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27:


鬼丸君、きっときみは否定すると思われる。

君と会ってから世界はとても美しいのだと気付いた。不快でしかなかった疲労は、それは僕が生きているから感じるのだと知って感動した。


立ち止まって眼鏡を外して、タオルで額の汗を拭き取る。

橋の歩道の上で見えた朱い朝日にため息が出た。

体力づくりでジョギングを始めたのは時間が巻き戻る前、初夏頃からだった。理由は単純で説明するのも恥ずかしい。ただ毎日なんて出来ず週一回程度5キロ走るだけだから、ジョギングというのも甚だしい気もする。

少し早起きして家の周りを走るだけだから、ついてこなくてもいいと言ったのに運転手さんがこっそり跡をつけてくる。それを父に報告しているのを知っている。新品のトレーニングシューズを千津子さんに手渡されて恥ずかしくなってしまった。


走るのはいい。

巡らせ絡まった思考が、足を踏み締めるたびに解けていく。すぐに息をきらせてしまうが、それも浮かび続ける嫌な予測を増やさないでくれる。


まずは冷静になろう、と自分を取り戻してくれる。

まだいくらでも彼女を引き戻す術はある。鬼丸君は「しなければいけないこと」があると言った。少なくともそれを成す為には死ぬつもりはないはずだ。彼女が命を惜しむ限りはまだ希望がある。



「おっそ!!マジでそれでふざけずに走ってるわけ?もう登校時間になるかと思ったわ」


「わ」


いきなり大声をかけられて驚いてしまった。

振り返るとジャージ姿の花巻がいた。通り過ぎたのに気づかなかった。


「すまない、気付かなかった。おはよう花巻」


花巻もジョギングなんだろうか。白いジャージが眩しい。


「おはよう…じゃないわよ!!朝っぱらから何やってんのよ、クソ体力ないくせに!体育祭もこれから始まるのに」


つかつかと詰め寄られて怒涛の勢いで揺さぶられた。


「な、なんだ。どうした。また僕が君に迷惑をかけたか?」


僕は何故か花巻をいつも怒らせてしまう。

なぜ彼女が怒るのか気付けない。ただ、後で彼女が人知れず傷付いていたのだと知って、申し訳なく思う。


「うるっさい!かけちゃいねーわよ!」


怒りで赤くなり凄まじい剣幕で怒鳴られた。

そ、そうか…としか僕には答えられなかった。彼女の頭の上に電光掲示板があればいいのにと思う。今の彼女の心の中を示すような。


「花巻は僕を待っていたのか?何か用事でもあったか?」


聞くと花巻は口を真一文字に締めた。また僕は失言してしまったのだろうか。


思えば、鬼丸君と出会う前の花巻とのコミュニケーションは思えばこんな噛み合わないものだった。

花巻の言葉を額面通り受け取るのが良くないのだろうか。


(「じゃあさ、私だって、良かったわけじゃん…」)


前に、時間が巻き戻る前、花巻が言った言葉をふと思い出した。

花巻は僕と友達になりたかった、親しくなりたかった訳だ。

本当はただそれだけだったのか。


「折角だから少し話さないか。僕も水分補給がしたいから」


そう言うと花巻は意外なほど大人しく頷いた。




「……悪いわね」


道路脇の公園のベンチに腰をかけている花巻に、ミネラルウォーターを差し出した。


「構わない。久しぶりに花巻と話してみたかった。君が生徒会を抜けてから、こうして二人で話す機会はなくなってしまったからな」


「いいわよ。無くたって、そんなもん」


吐き捨てるように花巻は言葉をぶつけてくる。

では、なぜジャージまで着て待っていたのだろうか?

隠しきれない矛盾を背中に背負っている花巻がおかしくて、少し顔が緩んでしまった。一応、気分を害さないように口元をタオルで隠した。


「桐谷、あんた」


すると花巻が睨んできた。バレたか。


「なんか変わった。最近急にすごく…。なんで?」


花巻は真顔でそう言っただけだった。


「そうだろうか?あまり意識して何かをしている訳ではないが」


自分の頬に触れてみる。いつもの肌質だ。眼鏡を外してみても、相変わらず目が悪い。


「雰囲気が急に柔らかくなったし、前より他人に興味持つようになった」


花巻の目は真剣そのものだ。


「人の気持ちを推し測るのだって変に上手くなって、急にまともみたいになった。まだまだポンコツだけど…」


「はなま…」


「走るのだってそう、なんで急に体動かすようになったの?走るの苦手で、朝一の体育で貧血で倒れて動けなくなってたじゃない。走るの嫌で、冬眠中の蛇みたいに動かなかったのに。なんで」


そんな情けない姿を記憶されていたとは。体育の授業は男女別のはずだったが。そして、冬眠中の蛇…?


「私、嫌だから。そんな桐谷。万人受けしようとするダサい桐谷なんか見たくない」


蛇が気掛かりで考え込んでいると、花巻に言葉で刺し貫かれる。


「何かあったのか、誰に何か言われたか知らないけど。変わらないで、お願いだから」


「え」


「何様の分際でこんな事言うか自分でも分かんないけど!なんか訳分かんないくらい怖いのよ」


そんな、ことを花巻が思っているのなんてまったく思いつかなかった。なんて言葉を返したらいいかも、少ない自分の経験値からでは分からない。


「近寄りがたくて、触った時しか感情や体温が分からない、不器用で変な生き物みたいな桐谷が、そうじゃなくなって、ただどこにでもいるような男の人になるなんて。そうしてふらっと他人の波に攫われて、どっかに行きそうで。そんなのいやだ。ごめん、失礼な事ばっか言ってるけど」


花巻はこれを伝えたかったんだ。全く不快ではない。


花巻は、鬼丸君に会っていない。

あの三人の楽しかった記憶は無かった事になっている。

だから、花巻からしたら急に僕が何者かに乗っ取られているかのように見えるのかも知れない。


「そうか。僕は君に大事に思われているのだな」


「はっ…え!」


「ありがとう」


花巻が勢いよく立ち上がった。

水が辺りに飛び散る。少し冷たい飛沫が顔にかかる。


「しかし、僕は変わっていきたい。僕だって大切な人を救えるような、助けになれるようになりたい。その為の変化なら喜んでしたい。だけど、安心してくれ、僕は僕だ。それ以外になれない」


これが答えになっているだろうか。花巻が口を大きくぱくぱくさせている。これはどういう反応だ?


「…さて、少し休んだし戻ろう。本当に登校時間が遅れてしまう。そうだ」


軽くストレッチをして、花巻の方に振り返った。


「帰り道、競争をしよう。勝った方が購買部オリジナルプリンを奢る事にしよう」


「は?待って、何いきなり急に」


「戸惑っている場合ではないぞ。よーい、どん!」


僕に変化を及ぼしたのは、花巻、君でもあるのだ。

リベンジしたくて走りはじめたなんて、今となっては説明しても信じてはくれないだろう。

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