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偏頭痛は暫く続いた。
薬を飲んでもなかなか鈍痛が収まらなくてしまいには熱が出た。
あれからどうやって帰ったのかよく覚えていないが、ちゃんと自分の家にいた。多分、猿河氏が色んな事を私の代わりにやってくれたのだろう。自分の事は自分でしなければいけないと思うのにそれが出来なくて焦れったかった。
「…猿河氏、学校は?」
「開口一番にそれ?もっとほかに言う事ないの?」
「あ…ありがとう」
お礼を言うと、猿河氏はふっと安心したように微笑んだ。翠の目がきらきら輝いていて一瞬目を奪われた。油断して見とれていると、デコピンされた。
それにしても目を開けてすぐ傍にいて一番最初に目に入るのが氏とかちょっと出来すぎてない?携帯を確認したら普通に平日だった。昼間だし。
看病してくれたんだろうか、この状況は。あの猿河氏が。明日は嵐で大雪かな…。
「もう少し病状悪かったら病院かつぎこむ所だったんだからね。君が泣いて嫌がろうが」
記憶が曖昧だけどそんな事をなんか言った気がする…。
最近、かかりつけのお医者さんが病院辞めて暫く代わりの人が暫く来ないからって紹介状を貰ったんだった。面倒臭くてまだ何もしないままだったのだ。こんな状況で気にする事ではなかったと今なら思うけど。
「何か食べれる?プリンとかは?」
「食べれる、食べれるから!あーん、とかいいからもう」
「じゃあ逆は?逆にあーんしてくれんの?」
意味がちょっと分からない。
プリンひとつをえらく時間をかけて二人で食べさせあう謎プレイをひとしきりした後、猿河氏が「そういえば」と何かを思い出して私に携帯を寄越した。
「着信あったよ。このマンションの管理会社から」
「え…?」
ちょっと嫌な予感がした。
急いで電話をかけ直すと、内容は口座に先月の家賃分のお金がないから引き落としできないとのことだった。慌ててお父さんに電話したが通じない。
「どどどうしよう…」
情けなくも目の前の猿河氏に縋ってしまう。こんなの言ったって困らせるだけなのに。
「とりあえず今回は僕が立て替えるよ」
「え、それは…」
「遠慮できる状況じゃないの分かってる?すぐお金用意出来る蓄えあるんだっけ?今月五千円で乗り切るとか言ってたよね、この前」
「ご、ごめん…。お願い、します」
「だけど、この分だと学費もちゃんと払えてないかもね」
猿河氏の言う通りだった。学費も同じく通帳から引き落としにしている。私立だから額はそこそこ大きい。
「電話も通じないんでしょ?保護者にもう直接言うしかないんじゃない。怖いなら僕も行くし」
「そ、それは…」
「じゃあ何。哀ちゃんは僕ん家に住む?バイトして無理矢理学校でも行く?正直、普通の高校生向けのバイトじゃウチの学校の学費稼ぐの結構大変だと思うけどね。いっそ中退して僕が18になった瞬間籍入れるのもアリ?」
「スイマセン、お父さんにお願いしてきます。あ、一人で」
「…ふーん…へー…」
猿河氏が醒めた目で私を見下ろす。頬杖をついて呆れ顔をしていて、なんとなく心苦しくて目を逸らした。
◆
金欠問題はひとまず置いておいて。
一週間ぶりに自分のクラスに行くと、なにか違和感があった。
知らない人がいる。
女の子だ。長くてクセのある長い髪の女子。背丈は丁度私くらい。垂れ目なのに、その目つきからは意志の強さが感じられる。物静かでなんとなく近寄りにくい雰囲気だけど、なぜか気になってしまう。
しかも席は私の隣だ。なにか話しかけた方がいいような気もしたが、結局1限目までは会話出来なかったし目すら合わなかった。
「沙耶ちゃん、あの子って…」
休み時間になって、ようやく友達の沙耶ちゃんに聞いてみると転校生らしい。
「なんかよく分かんない子よ。ウチの学校の理事長の娘らしいんだけど」
「えっ!お嬢様じゃん!」
「なんか無愛想だけどね。授業も転校早々サボリまくってるし居眠りもしろくにクラスの皆とも話さない孤高ガールよ」
世話焼き属性強めな沙耶ちゃんがこんなにも興味なさそうな顔をしているのも珍しい。確かにクラスの他の人たちがその子に話しかけたり構ったりしていないようだった。
私は考えたが、居ても立っても居られなかった。一応、考えた。すごく人と接するのが嫌いな子なのかもしれないとも思った。だけど転校初日に会えなかったし自己紹介くらいはしても変ではないのではないだろうか?
「桃園、零ちゃん?」
覚悟してその子に声をかけた。
彼女は私とは別の方向を見ていたが、声をかけた瞬間ぴくっと頭が小さく動いたのを見た。そして、とても慎重にゆっくり時間をかけて彼女は振り返った。初めて目があった。
用心深く此方を睨むその目はまさに小動物の目つきだった。
「えーと…私、鬼丸哀っていうんだよね!零ちゃん、でいいかな?転校して色々分かんない事あるかもしれないけど、隣の席のよしみでなんでも聞いてね!」
彼女が目を見開いた。
小さめの黒目がくっきりと全て見えた。つられて私も同じような顔をしてしまった気がする。
「…で」
「え?ごめん、聞こえなかった。もう一回お願い」
予想以上声が小さく私は頭を彼女に寄せた。
彼女はさっきよりは少し大きめに声を出した。
「気安く名前呼ばないで。貴女とは別に馴れ合うつもりなんかない」
さらっと拒絶された。
不思議とショックではなかった。ただ、なんとなくどういう理屈かは分からないけど、そういう反応をされるような気がしていたからだ。
「うん、分かった。桃園さん」
そう答えて笑ってみせると、一瞬なぜか桃園さんの顔が泣きそうに見えた。見間違いかもしれない。このタイミングで泣くとかどう考えても意味が分からないし。
桃園さんは馴れ合うつもりなんかない、と言ったけど、私は仲良くなりたいなと思った。
まだどんな子か全然分からないけど、何故か無性に近づきたくて好かれたい。こんな気持ちを他人に抱くのは初めての事だった。
「…でも本当、困ってる事があったら教えてね。そうじゃなくても、いつでもなんでも喋ってくれていいから」
なんとなく中学校の時の自分と桃園さんが被ったからかもしれない。私はあの時の自分にとって最も必要としていた人間になりたいと思った。
「……」
桃園さんは何も答えず私をじっと見返した。
私も桃園さんを見つめ返すと、なにか不思議な気がした。
二人とも無言でいると、チャイムが鳴って先生が教室に入ってきた。慌てて席についた後、こっそり隣の席の桃園さんを横目で見てみると、既にうつ伏せになって眠る態勢に入っていた。少し笑ってしまった。




