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お前、まだ猿河とつるんでるのかよ。とは、あの二人の姿を見たあとでは言えなかった。
元から鬼丸が猿河に何故か目をつけられて嫌がらせされたのは知っていた。鬼丸は猿河に関わるのを嫌がっていたし、離れようとしていたように見えた。また何か弱み握られているのか?しかし、あんなに親密そうに寄り添って歩いていて脅されてるとはさすがに思えない。しかも夜道。もしかして、親からだと思ったあの連絡は猿河だったのか?
「…土屋、お前まえに猿河と鬼丸が付き合ってるって噂あるって言ってたけど、あれってなにか根拠あるのかよ」
どうしても気になって、次の日教室で土屋と昼休みに駄弁ってさりげなく聞いてみた。鬼丸はいない。雑談の延長だと思って軽く答えてくれると思ったのに、土屋は「ニヤッ」といやらしく口角を上げたから、ついしばいてしまった。
「なにすんの、もー。ていうか、やっぱ気にしてんじゃん。猿河のこと」
「うるせえ。余計な事は良いから質問に答えろ」
どやすと、土屋は「ん〜…」と頭をかきながら答えた。
「オレは見てないよ?ただ、先輩が見たらしくて」
「何を」
「猿河と鬼丸らしき男女がキスしてたって。学校で」
は?
意味が一瞬理解出来なかった。あまりに想像つかなくて。
「犬塚?大丈夫?なんか思考が宇宙に行ってるように見えるけど」
「……キスって、なんだよ」
土屋は長い長い沈黙の後、「いや、魚の鱚じゃないと思うよ…?」と答えた。これはさすがに俺が悪い。
有り得ない。あの鬼丸が。
想像してみたら、目眩と吐き気がした。こんなにも強烈な拒否反応が体に出たのは久しぶりだった。
「人違いだろ」
あんな、頼りなくておっちょこちょいで色気より食い気の、とぼけたあどけない顔の同級生が。
「でも、仲よさそうに一緒にいるとこ、割と見るし」
「鬼丸は誰にでも懐くだろ。つーか、猿河に嫌がらせされてるだけだから。土屋も見かけたら助けてやれよ」
「え?でも、鬼丸超楽しそうだったぞ?なんなら俺らといる時より…」
「そんなの、ただのお前の勘違いだろ。だって…」
なんだか一人でテンパって、余計な事を口走りそうになった時、ふいに頭の上に影がさした。
男子の分際でつけてる甘い香水の臭いに瞬時に、腹わたが煮えくりかえる。不快感で。
「哀ちゃんは、犬塚の事が好きだからって?」
どこからいたのか、廊下と繋がった窓から丁度隅にいた俺らの間に金髪のデカブツが割って入ってきた。腹立つニヤけ面で。
「ほーんとおめでたいやつだよね、チワワ君は」
口角は上げながら、翠の目は好戦的に輝いている。猿河だって敵意剥き出しだから、今更友好的に話せるはずもない。
「残念。あの子はとっくの昔に僕のものだから。ていうか、早々にフッといてなにその驕り?勘違い男も甚だしいんだけど。ウケる。つーか、それ以前にさぁ…」
土屋がさっきから一言も喋らない。おそらく、猿河の発する威圧感に相当ビビってるんだろう。
「自分の事ばっかで、あの子の事をなに一つ知らないやつに、髪の毛一本たりとも渡したりしないから。それで、哀ちゃんを自分の元にただただ縛り付けようとするなら、遠慮なくぶっ潰すから」
「なんだよ、お前。鬼丸が好きなのかよ。くっだらない」
そう言えば猿河は「鬼丸の事なんか好きではない」と否定すると思った。このプライド高い男が、認めるはずがなかった。
しかし。
「そうだよ、好きだよ。死ぬほど愛してるよ。自分なんかどうなってもいいくらい」
猿河が息を吐くようにしゃあしゃあとひそんな事をさらりと宣った。意外な発言に俺が絶句してまった。
「で?気持ちに応えるつもりもない癖に、家庭内のペースメーカーとして利用して、意味もなく執着してくる男とどっちが下らないかなぁ」
「あ?」
明らかに俺を批判している物言いに、頭に血が上ってくる。そんな俺の顔を見て猿河が鼻で笑った。
「鈍感だね。これくらい分かりやすく言わなきゃ、伝わんないんだ」
「どういう意味だよ」
「なんで、僕がいちいち事細かに説明してやんなきゃなんないの。他人のことに無頓着なら、自分の気持ちすら分かんないやつに」
猿河はいつのまにか真顔だった。こんな顔を…した猿河と対峙するのは初めてだった。だからといって怯んでやったりはしないけど。
「別に犬塚がどうなろうがどうでもいいけど、あの子だけは巻き込まないでね。今だって相当嫌なんだから。君のとこに行かせるの」
「…猿河氏、なにやってんの」
サッと猿河の顔色が変わった。さっきまで親の仇でも射殺すような殺伐とした雰囲気を醸し出していたのに、それが一瞬で消えた。消えてその表情が柔和に解けた。
「まさか、何も言ってないよね?」
鬼丸は逆にずっと固まった顔をしていた。緊張しているのか顔は血の気がなかったし、瞳孔は大きく広がっていた。
「別に~。哀ちゃんが心配してるような事はなにも。でも、こいつの勘違いっぷりがすごい腹たってさぁ」
「お願いだから、猿河氏は余計なことしないで」
馴れ馴れしく絡みついてくる猿河に見向きもしないで切り捨てる鬼丸に、なんとなく安心した。
「哀ちゃんの邪魔なんかしないよ。絶対」
鬼丸の両肩を抱え込むようにして密着して離れない猿河に腹が立ったが、俺が何かを言う前に次の授業を開始を告げるチャイムが鳴った。
「…なんか、雰囲気変わったよな。あいつら」
一部始終を見ていた土屋がボソッと呟いたので振り返る。
「あいつら?鬼丸は変わんないだろ」
「うーん、でもなんか、前はもっとフワフワしてた気が…」
抽象的なことを言われても分からない。
それに俺は別に鬼丸に違和感は感じなかった。
それにしても、猿河が鬼丸を好きとか。
いつもの軽口か?大体本当に好きなら、他人に言えない。俺なら絶対に言えない。
そもそも、恋愛感情自体持ちたくない。気持ち悪い。
だから、鬼丸。もう揺さぶりをかけてくるな。煽るな。ふとした拍子で、いつか俺が鬼丸を好きになってしまったらと思うと怖い。
◇
「い、犬塚、これ…!」
一人で早めに別の教室へ向かっていると、背中に突然なにかをぶつけられた。驚いて振り向くと萩原だった。なぜこいつがここに?
「なんだよ」
萩原は走ってきたのか顔が真っ赤で、ゼーゼーと肩で息をしていた。
「こ、これ、この間の、御礼…」
「この間?」
「あ、あの、マフラー!」
ああ、そういえばそうだった。
前に萩原達と遊んだ時に、あまりに萩原が寒々しかったからマフラーをあげたんだった。もう一ヶ月近く前の話だ。
「礼なんて別にいいのに。あの時、マフラー作りにハマってて何本もあったし」
「でも、超網目キレイで、あったかかったし…いいから、受け取りなよ」
そう言うと、紙袋を俺に押し付けて、萩原はまた逆走していった。
「なんだあいつ…」
紙袋の中には、運動靴が入っていた。ゴツいフォルムのしっかりしたメーカーのものだ。シューズには詳しくないのだが、多分高かったろうに。せめて大事に履こうと思った。
萩原は意外と義理堅いんだと思った。
「色男」
急に声がした方向を見ると、例の転校生がいた。
桃園零。長いウェーブがかかった長い髪と、血の気のない顔が印象的な女子。性格はよく分からない。なにせよく学校を休むし、授業も居眠りばかりしている。口数も少ない。
「あれの事が好きなの?」
真顔でなんか言ってる。
「あれ、って萩原のことか?」
桃園は頷いた。表情が読めなくて、なにを考えているか分からない。
「なんでそんなこと…」
「貴方の情報を収集しているの。きっと、貴方は鍵になる人間だから」
あの子を救う鍵、と桃園は続けた。
桃園が言ってることの意味が一つも分からない。
しかし、何となく前に桃園に偶然会った時の事を思い出した。
桃園が転校してくる前の話だ。その時も、鬼丸と付き合ってるとかどうのこうの聞いてきたんだった。桃園は鬼丸と前から面識があったのだろうか。鬼丸は別に桃園を知らなかったようだが。
「今はまだ詳しい説明は出来ないの。しても、貴方には理解出来ないから」
電波系なのだろうか。真顔で変な事を言う女だ。
その後も桃園に何度も個人的な質問をされた。断りきれなくて答えたが、途中で時間を理由に逃げてしまった。なんだか怖かったのだ。




