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授業で使う資料運びを、たまたま犬塚君とペアで指名されたので、資料室で二人きりになった。
ナイスタイミング、と思って私は彼に切り出してみた。
「犬塚君、クリスマスパーティーするからね!IN犬塚家で!」
「はぁ?」
私の提案に、犬塚君は面食らったようだった。
「別に犬塚君は何もしなくていいからね。全部、私が準備するから!」
「…いや、お前。そんなことする気分にならねーよ。分かるだろ」
「分かるけど、輝君と昴君はどうなるの?後から思い出したら、悲しいことしか思い出にならないよ?」
「……」
「せめて、祐美ちゃんがいなくてもクリスマスを楽しかったって思わせたら、少しは辛さも和らぐと思うよ」
私の説得を犬塚君は少し黙って聞いていた。本当は不謹慎だと怒られるかと思った。これでも、色々と犬塚君が引っかかりそうなポイントの対策をしてきたのだ。
そして今回のクリスマスパーティーも、輝君と昴君のことももちろんだけど、犬塚君にだって息抜きになって欲しいと思う。
黒澤さんには、寝れているようです、とか言ったが本当は微妙だ。犬塚君が授業中居眠りする時間は増えているし、うっすら残った目の下の隈がどうしても取れない。日に日に疲弊していっているようであり、ついに土屋君がオロオロしながら私に犬塚君のことを聞いてきた。犬塚君は嫌がるとは思うが、土屋君は学校で犬塚君と仲が良い友達だし、土屋君なりに犬塚君を心配してくれているのは伝わったので、細部は誤魔化しながら事情は伝えた。土屋君は言いふらす人ではないので、周りに広まってはないと思うが。
「わかった…。お前のいうことももっともかもしれない。なんかだめだな、俺最近」
「そんな時のための鬼丸哀だからね!もっと頼って頼って!」
踏み込みすぎないように、という気持ちはある。ただ本当にただの罪悪感だけ感じながら、祐美ちゃんにお願いされていることだからと言い訳しつつ、のめり込んでいる。
「私は、犬塚君たちの支えになりたい。私にできることはなんだってするから」
「鬼丸…」
私の邪な感情や、願いや欲望など、どうでもいい。誰にも知られていいものではないはずだ。
トカゲの尻尾みたいに切り捨ててないと、私が平静な顔で犬塚君の隣にいることができなくなる。
「…よし、じゃあ犬塚君24日の夜は空けといてね」
「空けとくもなにも予定なんかねーよ。準備もお前一人に任せられるわけないだろうが」
え、本当に用事ないの?とハギっちのことが頭によぎった。…彼女のタイプからして、自分から誘っては来ないだろうけど。
「ありがとう。でも、他の用事できたら優先してね?」
「だから、毎年なんもねーよ。変な心配すんな」
相変わらず犬塚君は何も気付いてないし。
真新しいバッシュを初めて犬塚君が履いているのを見た時には、それなりに話が進展しているのかと思っていたが。
ハギっちがそれでいいなら、私は何も口は出さないけれど。
◆
そして、24日当日。
黒澤さんもクリスマスパーティーに呼ぶ、と私が言い出すと犬塚君はあからさまに不快感丸出しの顔をした。
「なんであいつが」
私はその反応を見て安心した。
ここのところずっと感情が薄くてぼんやりしがちだった犬塚君が、少しこの瞬間は元に戻った気がして。
「私が呼んだの。輝君と昴君、結構懐いてたんだよ。黒澤さんに。だから、パーティに呼んだら喜ぶと思って」
「あんなの、あいつらの教育上良くない。これ以上関わるわけには…」
「関わるしかないよ。だって、輝君たちの紛れも無いお父さんなんだよ。どうしたって見て見ぬ振りはできない。もちろん、犬塚君だって」
自分の吐いた言葉が、自分の心の空洞を拡げていくのを感じた。寂しくて悲しくて堪らなかったが、私の痛みなど今はどうでもいい。
「それに、祐美ちゃんの願いなんだよ。これは」
これは、《いい子ちゃんスイッチ》。これを押されると犬塚君は何も言わなかった。
「犬塚君、そろそろ買い出し行かないと準備間に合わないよ」
今日は土曜日だが、幼稚園のクリスマスパーティーで二人は留守だ。飾り類やクリスマスツリーは用意したが、まだ料理系は手付かずだった。ピザとか出来合いのものでいいと私は言ったが、犬塚君は「そんな体に悪いもん食わせられん!」と譲らなかったので、手作りになった。
あと、犬塚君に黙ってこっそりと黒澤さんに電話をした。勿論、怖気付いて逃げられないためだ。しかし、黒澤さんは電話に出なかった。仕事中なんだろうか?
犬塚君も誰かから電話がきた。土屋君だった。
「ちょ、お前、声がでけぇ…」
土屋君の声量の勢いがすごかったらしく、堪らず犬塚君が携帯をハンズフリーにした。
『え?家出かけんのか!?いや!あの!!10分、いや、5分待ってくれ!!今行くから、なっ!今走って行くから!お前んち!!』
犬塚君の苦情も虚しく、!マークが多い…。
そして本当に5分後、土屋くんが犬塚家にきた。
相当飛ばしてきたのだろう、土屋君は真っ赤な顔して息も絶え絶えだった。
「あ゛の、ごれっ…や゛る゛っ…」
片言しか喋れなくなってしまった土屋君は、巨大な箱を差し出した。
「お前、これ…」
中身は生クリームのケーキだった。可愛らしいサンタとトナカイの砂糖菓子と、チョコレートの星が散りばめられている。クリスマスケーキだ。
「お゛れ゛ん゛ぢ、ケーキ屋…だがら゛…遠慮、ぜず、食っで…」
自電車だと崩れてしまうから、抱く締めながら走ってきたのだろう。土屋君から濃厚な甘い匂いが漂っていた。
「ありがとう、土屋は少し休んでけ。茶くらい淹れるから。あと、代金も払わせろ」
い゛い゛、と土屋君は固辞した。
超絶繁忙期の家の仕事を手伝わなきゃならないし、土屋君自身が試作品として作ったものだから代金なんて取れないとのことだった。
そして、またものすごい勢いで帰っていったのだ。
「…いい友達を持ったよね、犬塚君は」
土屋君なりに、犬塚君のためにできることを考えて考えぬいて、やったのだろう。彼のうちが、ケーキ屋さんだったのは知らなかったし、こんなすごいケーキを作れる腕前だったのは知らなかったけど。
「ほんとにな」
犬塚君がワンテンポ遅れて答えた。照れ臭くて嬉しい、そんな顔をしていた。




