episode26 化け物
「…これが、鬼丸 千萱に関するデータだ。個人情報であるからデータでは渡せない。くれぐれも取り扱いには気をつけてくれ」
紙封筒を渡すと、彼女ーー桃園 零(仮名)は満足げにそれを受け取った。
「よくやったわ。さすが役に立つわね…」
彼女が要求したのは鬼丸千萱に関する情報だった。
現在の住所、新しい配偶者、勤め先、役職、電話番号、ここ数年間の動向など。
なぜ彼女がまったく関係がないであろう鬼丸千萱について、調べているのか最初は分からなかった。
「約束だ。君と鬼丸君の関係について教えて貰おう」
「約束?でも、もう貴方分かっているんでしょう?」
「……」
「今更言うべきでもないけど、そうね…。貴方が今後あの子のために全てを捨てられるような覚悟があるなら、私の正体をぜんぶ教えてあげる」
柔らかな雲のような髪も、穏やかさをたたえる垂れ目も、はっきりと感情を表現できる大きな口も、同じだ。どうして最初に見た時、気づかなかったのだろう。
「君の本名は、鬼丸 零。鬼丸 哀の双子の姉だ」
彼女は目を細めた。
それを肯定と判断する。彼女は本当に、血の繋がった鬼丸君の姉妹なのだ。
不審な点はある。
記録上、鬼丸 零は亡くなっているのだ。三年前の水難事故で没したとしか、どう調べても分からなかった。ただ、残っていた鬼丸 零の個人データを照合すればどうしても目の前の彼女が鬼丸 零である疑惑を持たざる得なかった。
奇跡的に生きていたとしてそれを、鬼丸 哀自身や鬼丸 千萱に告げないのは不可解だった。鬼丸 哀が記憶を失っていたからだろうか。それでも自分だったら尚更、彼女にコンタクトを取ろうとするだろう。
それに、【エデンの苑】
鬼丸一家が濃密に関わっていたこの信仰宗教団体が気になる。資料によれば、かなり過激なことをしていたらしいが。しかも、その教祖は三年前まで鬼丸千萱だったのだ。
三年前にいったい何が起きたのだろうか?
一時はその地域で知らない者はいないほど勢いのあった宗教団体がなぜ三年前、鬼丸千萱が降りた瞬間にほぼ消滅してしまったのか。
「あいつ、もうすぐ娘が生まれるのね。新しく」
その声は怒りを孕んでいるようにも見えた。
「また同じ事を繰り返して、自分の子どもを犠牲にして神にでもなる気でいるのよ。あの男」
「零君、それは…」
やはり彼女の小さな黒目は、憎悪の炎を燃やしていた。
「さぁ、選んで。貴方はただの人間にしては見所がある。あの子のために全て捧げられるなら、全てを打ち明けて私がこれから話す計画の共犯にさせてあげる」
「……」
「そうじゃないなら、安心して。殺しはしない。ただ、私がいま言ったことを忘れさせてあげる」
「…わかった」
話の全貌はまったく分からない。
しかし、この怪しい何かがすべて鬼丸 哀に繋がっているなら、僕は彼女を助けなければならない。
(君が辛い時苦しい時、分かち合おう。全力で君の助けになろう)
過去の自分の言葉だ。この言葉に嘘偽りはない。
鬼丸 哀が好きだし、とても大切だ。彼女が苦しんでいるのなら、それを取り払ってやりたい。自分の何を犠牲にしてでも。
鬼丸 零の手を取る。
その手は死人のように冷たかった。




