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世界の崩壊はゆっくりと近づいている。
そんな気がするのだ。
祐美ちゃんがいなくなって、明日がまともにくるとは思えない。世界ごと消えてしまうような気がして。
それならそれでいい。何ら未練はない。
この世界は不確かで歪で、目も当てられないほど理不尽だ。そんなものに価値はない。
◆
あれから音沙汰ないと思っていたら、黒澤さんに呼び出された。
呼び出されたうえに、校門前に黒い外車で乗り付けられて、そのまま半ば拉致された。
「ちょっと!あんまり無茶なことしないでくださいよ!!すごく目立ってましたよ!」
抗議したが、黒澤さんはヘラヘラ笑ってごまかした。
ヘラヘラしているのに、なぜかこの凶悪フェイスは影を潜めない。
「おじさんとデートしない?なんでも奢っちゃうよ?」
「茶化さないで普通に用件教えてください」
言うと、ハハとから笑いしながら黒澤さんは煙草の煙を吐いた。
「鬼ちゃんて、なんか祐美ちゃんに似てきた?ぶっこんでくる雰囲気とか超そっくりでびびったー」
「黒澤さん」
「わーったって。……えーと、はるか君たちは元気?」
こんな厳つい男の人なのに、トーンダウンしておそるおそる聞いてくるのはちょっとかわいいと思う。
「元気じゃないですよ、怪我も病気もないですけど」
大丈夫とは答えてあげない。祐美ちゃんのお見舞いに毎日来ているのは知っているけど、犬塚家に全く来ないことに私は怒ってるんだ。
「ちゃんと寝れてそう?」
「それなりには…」
自分の目で確かめてみて下さいよ、と言うと、うん〜と軽く躱された。車内が煙草臭いので窓を開けた。カーナビからは、ラジオが流れている。どこかの地方の異常気象のニュースが流れている。
「こういう時にオレが行ったって、余計はるか君怒らせるだろうし、塩撒かれるだけだし」
「撒かれるどころか、投げられてましたよね」
まぁ、黒澤さんの気持ちは分かる。あんなに拒絶されたら誰だって怖い。多分、犬塚君が黒澤さんのことを本当に許すことは一生ない。
「…でも、今行かなかったら、この先ずっと歩み寄れないですよ」
偉そうなことを言ってしまっている自覚がある。でも、黒澤さんに危機感を持ってもらいたいのだ。
「あー、えーと…だよねぇ〜。わかってはいるんだけどねぇ」
「24日、クリスマスパーティー開くんで、来てください。犬塚家で」
いま思いついたことだし、犬塚君に何も相談してないけど。
「え…もう来週じゃん、マジ?」
「マジです」
有無を言わせず、カーナビで一番近いトイザラスを検索する。
「俺からのプレゼントなんて、どうせ…」
「捨てないですよ」
「へ?」
「犬塚君、過去に黒澤さんから贈られたもの、捨ててないですよ。自分では、絶対に使ったり開封したりしてないけど、あの潔癖症の犬塚君がずっと保管してるんです。『かさばる!』とか怒りながら」
「……」
「犬塚君にとって黒澤さんは、必要なくて捨てたくても、絶対に捨てられないものなんです。きっと」
◆
「ねぇ、もう夜だし今日は行くのやめたら?」
久しぶりに自分の家に帰って、掃除とか洗濯とか片付けしていたら、猿河氏がきた。
なんの魔法をかけられたか、すぐ犬塚家に戻るつもりだったのに、宥めすかされ話し込んだり、もちゃついてたらもう午後6時をまわっていた。
「だめだって。さすがにもう…」
他人の脇に顔面を埋めながら言う。
温かい。人の肌のにおいって安心する。離れがたい。頭の撫で方が気持ちいい。
「行かないでよ、寒い」
「エアコン付けるから」
「付けなくていいから、もっかいしようよ」
気だるげな声で言うが、身動きした瞬間に覆い被された。慌てて私も本気めで抵抗するが、びくともしない。
「猿河氏」
「君の意思は尊重する。君の願いは何でも叶えてあげる。けど、僕はそれで何も感じてないわけないからね」
「……」
「犬塚がかわいそうだから?大変だから?だったら、僕が犬塚以上にかわいそうで大変な状況になればいいの?そしたら、僕とずっと一緒にいてくれる?」
「…ごめん」
「は?なに謝ってんの。悪いと思ってるなら、僕を選んでよ」
好きなはずの翠の目が今は直視できない。
「それは…」
「できない?じゃあ、今すぐ犬塚を選ぶって言って。偽善でも憐れみでもなく、好きだって宣言しろ。もう僕の前から消えて」
それで猿河氏が楽になるなら、そう言ってもいいと思った。
猿河氏はなんでも冗談みたいに言うから、そんなに傷つけていたとは思わなかった。
「やだ。やっぱ言わないで。そんなこと、言わないで。だって耐えられないし、君のいない世界なんかありえないし」
ぼたぼたと熱い雫が私の顔の上に溢れた。
「見てよ、僕今すごく惨めじゃない?かわいそうじゃない?だから、助けてよ。幸せにしてよ」
両手で顔を触れた。綺麗な顔がこんなにもぐちゃぐちゃになったとこをはじめてみた。
「私といても猿河氏は幸せにならない」
間違えたんだ、何もかも。お互い。
「なんでそれを君に決められなきゃ、ならないわけ?そんなのただの君の思い込みじゃん」
「分かる。私は誰も幸せにできない。私には何も出来ないから」
これ以上、猿河氏といても傷付けるだけだ。そんなことにやっと気づいた。
私は結局、自分が居心地いいから、私の秘密を受け入れてくれるたった一人を、離したくないために、ずっと縛り付けていたのだ。
「…いいよ、今の君に何言っても無駄だね。でも、今日はここに泊まりなよ。毎日毎日、他人の家に上がり込んだら失礼だよ」
「いや、行く。猿河氏どけて」
「やだ」
「猿河氏」
「やだ」
「お願いだから」
「哀ちゃんに用事まだあるから、行かせられない」
「用事って…」
「まだしたい。触りたいし、哀ちゃんの顔見てたいし、話もしたい。足りない、全然足りないから」
猿河氏はまったく動いてくれない。
仕方ないから、私は近くにあった携帯で犬塚君に連絡した。
(これで最後)
私はまだ溢れている涙を掬ったあと、相手の頭を引き寄せて、その唇を舐めた。少し塩辛かった。




