で顔パーツのバランスがいいよね…って言われ慣れてるし充分自覚してるよね?」
「いいから、他には?」
「えっとー…あー、意外と筋肉質でこうやって人1人支えてもびくともしない所いいと思うよ、でもそろそろ降ろして欲しいかなぁー」
「却下。他は?」
「あー、えーと、まだやる?これ?なんだろ、やっぱり猿河氏って表情が豊かだよね…今すごい顔してるよ?福笑いみたいだよ?」
「うん、他には?」
という、ひたすら怖いほどご満悦何猿河氏に抱えられ褒めさせられる謎プレイを氏が呼び出されるまでの30分間続けたのだった。
これだけ私が体を張ったんだからさぞやいい写真が取れたんじゃないかと如月さんに聞くと、「すまん…用事があってそれ所じゃなかったんだ…」と目を逸らしながら言われた。当然、私は「何やってんだ、テメーーー!!」と答えた。
もう、激おこだよ!ぷんぷん!




