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[extra21 親子]

彼にとって結婚とは、予想外のアクシデントのようなものだった。


裕福な家庭に生まれてしっかりと教育を施されたものの、自分には人間的に足りないものがあり、決して他人に愛されるような男ではない事を自覚していた。

愛想はなく、低俗な会話も嫌いで、優しくもなく、性格だって良くもない。だから、恋人どころか友人すらいなかった。

しかし、なんの因果か大学で法学を専攻していた芽衣子と出会い学生のうちに結婚してしまったのは我ながら晴天の霹靂だった。その数年後、息子が生まれ、まもなく離婚した。

それについては彼自身も色々と思うことがあるが、掘り下げると長くなるので割愛。


今は自分の元に戻ってきた息子と暮らしている。が、日々迷いの連続である。






「あら〜、しーちゃんまたむちゅこたんとケンカ?」


コロコロとマドラーを鳴らしながら、行きつけのスナックの女性スタッフが彼の隣で、カクテルを作っている。


「ケンカじゃない。君には関係ないだろ」


「うそだぁ。しーちゃんウチにくる時は必ず家で何かあった時じゃない。ゆーみんにはウソなんか通じませんぞ〜」


このスタッフ、『ゆーみん』とは振り返ってみれば長い付き合いになる。

元々、そういう店に縁のなかった彼だが当時の医院長(つまり父親)に連れられて、それ以来月二、三回は来て飲んでいる。特にこのゆーみんは、彼の肩書きや人相の悪さ・口の悪さや無愛想さに怯まずに接客してくれるので、桐谷忍としてはうまい酒が気持ちよく飲める店として重宝していた。


「…別にケンカした訳じゃない。ただ、あいつが初めて反抗なんかしたから…」


「反抗?」


「家に初めて友達を連れて来て、しかも女の子だったからつい、驚いたから罵倒して追い出してしまったんだ。そしたら雪路が」


「しーちゃん、馬鹿なの?」


「だって、友達といいつつ彼女だったらどうするんだ!?明日にでも結婚しますとか言い出して巣立ったらどうする!?怖いだろ!使用人の千鶴子も雪路が自立したら、隠居するとか宣言しているんだぞ!私はあの家に独居するだと?」


「うんうん、分かったから落ち着こうね〜。アホの桐谷てんてー」


なでなでとゆーみんに適当に頭を撫でなれながら、桐谷忍は勢いに任せジョッキを一気に開けて席についた。


「しかも、その後雪路が私の誕生日を祝ってくれようとしたのだが、初めてのことでリアクションに失敗した…」


「またやっちゃったの?」


「サプライズが苦手なんだ。せめて一ヶ月前から教えてくれれば少しはまともな反応が出来たに違いないんだ。誕生日会は中止になり、千鶴子には怒られ、雪路はどこか上の空で、雪路の友達は帰った」


桐谷忍は全く素直ではない。このように本心をさらけ出せる人間は限られてくるし、家族にも威厳を出したいあまり非情な対応をして後で後悔するタイプの人間である。


「雪路には『友達に再三酷いことを言った事を謝って下さい。でなければ、僕は貴方を父親として尊敬出来ません』とまで言われ」


「あらぁ、出来た息子さん〜」


「しかし、それ以来その友達は遊びに来なくなってしまった。私のせいか…?」


「かもね〜。分かんないけど」


人間、四十も過ぎてしまえば変わらないものだ。

桐谷忍は元妻も息子も愛してはいるが、それを態度や言葉にして表に出せない人間だった。人並みに寂しさや悲しみを感じているが、それを癒すために他者に甘える事がどうしようもなく下手だった。


「しーちゃんは完璧な人になろうとするから失敗するんだよ。割とアホっ子ちゃんなんだから。特に息子さんに対しては失態を見せたくないあまり、すごい冷徹なお父さんになってる気がするよ?話聞いた限り。普通に、まだ家にいてくれ〜病院を継いでよ〜結婚しても二世帯住宅にするから住んでくれ〜って直で言えばいいのに」


「…ふん。君のような小娘に親の気持ちの何が分かる」


「え?あたし、しーちゃんの息子さんと同じくらいの子供いるけど」


「!??」


桐谷忍は驚きのあまり、口に含んでいた洋酒を全部吹き出した。

長い付き合いになるが、ゆーみんの実年齢なんて知らなかったし、どう見ても二十代半ばくらいにしか見えなかったからだ。





彼とその子どもの話はさておき、ここで少し彼の家系についての説明をしよう。


彼には妹が一人いる。美鈴という彼女は、男児だからと厳しく躾けられた忍とは違い、それはそれは大事にされ蝶よ花よと甘やかされてきた。

実際見た目も美しく家柄も良い彼女は大人になるとすぐ良い縁談に恵まれ家を出た。しかし、夫が気に入らない事をする度に実家に帰り癇癪を起こす事を繰り返し、浪費癖がひどく、極度の箱入り娘なものだから社会的な常識が通じないという妹とその夫の夫婦生活は順調とは言い難かった。まもなく離婚し、それがショックだったのか塞ぎ込むようになり実家も姉一人養うくらい痛くも痒くも無い経済状況だったのでそれ以来外界から離れて生きてきた。少なくとも忍の認識ではそのはずだった。


『私、再婚しようと思ってますの』


美鈴から連絡があり、そう告げられた時は耳を疑った。


『今度、お家でチガヤさんを招いて食事会を開こうと思ってるんですよ。お兄様と雪路君も良かったらどうですか?』


頭が痛かった。お前はまた同じ失敗をくり返す気かと。美鈴の人間性は自分と同じく他人に受け入れられるようなものではない事を知っていた。


せめてまた被害者が出ないように相手を説き伏せて結婚をやめさせようと彼は思った。また、両親からも出動要請があり雪路の顔を見させろという強い催促に根負けして、雪路を伴って食事会に参加する事にした。


「お兄様お久しぶりです。雪路君も」


「ああ。お前は、変わらないな」


美鈴は、先日のゆーみんとはまた別の意味で変わらないという印象を受けた。

少女のような煌びやかなデザインの服を着て、髪は巻き、甘えた頼りない目をした三十路過ぎの女が自分の血を分けた妹だという現実に相変わらず心に鈍い重圧をかけてくる。


「叔母…失礼、美鈴さんもお元気そうで良かったです」


雪路が小学生の頃、実家に連れてきたら美鈴と遭遇し『叔母さん』と呼んだ事がある。まさしく叔母に変わりないのだが、美鈴は酷く憤慨し癇癪を起こした。口にはしないが、その一件以来雪路は美鈴が苦手である。


「で、そちらが?」


美鈴の隣にいるのは、目尻の下がった笑い皺のある感じの良さそうな男だった。年齢は自分と同じくらいだろう、と忍は思った。


「初めまして。鬼丸 千萱(ちがや)といいます。以後、よろしくお願いします」


鬼丸、という苗字を聞いて咄嗟に忍は雪路の方を見た。雪路もまた忍に目配せしていた。

先に口を開いたのは雪路だった。


「失礼ですがもしかしてこの辺りに御親族はいらっしゃいますか?僕の学校に鬼丸という苗字の子がおりまして…」


「学校?雪路君はどこの学校に?」


「桃園学園です」


鬼丸千萱は数秒無言だったが、やがて首を右に傾げた。


「さぁ、分からないなぁ。確かに珍しい苗字だけどねぇ」


にこにこと太陽のような笑顔に、しかし二人は既視感を拭えなかった。


食事会が始まり、美鈴が千萱の事を紹介し始めた。


鬼丸千萱は県内で一般企業に勤める会社員らしい。医療器具メーカーで、実際忍自身も取引はしていないがその会社名は知っている。彼自身も一回離婚をしているという。子供はいない。両親や元妻は亡くなっている。美鈴とは知人の紹介で出会った。


話を聞く限りごく普通の男性のようだった。

故になぜこの男が美鈴をよりによって選んだのか、美鈴がこのような凡庸な男を選んだのか分からなかった。


「失礼ですが、貴方様のような真っ当な方にウチの妹は手に負えるような女ではないと思うのですが」


「忍!」


母親の怒声が飛んできたが気にしない。両親はこの粗大ゴミのような妹を早く大義名分を以って処分したいのだろうが、またすぐ返品されたら意味がないだろう。


「大丈夫ですよ。美鈴さんは前の結婚生活についても正直に話してくれました。確かにこれまでよりは生活ランクは落ちてしまうかもしれませんが、その分全力で美鈴さんを愛して必ず幸せにします。それに」


鬼丸千萱は徐に隣に座っている美鈴の腹に手を当てた。



「僕たちには、もう新しい命を授かっているんです。今更、別れたり出来ません」



これには、忍と雪路どころか忍たちの両親、その場にいた使用人一同全員驚愕した。

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