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85:


最初はお母さんのお墓に行った。


お葬式に少しだけ出てから、全くその後なにもしていなかったのが心残りだった。お父さんには余計な事をするなと怒られそうだけども、私としてはどうしても一度挨拶に来たかったのだ。

…まぁ、猿河氏を引き連れて行く場所ではないのは百も承知だ。強制してない、勝手に付いてくるから仕方がない。


コンビニで花を買って、ささやかながらお供えした。四十九日も既に終わり、お母さんが亡くなった事も改めて腑に落ちた気がする。

自分のとは違う苗字が彫られた想像より小さな四角い石の柱の下に、お母さんの残骸がいる。

私はなんにもあの人の事を覚えてないし、ろくに面会もせず思い出もなかった。だけど、せめていつも忘れないでおこうと思った。私にとってあの人が永久に母親なのは絶対変わらない事実だ。



「哀ちゃんのお母さんて、どんな人だったの?」


猿河氏は殊勝なことに静かに両手を合わせたあと、そんな事を聞いた。


「分からない。覚えてないし、私がこうなってからはずっと病院に入院していたから。精神の病気で会話も出来なくなっていたし」


「見た目は?哀ちゃんはお母さん似?」


「えー…どちらかというとお父さん似だとは言われるかも」


「へぇ」


「あ、思い出した。ひとつ、お母さんのこと」


「なに?」


「人形をすごく可愛いがってた。私がこっちを見て欲しくて、人形を取ったらすごく怒って…なんだったっけ、あの人形の名前」


猿河氏がじっと此方を見下ろしている。不思議な色合いの翠に近い虹彩を見つめ返しながら記憶を探る。

人形のボサボサの髪を何度も熱心に梳かし続けていた痩せこけたお母さんの姿ばかり思いうかぶ。


「確か…」


きゅー、とまぬけすぎるタイミングで私のお腹が鳴ってしまった。ぶは、と猿河氏が全く我慢した形跡だあもなく吹き出した。


「昼過ぎたしね。ここ来る途中にファミレスあったし」


「……うん」


ごく自然に私の手を引く猿河氏を見つめ返しながら、この人なんか変わったなと思った。いや、もしかすると一緒にいる時間が増えたことで以前は見えなかった部分を見せてくれるようになったのかもしれない。

それに対して罪悪感を感じるし、忌避するべきことだとは思ってはいる。










「…で、今日はあとどこ行くの?」


「猿河氏、まず正面に座ろうか。狭い狭い」


「えー?」


えー?じゃなくて。テーブル席で正面じゃなくて何故真横に座るんだよ。ちゅっ、ちゅっとドサクサに紛れて無断でキスしてくるんじゃないよ。

しかも地元のファミレスだ、ここ。昼間からいちゃついてるカップルなんていない。


「嫌だった?」


「い、いやではないけどぉ」


私の答えが猿河氏的に正解だったらしく、にやにやしてご満悦顔。


「少し休憩しない?この辺ホテルとかあるっけ?」


性欲を催すんじゃないよ。それは行かないから。前振りとかじゃなく行かないから。そんな時間がないから。

だいたい、昼間のファミレスでする会話ではなく、私も恥ずかしくなってきたから話題を戻すことにした。ぐいぐい体を押し付けてくる猿河氏はとりあえずスルーする。


「…えーと、今日はあとは、川を見に行くかな」


「川?」


「私が記憶なくした場所。川辺とかじゃなくて、こう丘になっててその下に川が流れてるみたいな」


ものすごく久しぶりに行く場所だけれど、不思議と行き方だけは覚えている。ずっとずっと行きたくないと思っていたから、逆に印象に残っているのかもしれない。


「危なそう…行くのやめたら?」


「猿河氏は来なくていいよ」


「余計に危ないじゃん、それ。僕が見てないとこで勝手なことしないでよ。君は僕のなんだから」


一ミリも崩れない真顔で何言ってんの。それに、さすがにこの歳になって落ちたりしないって。


「幽霊出るかもよ。ゾンビとかも出るって」


「猿河氏…」


川の近くに行くのが危ないとかの問題じゃない。最悪流されて死ぬならそれでいいとさえおもう。

泣こうが喚こうが、私は立ち向かわなきゃならない。記憶を取り戻さなければならない。完全な人間として生き返らなければ、どのみち私は心臓の動く屍人のままだ。


「哀ちゃんは普通の生きてる人間だよ。子供の時のこと覚えてなくても」


せっかくテーブルに置かれたのに、一向に手をつけられないナポリタンがかわいそうだった。


「例えば、セックスの時さぁ」


「猿河氏?」


「いや真面目な話ね。セックスしてる時、僕はすごくすごく生きてることを実感してるよ毎回。そんなのさぁ、普通に生身の人間相手じゃなきゃ絶対に味わえない感覚なんだよ。幸せっていうんだよ、それって。独りよがりではないって僕は願ってるけど」


「…その例えは回答に困るよ…」


「今の哀ちゃんに足りないものなんか無いから、僕は別に記憶を無理に思い出す必要なんかないと思ってる。辛いことや嫌なことから逃げても良いじゃんか。それで、哀ちゃんの精神状態が不安定になったり、哀ちゃんが哀ちゃんじゃなくなるのが嫌だ」


猿河氏がそんな事を言い出すなんて、半年前から想像がつかなかった。そもそも私を助けようとするなんてあの自分大好き猿河氏が。

私の事を好きになったことが謎でしかない。そしてその兆候を摘めなかったことに後悔している。きっとどこかで選択を間違えた。


「私の意思を尊重してくれるって言った…」


「するよ。別に哀ちゃんのしたいようにすればいい。ただ今言ったことを聞いて考え直してくれたら嬉しいなってだけ」


猿河氏がポロッと発した言葉は、以前の私ならただの冗談だと思っていただろう。だけど、今の私はそれを真に受けて泣きたくなる。

良くないことだ。

だけど、私は猿河氏を信頼しすぎている。自分の考えている事や気持ちなんか他人に簡単に言うような私ではなかった。欲望のままに他人に触れる事なんかしなかった。

猿河氏は私の過去も我儘もなんでも受け入れてくれる、私の知覚できる範囲ではそう感じる。その結果、私自身が猿河氏に依存しかけている。救われたいと、幸せになりたいと願ってしまいたくなる。

無理なのに。


「…私のこと、いつでも見限って良いからね。ぶん殴っても玩具にしても好きに罵ってくれていい。他の女の子の方へ行ってもいい」


そうでもしてくれないと調和が取れない。他人に甘えたくなる心を打ち消せない。


「は?やだよ。なんでそんな事しなきゃならないの」


猿河氏は意地が悪いから、全て分かった上でそう答えるのだ。その証拠にものすごく悪い顔をしている。


「なに、休憩する気にでもなった?」


「…………………30分くらいなら……」


ほんと、こういうとこだよ。私の馬鹿。

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