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28:


歪んだ視界が何かを捉える。

ゆらゆらと浮遊する何かを掴もうとしたけれど、何一つ掴めなかった。視界が悪い。急に視力が落ちてしまって、自力で移動できなくなってしまった。


(『間違ってもかけて物を見てはいけないぞ。鬼丸君のせっかくの目が悪くなる』)


誰かの言葉が思い浮かぶ。笑おうと思ってみたけど、喉は限界まで乾涸びて声すら発せられなかった。


起き上がって立ちあがろうとしたら転んでしまった。

痛い。また骨が折れてしまっていたらどうしよう。

負傷して初めて気付いたのだけれど、自分の身体は自分で直せないのだ。


這いつくばって車椅子までたどり着いた。よじ登ってやっと座ってひと息ついた。


これのどこが、天使なんだろう…。


肉体はどんどん脆くなる。凄まじいスピードで体は崩れて弱くなっているのを感じる。

こんな事がいつまで保つのだろうか。


今更、足を止める事なんてできないけど。



「天使さま、儀式のお時間です」


ノックの後にドアが開かれた。

多分、長谷川さんだ。彼女はお父さんと一緒にこの教団を運営していた。30代くらいだろうか、怜悧で言葉が少ない。

私は彼女が何をしたいのか分からない。私も彼女に何をしたいのか伝えていない。お互い利用していて、同時にそろそろ身限ろうとしている。


エデンの苑の会員数は五千。

規模が大きくはなったが、ゴールはまだ遠い。

この力は、物体の時間を変える力は、私にはまだまだ使いこなせなかった。外傷ならまだ何とかなるけれど、大きい進行がすすんだ病なんかはまだ手に負えない。

子供騙しみたいな奇跡しか起こせない。


車椅子に押されて、エレベーターで地下に向かう。

長谷川さんには分かっているのだ。私の消費期限が長くないことが。


「さぁ天使様、受胎を」


地下の薄暗い部屋には信者達がいた。

私は丸洗いされて揉みくちゃにされた。痛かった。けれどそれだけだ。髪を引っ張られそれは大した力も込めずに抜けた。お腹の苦しさも慣れた。あの人に与えた苦しみに比べたらなんでもない。


(そんな事しても、次の天使なんか生まれないよーだ…)


絶対にそんな事をさせない。私や零みたいな子なんて作らせない。確定している不幸な子どもなんか作らせない。

私の子宮にもうその機能はない。既に生理は無く、閉経していた。老化して体のいたる所にガタがきている。思い通りにならなく使えなくなれば結果オーライだ。ここに入る時にそういう事をされるのは分かっていたから。実を結ばなくて本当に。


良かった。ほっとしている自分がいた。早く死に近付く事ができて。

私はこのままこの力を使い続けていたら、化け物になってしまうような気がしていた。もう人間とは呼べない状態かもしれない。だけれど力を完全に自分のものにする前に、覚醒する前に、私の体は壊れるだろう。


暴走してしまわなくて良かった。誰かを深く傷付けなくて良かった。あと少し、あと少しで終わらせられるから。


(お母さん…)


天使になった私なら、お母さんは褒めてくれるだろうか。受け入れてくれるだろうか。抱きしめてくれるだろうか。もう顔もよく覚えていないけれど。


注射針が腕に刺さって、痛みで現実に戻る。

私はまた車椅子に座っていた。

何かを注入されている。よく分からない。これを入れられると痛みが和らぐ。ただ意識が朦朧とした。眠い。寝ている場合じゃないのに。


私を操り人形にするための薬。名前は知らない。別に覚えられる気もしない。


怖くなんかないのだ。もう。例え一瞬先の未来が途切れたって。



ぶつり。


目の前が真っ暗になって、四肢の力が抜けた。

どくどくと血管の中で血が沸る音がした。


目がまわる。世界が反転する。






「あん?なにやってんの」


机に突っ伏して中途半端に上げた顔が私を睨んでいる。

あれ…。ここはどこだ。今は何月何日。辺りを見回すと今はもう懐かしい学校の教室。


そして、彼は…。


「犬塚君…」


後退りしてしまった。もしかしてもしかしてやってしまったのか。また戻ってしまったのか。


「クラスTシャツのサイズ、書いてよ…」


間抜けな声で言うしかなかった。犬塚君は犬塚君のままだ。彼は真面目だからボールペンを差し出すと素直に書いてくれた。本来、私と犬塚君の接点はこれだけの事だったのだ。これで終わるだけだったのだ。

また、やり直しか…。教室から出て、脱力するのを感じた。廊下の隅でへたりこむ。もう体力も気力も限界に近い。


力が使えない。時間を巻き戻せも進ませる事もできない。また何も出来ない私になってしまった。だめだ。これではだめなのだ。私の存在に何の意味もない。何も変えられない。


零は、まだいないのだろう。それまでかかる膨大な時間に頭が痛かった。


私は犬塚君のあとをつけた。何日も何日も彼を見守っていた。放課後も休み時間もよく観察していた。そうしているとやがてはその行動が犬塚君にバレた。

犬塚君は立ち止まって、私を睨んでいた。警戒心と嫌悪があふれた顔で。


「何なんだよ、気色悪いからつきまとうの止めろ」


私は君に見つけてほしかった。

優しい言葉をかけて欲しかった。あたたかい家に迎入れて欲しかった。君の為ならなんだってしたっていいと思ったんだ。


「私は犬塚君を一人で頑張らせたりしない。私は君を分かっているよ」


だから私を受け入れてよ側に置いてよ、と言いたかった。言えなかった。私の発言はただの勘違いの意味不明なだけだった。


「きもちわるい…」


そうだよね。笑えてしまった。もう以前の私がどんな風にふざけていたかも、分からなくなってしまった。私は犬塚君の為になんにも出来ない。


「そぉ、おだよねぇ」


確かに私はキモい。恥ずかしかった。申し訳なかった。こんな一言で傷付く権利なんか私にはない。私は絵に書いたようなストーカー女だった。

君を手に入れたいなんておこがましい。触れることなんて許されもしない。


私はゴミカスなのだから。人間とも呼べない屑。

何にも変わっていない。生まれた時から、あの子の搾りカス。


「えへ、えへへ…好きだよぉ」


決して私を受け入れない君が好きだよ。私の全部をあげたいのに受け取らないで拒絶する犬塚君が好き。

伸ばした手を、叩き落とされた。それすら嬉しかった。私の真ん中の穴に何かが詰め込まれる気がした。


「二度と付きまとうな」


冷たく吐き捨てられた言葉はひりひりとした痛みを伴う。だけどとても安堵に近い感覚だった。


【鬼丸君】


誰かが私の名前を呼んでいる。頭の中で。知らない人の声。冷たくて抑揚のない男の子の声のように聞こえた。あまりに遠いその声を、聞こえなかったふりをした。

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