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朝起きてぎりぎりまで二度寝して学校の準備して家を出てコンビニに寄っていつもの日替わり弁当を買う。
お値段の割には結構おかずも多くて、気に入っている。500mlボトルの麦茶も一緒にレジに出す。
「490円になります」
「あ、はい」
「あの、お客様…」
申し訳なさそうに上目がちに店員さんに声をかけられて、それが千円札じゃなかったのに気付いた。見れば、光沢もあるし表面の色は赤いし。
「すいません!」
慌てて、間違えて出した紙を引っ込めて野口さんを取り出し渡した。
は、恥ずかしい。財布の整理をしなきゃだめだ…。そして何だこの紙は。なんで私はこれを取っておいたんだ。
◆
暦も六月になり、定期の親衛隊ミーティング。
時間ぎりぎりに学校に着いて、そのまま自分のクラスに行かず、予備教室に向かった。
すると、もう結構な人数が揃っていて、私が入ってきたと同時に会議が始まった。
「近頃ファンクラブの方々が助長しているようです。皆さん、気を引き締めて修司を保護してください」
杉田さんの言葉に、親衛隊が一斉に頷く。状況がわからず、きょとんとしているのは私くらいだ。
「ま、待って下さい。ファンクラブってなんですか⁉︎」
はた、と皆々様の動きが止まる。
そうなのだ。私、この草葉の陰から愛でる会がファンクラブにあたるのだと思っていた。
「よく無断で修司の写真を売買したり、数にものを言わせて囲んだり、集団で騒ぎ立てて公然の迷惑になっている方々の事です」
ずばり杉田さんが答えてくれる。
てっきり「そんな事も知らないの⁉︎」って怒られるかと思ったのに。
「え、あれ団体でやっている事だったんですか」
「ネット上などで繋がっているようよ。私たちみたいに連携が取れた組織かは分かってないけど」
杉田さんの隣の副会長・石清水さんも頷いて答えてくれた。
「まぁ、修司の周りに蔓延って独占しょうとする人がいたらファンクラブだと思っていいわ」
「マジっすか。それは、乱暴すぎません…?」
「そう?ああ、その理屈なら鬼丸もファンクラブって事になってしまうわね」
「…えっ⁉︎ちょ岩清水さん⁉︎」
あはは、と笑い出したのは私の両隣の何かとコンビで私に構ってくれる鈴木さんと高橋さんという日本で多い苗字の二人。
「鬼丸にファンクラブを利用して修司に小賢しい真似は無理よ」
「そうそう。それに入ったとしてバカだからすぐ何かしらやらかして追い出されるわ」
そうね、とさらりと答える副会長もヒドイ…。
私ってそんなイメージなんですか!バカキャラは固定ですか⁉︎まぁ、バカですけど‼︎
「話を戻すわ。相手は構成員が全員一年の我々と違って、上級生も多くいます。ですが、正義と愛に年齢は関係ありません。物怖じせずに対処に望むこと!」
杉田会長がきびきびと喋り、それに皆が口を一斉に同じくハイ!と凛と答える。私もつられて同じようにしてしまう。
最近、親衛隊に馴染んでしまってる気がする。私別に猿河氏が好きな訳でも、憧れてる訳でもないんだけどなぁ…。
「警戒措置としてローテーションを組み直すので私までスケジュールを提出して下さい。では各自解散」
そんなこんなでミーティングも終わり教室に戻ろうとすると、丁度階段を降りてくる人を見かける。
授業にもよるが、玄関前から登る西階段があるのでこの職員室前に繋がる階段をこの時間に使う一年は殆どいない。見るとごく見知った人だったので声をかける。
「桐谷先輩」
耳がいいのだろう。そんなに大きな声ではなかったはずなのに一言で先輩は立ち止まって振り返る。
いざ目の前にすると朝の気だるさも吹っ飛んで固い氷にさらされているような気がする人。
我らが桃園高校生徒会長・桐谷先輩である。
「鬼丸君か。お早う」
相変わらず無表情で冷たい雰囲気なのに、何気なくすぐに此方に歩いて来てくれる。
「先輩はなんでここまで?」
「放送局に学校祭の要項を提出してきた。君は教室に行く所か」
「そうですそうです。そっかー、学祭来月ですもんね」
「君のクラスは漫才ライブをやるのだったな。準備は順調か」
「はい、ぼちぼちですね~。ていうか全クラス何やるか把握しているんですね、流石です…!」
いや、と桐谷先輩は眼鏡を左手で直す。
カチャと軽い金属音がした。
「通常は縁日は屋台や喫茶店をするから、珍しい事をすると印象に残っていた」
「あはは、ですよねー。あ、ところで全然関係ない事なんですけど」
「何だ」
ふと鞄から財布を取り出し、朝一悶着あった特殊紙を取り出す。
「先輩ってカラオケとか行きます?」
「…行ったことはない。だが、話には聞いたことがある」
ですよねー、と予想していた答えに無駄ににこやかに答えてしまった。
掲げたカラオケの割引券がぺらりと捲れ曲がる。
「いや、これ期限が今日までで多分私一人じゃ行かないし、私の友達も放課後はいろいろ忙しい人ばっかりなんで。でもこのまま期限を切らしてしまうのはなんか勿体無いなぁと…すいません、貧乏症ですね」
「構わない。ところで君は歌うのか」
「え、はい。あんまり上手くはないですけど」
「何を」
「えーっと、普通にj-popとかアニソンとかです」
「アニソン?」
「アニメソングです」
敢えてどんなジャンルのアニメは流石の桐谷先輩でも引きそうなので言わない(言えない)けど。
そして、追求を避けるために「先輩は何か歌ったりします?」と聞き返す。
「歌いはしないが、家で聞くことはある。ショパンとか」
「うぉお、文化的ぃ…」
「…あ、いや、洋楽もたまに聞くぞ?」
わー、いかにも頭良さそー。すげー。やっぱド庶民とは感性が違うなぁ…。私、洋楽とか全然分からん。ABCの歌とかしか分からない。それすら後半は曖昧でほにゃらららXYZってなってしまう。
とっさに庶民と上流階級の溝を感じ取ったのか先輩の左手は上がったまま宙ぶらりんになっている。
所在がないその手を下ろさないまま、やがてなぜか券を持っている私の拳に添えた。
「よし、行こう」
「え?」
「カラオケに」
「マジっすか!」
どんな心境の変化が?!と驚きつつも割引券を差し出そうとするが先輩の手は私にくっついたまま離れない。
じ、と此方を見下ろす冷え冷えとした目の中に全力のキョトン顔の私が住んでいる。
「鬼丸君と一緒に」
「――……へ?私と?」
「嫌か?」
「嫌じゃないですけど、先輩いいんですか?無理してません?」
「なんの無理だ。僕は君の歌を聞きたい」
「いや!止めた方がいいですよ!?私、デスボイス鬼丸という二つ名が付いてしまうくらいアレなんで!ド下手なんで!」
「なんだそれは、興味深いじゃないか」
「好奇心はをハモをも殺すんですよ…桐谷先輩」
「駄目なのか。やはり僕のような詰まらない人間とは行きたくないか」
その言い方はずるいです、先輩。しかも少し俯くあたりが策士です…。
「ち、違いますよ、そうじゃなくて。それに先輩は詰まってる人ですよ。…あぁ!分かりましたっ、いいですよ!行きますか!ですが、どんなことがあっても絶対明日から普通にいつも通り接してください!あと何があっても当社は一切責任を負いませんのでっ」
望むところだ、と桐谷先輩は涼しい顔で答えた。
「しかし問題がある。今日の放課後は学校祭の会議といくつか済まさなければならない仕事があって、下校時間が未定だ。君を長時間待たせる訳にはいかない。それを解決するにはどうすればいいか」
「はい?」
上向きに立てた人差し指を私の顔の前に持っていき、顔を寄せて若干抑えた声でこう告げた。
あくまで超真面目な顔で。
「授業をサボタージュする」
「…!?」
言ったぞ。この人、全くためらいなく。サボるって。私でさえそこまで思い切ったことはないのに。
何が氷の生徒会長?風紀に厳しい超堅物?
そんなの嘘だ。でたらめだ。
なんの因果か私しかいないのが悔やまれる。大声で真実を触れ回りたい。この衝撃を誰かに味あわせたい。
「え、マジですか」
「マジだ」
短い答えに少しも揺らぎがない。大真面目にふざけている、この人。
一体どういう思考回路をしているんだろう。いや、本気で気になる。
「一回やってみたかったんだ。なんだか楽しそうだと思わないか」
どうだろう?と桐谷先輩が私の顔を覗き込む。
私は驚きすぎてちかちかする目で先輩を見上げた。
ごくりと動いた喉の音が思いのほか大きく聞こえた。もしかして先輩にも聞こえたのかもしれない。口元が少し緩んだように見えたから。
「…すごく良いと、思います」
なにそれ、すごく新鮮かつ魅惑的なお誘いなんですけど。
キンコーンと始業を告げるチャイムが鳴った。
◆
学校の脱出はもうびっくりするほど簡単だった。
人のいない校舎裏の駐車場からこそこそ出てそのままフェンスも校門にも遮られず国道に出てしまう。
窓も皆HR中なので教室と反対側なので誰かが見ているということもない。
「先輩、バスもうすぐ出るみたいですよ。って…あ。すみません」
校舎前のバス停で時刻表を確認して振り返って自分がナチュラルに先輩の手を握って引っ張っていたことに気付いた。
「なぜ謝る。なぜ手を離す?」
「いやぁ、ちょっと私が馴れ馴れし過ぎでした」
「手を繋ぐのが?そうだろうか」
首を傾げる先輩に「そうですよ」と私は答える。
若干浮世離れしている先輩にはぴんとこないらしい。
「鬼丸君、手が冷たい」
「涼しくて気持ちいいじゃないじゃないですか。私の手はウェッティなので乾かしてください」
「馴れ馴れしくてなぜいけない?女子の友人同士で手を繋いでいるのを見たことがあるぞ。男女もたまに見かける」
「それは同性だからできるのであって、男女のは友達じゃないです」
「なぜ」
「なぜって…あ、バス来た」
避けたいジャンルの質問にたじたじしていると救世主のバスが来た。
「先輩、大丈夫です。ちゃんと駅行きですよ!」
親指を立てて先にバスのステップに立って整理券をとる。
にやーと思いっきり笑顔を作って先輩の方を向いてみる。桐谷先輩は電池が切れたみたいに数秒固まってやっと口を開いてぼそっと言葉を零した。
「君は意外と意地悪だ」
なんだと、人聞きの悪い。
人をおちょくるのが好きなだけです。




