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24:

取材は滞りなく進んだ。

長谷川さんの受け答えは、前情報で聞いていたことばかりなので意外性はなかった。


なにか哀ちゃんに繋がるものはないかとしっかり聞いたが、鬼丸なんて名前はとうとう出なかった。

映像まで見せてもらったが、信者の姿がほとんどでよく見えなくて正直がっかりした。


「どんな病気や怪我も治す奇跡を実際には見せていただく事は可能なんでしょうか?」


取材が終わりそうな気配がしたから、我慢出来ずに聞いてしまった。だって何も手がかりが掴めていない。


「…そうですね。実は代表は儀式の最中なんです。もし、それが終わっていれば来てもらうよう言ってみます」


いいんですか?と若竹さんが喜色を孕んだ声を出した。


「実際見た方が、本物の奇跡を与えるあの方が天使だと分かるでしょう」


心の中で僕もガッツポーズをした。緩みそうになった頬に、慌てて噛んで抑えた。まだ会えた訳じゃない。まだ引きづり戻せた訳じゃない。浮かれるな。



そうして一時間弱待った頃、やってきたのは車椅子に乗せられた「何か」だった。



「…え?」


白い布に覆われていて顔も体型も分からない。窶れた男が凝った造りの車椅子を押しているそれだけしか頭でよく理解できない。布から細いしわがれた手足がのぞいている。

しん、とその場の誰もが静まり返ったなか長谷川さんだけが声を発した。


「皆さま、こちらが我らがエデンの苑の天使様です」


布の中身はどう見ても小さな老婆がいるとしか思えない。これが哀ちゃん?そんなわけ…。


「猿河君?どうかしましたか?」


多分酷い顔をしていた僕に長谷川さんは不思議そうにしていた。


「天使様は人間のみならず、生物はみな癒す事ができるのです」


綺麗な顔のまま、長谷川さんは事務所の水槽から魚をすくってみせた。そしてその腹を躊躇なくカッターで刺した。ぎょっとしたし如月先輩は「ひぇ…」とドン引きしていた。


動かなくなった魚を、『天使様』の手に握らせた。

そのまま数秒経っただろうか。

魚の尾が急に跳ねた。長谷川さんが魚を水槽に戻すと、嘘みたいに元気そうに水中を泳いでいた。


「これが天使様の御技です」


確かにすごい。タネも仕掛けも分からない。だけど。

これが哀ちゃんの時間を操作する能力?こんな手品みたいなものが。それにこれだけでは、哀ちゃんに辿り着けない。

ああ、終わってしまう。


(何とかしなければ)


次に接触できる機会が思いつかない。桐谷先輩や犬塚と協力してもなおもう手が届かない。遠い存在になった彼女は、きっと僕なんかに見向きもしない。


その時、頭に最悪なアイディアが浮かんだ。


よく哀ちゃんに「ばか」なんて言ってたけど、僕の方がずっと馬鹿だ。

だけど全ての他の事が、どうでも良く思えた。頭の片隅、冷静な部分で「きっと後で後悔する」と分かっている。コスプレして哀ちゃんを救ってやろうとアホな事を思いついたあの日が今はずっと眩しい。

そうだ。いつだって、僕は愚か者だ。


「どうでしょうか。信じられないかもしれませんが、仕掛けはありませんよ。それでは天使様はお休みになられますので…」


徐に立ち上がった。小さく震える自分の身体が、かっこ悪い。


「…ざけんな」


「はい?」


「ふざけんなッ!!このまま逃げる気かよっこの嘘吐きおんなが、僕を救うって言っただろうが!」


ポケットに握っていたペン。それを自分の右目に力一杯突き立てた。


猛烈な痛みや熱さが襲う。訳が分からないまま、体液があらゆる部分から滲み出る。


意識が飛び飛びになる。他人の呼びかけが遠くに聞こえる。


「見捨てるなら、見捨てろよ。ばーか。お前が好きだった、宝石みたいって言ってた、この目を、この顔を、壊してやったぞ。ざまーみろ…」


多分まともに言葉になってない。必死に姿勢を保ったまま意識が遠くなった。







気がつくと僕は妙に見覚えのある一室にいた。

埃が集った机と、乱雑に置かれている椅子。何度も来た、ここは旧校舎の第二理科室。なんでここにいるのか解らない。顔を触ってみても痛みも傷もない。


「猿河氏には敵わないよ」


聞きなれた声がして、窓の方を見た。自分の目が勝手に見開く。一瞬呼吸を忘れる。


そこには鬼丸 哀がいた。


「哀ちゃん、なんで…」


いつものような二つ縛りの頭に、学校の制服を着ている。それを見て泣きそうになる。いや、既に目頭が熱い。


「何度も回避しようと思ったんだ。だけど、何度繰り返したって、やっぱりここまで来ちゃったんだね。猿河氏」


これは夢?これは本物の彼女?

聞きたい事は山ほどある。学校までやめて何をする気なのか、とか。なんでそんなわけ分からない力を使えるのか、とか。

だけど考える前に手が出た。彼女の背中にしがみついていた。


「ひとりで勝手な事すんなっ…ばーか!相談しろ。助けを求めろよ、哀ちゃんだけじゃ何も出来ないし解決できないんだから」


同じだった。その体温も匂いも。柔らかさも。


「うん、そうだね。ありがとう」


その絶対他人の意思を受け入れないような声色も。この嘘吐き。


「猿河氏もだめだよ。自分の体傷つけたりなんかしちゃ。こんなに綺麗なのに。勿体ない」


うるさい。君に言われる筋合いなんかない。君こそ自分を大事にする事を学べばいい。


「猿河氏、そんなに私の事が好き?」


そんなの、今更聞くまでもない。いいから頭撫でて、もっと。


「他の人に抱かれたのに?別に何にも怖くも嫌でもなかったよ。猿河氏のおかげだね。他人に体を開いても平気だった」


……それが本当なら、許しがたい事だけど。そうだね、僕はあの時壊れかけてた君につけこんだ。勝手に君を手にしたかっただけだった。ごめんなさい、あれも君を傷付ける事だった。


「らしくないよ。私は猿河氏に酷い事ばっかりしたのに謝られたら立場ない。それに、私は猿河氏を甘えて利用してたんだ。それこそごめん」


知ってるよ。そのまま依存して離れられなくなればいいって思ってた。

ていうかもう僕を利用する気はない?どんな形でもいいから側にいさせてよ。君がいない日常なんか意味ない。


「…私は約束したよね。猿河氏の事だって救ってみせるって」


いつかの約束。哀ちゃんもちゃんと覚えていたんだ。嬉し。

自分の要望が受け入れられる事が分かって、安心して目を瞑った。


「これが修司くんにとって、一番の救い」


額に冷たい指先が触れた。

ねぇ。哀ちゃん、僕のこと好きって言ってよ。うそでもいいから。


「さよなら、どうか自分らしく幸せになって」







目を開けると自宅前だった。

ぼんやりしてなぜここに立ち尽くしているのか分からない。

何かすべき事があるはずなのは分かる。だけどそれが何かは分からない。


「…ぇ」


ぽっかりと頭に空白がある。何かの事を考えたいのに、それが何か分からない。


自分の名前は分かる。家族の顔と名前も。フジコちゃんやジャンのような友達の事も。

だけど、自分には他に何かあったはずだ。思い出そうとしても、思い出せないばかりか頭が痛くなる。


何故だか訳もなく悲しく、悔しかった。

それは気のせいではなく涙が出ていた。理由なく泣くなんて乳幼児以来なんじゃないか。


何かに恨み言でも言いたいのに、言葉が続かない。

ただ足りない。何か大事なものが。


右手には血のついたボールペンがあって、なんの血かも分からなくて気味悪くて捨てた。

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