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93:


黒澤さんとのお出かけ中に急に倒れた裕美ちゃんは病院にすぐさま運ばれその後意識は戻ったが、そこから今までの姿が嘘みたいにみるみる弱っていってしまった。


犬塚君は裕美ちゃんの病気のことを聞いた。黒澤さんの口から。

症状は末期で明日も分からない状態であること。

もう治療しても、体力を削るばかりで延命できる見込みはないこと。

裕美ちゃんから犬塚君たちのこれからを責任もって任されていること。


その話を聞いた時は犬塚君は狼狽していたようだった。

怒りも泣きもしなかった。表面上は淡々と、「そうか」と受け止めた。黒澤さんのほうが苦しそうな顔をしていた。

犬塚君は裕美ちゃんの入院の手続きや準備を一人で黙々とこなしたあとは、いつも通りに家事をして輝君たちの送迎をして裕美ちゃんの着替えを取りに病院に通っていた。


時々、ぼんやりと何かを考え込んでいるのか呼んでも返事が返ってこない。

犬塚君は一度洗濯を失敗した。色物の服に漂白剤を入れて洗濯してしまったのだ。それを見て、これはやばいと思った。


平気なわけがないのだ。大切な人の死が目前に迫っているのに、壊れないわけがない。


私のお母さんは亡くなっているけど、犬塚君の受けたダメージの比になんかならない。赤の他人である私ですら胸が掻き毟られるほど苦しい。こんな現実なんて受け入れたくない。







「もう冬だねぇ」



あれから、一ヶ月経った。裕美ちゃんのいうとおり、12月ももう半ばだった。病院の先生は年越しは難しいと言われていたのを思い出して胸が痛くなった。


裕美ちゃんは一日のほとんどをベッド過ごしている。体はみるみる衰弱していって、会話もするのも今はいっぱいいっぱいなようだ。

最近は、よく眠っている裕美ちゃんだが今日はたまたま起きて窓の外を眺めていた。


「裕美ちゃん、どう?少しお話できる?」


「だいじょうぶ、今日は調子いいみたい」


こんな時でも裕美ちゃんの笑顔は可愛らしかった。すっぴんでも青白くても、この輝きは普遍だ。


「はるか君のことでしょ」


「うん…。やっぱり全然大丈夫じゃない。私全然力になれてないし」


「そうかなぁ、でも私に様子を報告できるくらいに一緒にいてくれているんでしょ?なら十分だよ。ありがとう」


お礼なんか言われたくてしている事じゃない。

私は裕美ちゃんにたくさんのものを貰った。そのお返しをするにはなにもかも足りない。


「はるか君、また《いい子ちゃんスイッチ》入っちゃったんでしょ」


「いい子ちゃんスイッチ?」


うん、と祐美ちゃんは窓を見つめたまま頷いた。


「私があまりに頼りなくて情けないから、いつの間にかはるか君にできたスイッチ。お母さんを困らせないように、いいお兄ちゃんになるために、不平不満を言わないで全部自分のなかに溜め込んで隠しちゃうスイッチ」


「祐美ちゃん…」


「はるか君に甘えて頼ってばかりだったな、私。最初から最後まで。お母さんらしいこと何ひとつできなかった」


それでも犬塚君に祐美ちゃんは必要なのだ。犬塚君にとって祐美ちゃんは生きる意味なのだ。それが無くなったら犬塚君は一体どうしたらいいのだろう。


「スイッチを押しちゃうのは、もうはるか君にとって仕方がないことなんだよ。魚がえら呼吸しかできないみたいに。だから、はるか君のしたいように今はさせてあげれば良いと思う。あとは、りっくんとの事なんだけど…」


黒澤さんはあれ以来、祐美ちゃんのお見舞いには来ているが犬塚家には顔を見せてはいない。せっかく輝君たちが黒澤さんに懐きはじめたところだが、立場的に黒澤さんからこれ以上歩み寄れはしないだろう。

あとは、犬塚君がどこまで納得できるかだけど。


「…黒澤さん以外には、頼れる人はいないの?祐美ちゃんのご両親とか」


すべて頼れなくても、協力くらいはしてくれたら少しは違うとは思う。


「うん、私ね。パパもママも小さい時に事故で亡くしてるの。親戚付き合いも薄くて、一時期施設にもいたことあるんだ。りっくんの親もちょっと問題ある人達で…。そこは無理だと思う、この先何があっても」


「……そっか、ごめん。変なこと聞いて」


じゃなきゃ、赤の他人の私を頼るわけない。


「いいんだよ。まぁ、りっくんのことはなるようにしかならないよ。どのみちりっくんには、私の命を懸けて責任をとって貰うんだから」


個人的には、犬塚君と黒澤さんには和解して欲しいけど。








目に見えて不安定になったのは、やはり輝君と昴君だった。

正確には伝えてないし多分事情は分かってはないけど、何かを感じ取ったらしく、祐美ちゃんから離れるのを嫌がった。


「いい加減にしろ、あんま困らせんな」


犬塚君にも余裕がなくて、病院や祐美ちゃんに迷惑をかけたくないあまり、怒って無理に引き剥がした。


「まぁまぁ、犬塚君。輝君、昴君、今日は祐美ちゃんねむねむするんだって。ねむねむ出来ないと元気になれないでしょ?だから今日は帰ろう?」


差しでがましいとは思うが、私が間に入って宥めた。

まだ不安そうな顔をしている輝君と昴君を抱きしめた。


「今日は私も泊まるから、輝君と昴君も一緒に寝よう」


祐美ちゃんが目の前で倒れてからというもの、二人はなかなか眠れなくなってしまった。眠っても、嫌な夢を見て起きてしまい、疲れ果てるまで泣き続けてしまう。

犬塚君は口に出しはしないが、目に見えて参っていた。犬塚君自身も寝不足で精神的に消耗していて、見ていられなかった。

良くないと思いつつ、また犬塚君にホームステイする流れになってしまった。


「すまん、鬼丸」


だめなのだ。

犬塚君に頼られるのが嬉しい。迷惑だと突っぱねられないのが嬉しい。犬塚家に私の役割と居場所があるのが嬉しい。


不謹慎だ。私が醜いからそう感じてしまうのだ。

だってこれじゃあ、私が祐美ちゃんの場所を奪ったみたいだ。


私のほうが、死ねばいい。私がいなくなって祐美ちゃんが助かるならそれでいっこうに構わない。だけど、私の命と肉体なんかになんの価値はなくて。


こうしている間にも、祐美ちゃんは死に向かっていく。せめて、彼女の願いを確実に叶えるしかない。私の個人的な感情など噛み殺してしまえばいい。私の胸に空いている穴が透けて見えないように、演技すればいい。なにも考えていないしなにも知らないし感じていないように見えるように。




夜中、電気を消して川の字で眠るとき、私は緊張してしまう。特に輝君と昴君が先に眠ってしまったあと。

テンパって声をかけてみたりしまう。


「犬塚君、頑張りすぎないでね」


背中にいつもと違うひとの気配を感じて落ち着かない。以前は感じなかった強烈な羞恥を感じる。

耳を澄ますと呼吸音が、鼻を意識すると男の子のにおいがする。右腕のしたのふたつの小さな頭とは違う体温を感じる、触れてはないのに。


犬塚君から返事はない。眠ったのかもしれないし、聞こえていないかもしれない。暗闇は時々私に冒険させようとする。だから余計なことを、呟いてみる。


「私は、いつも犬塚君の味方だよ。いつも側にいるよ。いくら頼っても、嫌いにならないよ」


私のすべては、君に捧げるよ。


犬塚君が例え嫌だと言っても、私はそうすることをやめられないし、きっともうそれは実行されつつあるのだ。

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