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今更思い出した。
私は天使になりたいの、と彼女は言っていた。
この世界の人全てを、幸せにできる天使。誰からも必要とされる天使。そんなものに彼女はなりたいという。
それを聞いた時、僕はとっさに否定したと思う。
その天使像のどこが良いのか分からないし、不愉快な発想に感じたからだ。自分が勝手なのは分かっているが、そんな手の届かないものになどなって欲しくなかった。その時はまさかこんな事になるとは夢にも思わなかったし。
「エデンの苑?」
フジコちゃんのお店に立ち寄って、何か知らないかと話を振ると渋い顔をされた。
スナックで色んな人がくるから情報が何かしらあるかと思ったら、やはり何か知ってるらしい。
「どこで聞いたのよ、そんなの。修ちゃんには関係なくない?」
「同級生の子が何か巻き込まれてるらしくて。何でもいいから教えてよ、フジコちゃん」
身を乗り出して再び催促すると僕には激甘なフジコちゃんは呆れながら口を開いた。
「古い話。修ちゃんが小学生の頃よ、それくらい前にお客さんに信者の人がいたのよ。天使様天使様って頭おかしくなっちゃって家族に捨てられちゃったわ。いわゆるカルト教ってやつでしょ?」
天使。記憶を失ってもなお彼女の中に強烈に残ってしまったものだ。やはり彼女のいう天使とはそのことなのかもしれない。
「ケガや病気が治って何の苦しみもなくなるって胡散臭いのよねぇ。無くなったって聞いたけど、なんか最近またやたらと耳に入って来たのよねー。修ちゃんもそういうのに近づいちゃダメよ?」
「うんうん、で今誰か関係者の知り合いにいない?」
「話聞いてんの?もう高校生なんだから危ないものに触っちゃダメって分かるでしょ。同級生の子には悪いけど、子どもの手に負えるものなんかじゃないから、あとはその子の家族や警察に任せなさい」
「フジコちゃん、僕だってバカじゃないんだから危ない事はしないよ」
だけど頑としてフジコちゃんは教えてくれなかった。前言撤回、全然甘くない。腕組みをして何を言っても受け付けない姿勢だ。
「あんなものまともな宗教なわけがないわよ。奇天烈な事をされて、お金もむしられて、洗脳されて、人生ダメにしたひとを何人も見たわ。絶対関わらないこと!いい?」
関わって自分がどうなろうが正直どうだっていい。けれどフジコちゃんにとってはそうではないのだろう。僕の事を自分の息子みたいに思っているのだから仕方がない。
それにしても、エデンの苑の評判があまりに悪い。例え何か知っていても周りの人に聞き込みをしようにも、止められたり教えてくれなかったりするだろう。
フジコちゃんの店を出て、それから色々やってみた。
学校は程よくサボって遠出してみたりした。(家に連絡がいって万が一父親がとんで帰ってきたらめんどいので、一応三日に一回は登校した)
正面突破は難しい。犬塚と二人で行ってみて、高校生の身分じゃ話にならない事に気付いた。どんなに口先で誤魔化しても、通報されるのが関の山だ。
建物の中に忍び込むのも現実じゃない。通気口あたり壊しても、あんな小さそうな中に自分の図体で侵入して哀ちゃんを見つけられるとはとても思えない。
宗教勧誘されるのを待ってみるか?本部のある都市の繁華街でウロウロするが、逆ナンとかスカウトばかりに声をかけられるばかりだった。なんというか不幸オーラがないのかもしれない…。
「あ」
僕はふと、昔一回だけあったとある出版社の編集者さんを思い出した。中学生の頃、父親のインタビューに付き合わされた事があった。その人の名前は思い出せないが、確かその時に載った雑誌は家にあったはずだ。家に帰り、雑誌を探して該当ページには確かに担当した編集者の名前があった。
『ああ、フレデリック社長の…』
突然で多分迷惑だったと思うが、その編集者さんに連絡をしたらとりあえず話を聞いてくれた。
「新興宗教エデンの苑について、調べていたり取材をしている方がいたら紹介していただきたいんです」
『うーん、理由を聞いても?』
フジコちゃんの例からしても、ここで正直に、同じ高校の友人がその組織に匿われてると言っても「それは警察に任せなよ」と言われるに決まっている。現実的に受け止めて貰えない可能性がある。だから僕が行かなければならないという行動原理の説明がつかない。
「エデンの苑に入信すれば、どんな重度の怪我も病気も治ると聞きました。僕の親友のお母さんが末期ガンで、どうしても助けたいんです。それでエデンの苑が本当にそんな事ができるのか確かめたい。僕一人だとなかなか調べられないし、近寄れないので力を貸していただきたいです」
親友と言ってしまったことで鳥肌が立つ。勝手にダシに使って申し訳無さは多少ある。
『そう…。そんな類のものは、多分インチキだと思うんだけどね。フレデリック社長にはお世話になってるし、君も前に無理言って取材受けてもらったしなぁ』
「お願いします…」
しおらしく弱々しい声を出してみる。握りしめたスマホがミシッと軋んだ音を立てた。
『そういうのに詳しいライター紹介するよ。確かエデンの苑、てのも調べてたはず。東京には来れる?』
やった!思わず叫びそうになって口を押さえた。
焦るな。まだ上手くいったわけではない。編集者さんにお礼を言って、そのライターの方の勤め先と連絡先を聞いた。
◆
後日紹介されて会ったそのライターは、若竹さんと名乗った。
30代くらいの女性で、スピリチュアルやオカルト系の雑誌の記事を書いているらしい。
「こんにちは。菅野から話は聞いてるわ。あなたがあのアムール芸能事務所の…流石すっごい綺麗な顔してるのね」
ありがとうございます、と笑っとけ笑っとけ。
父親の名前を散々使うだけ使って、バカ息子になる。もうなり振りなんて考えてられない。
なんだか値踏みするような視線を浴びているのを自覚した。
「確かにエデンの苑については、最近よく聞くわよね。5、6年前にものすごく信者を増やしていたけど、急に休止したらしいけど。その復活について、私も丁度本部に取材をお願いしている所で」
「そうなんですか?ぜひ僕もそこに連れてってくれませんかっ」
若竹さんは戸惑って、しっかり整えた眉毛を八の字にさせた。そこに手を握ってじっと彼女の顔を見つめた。
「どうしても自分の目で確かめたいんです。邪魔にならないようにしますので」
目を逸らさずにじっと見つめ続けた。じわじわと若竹さんの頬に朱が滲んでいく。
「え、っと…」
「お願いします。父には若竹さんの名前もお伝えしておきますので」
業界のことは分からないが、おそらくアムール芸能事務所との繋がりが出来てマイナスになることはないだろうと思われる。
「そ、そうね。まぁ、危険はないだろうし、いいでしょう。よろしくね」
若竹さんの答えに、ほっと安心して手を放した。
良かった。とりあえず本部に入る足掛かりが出来た。父よ、メルシー。いつもケツアゴって暴言吐いてすみませんでした。
「ありがとうございます!あともう一人カメラマンを連れて来たいんですが、大丈夫ですか?外部に公開するとかじゃなく、友人に証拠として見せたいので」




