83:
「ねぇ、桐谷先輩ってかっこいいよね」
偶々教室でそんな声が聞こえてきて、化学の授業で打ちのめされていた私はびっくりして飛び起きた。
声の主はクラスの女子グループだった。聞き間違えでない事を確かめる為に集中して盗み聞く。
「わかる!最近、眼鏡外してるの見るとやっぱり綺麗な顔してるって分かるよね。なんていうの、クールビューティみたいな?背も高くてスタイルも良いし、なんか雰囲気が上品だし」
「それになんか最近、ちょっと丸くなった気がするよね。たまにビミョーに穏やかな顔してたり。なんか前ほど怖くないかも」
私は無性に彼女達と熱い抱擁を交わしたくなったけど、完璧に惹かれるだろうからやめた。
もしかして、桐谷先輩が評価されはじめている…?
そういえば執行部の前にいる女子が最近やたらいるような気がしたが、そういう事なんだろうか。桐谷先輩と歩いていると時々黄色い声に遭遇するし。以前ほど、圧倒的に恐れられ畏怖の対象になっている印象は確かに近頃あまり感じなくなってきた。
校内で空前の桐谷先輩ブームが来ているのなら、自分の事のように嬉しかった。もっと先輩の良い部分や可愛らしい所を知って欲しいと思った。なんなら大々的に触れ回ろうかとさえ思う。
「ムカつく…!」
しかし、花巻先輩は私と180度違う意見らしかった。
花巻先輩は桐谷先輩に人気が出てきたのが面白くないらしく不機嫌丸出しで、放送局に用あって私来訪した愚痴をこぼす。
「なによ、あいつら。今まで散々、虫のように嫌ってたくせに今更手のひら返し?ふざけんなっつーの。今日なんかあいつの下駄箱に手紙なんか入ってたのよ?信じられる?」
「えっ。それは所謂ラブレターというやつでは…」
「別に告白とかじゃなかったけどね!『いつも見てます!生徒会頑張って下さい♪キャピッ♡』みたいな。今朝、桐谷が読みにくそうに見てたから朗読してやったわよ。どうすんのよ、あれで桐谷が助長なんかしたら許さないわよ…」
キャピッ♡まで全力でぶりっ子を演じつつ、花巻先輩が苛立たしげにテーブルをトントン叩く。
ていうか、朝からそんな面白イベントが起きてたんですね…。
「うーん、桐谷先輩に限ってそれはないんじゃないのではないでしょうか?自分がモテはじめてるのさえ気付いてなさそう…」
「そんなの分かんないわよ。あいつに関しては本当に読めない。すっとぼけてるけど、意外に鋭かったりするし」
花巻先輩は腕を組んで渋い顔をしている。
「完全に油断してたわ…。あんただって、いきなり他所の女子が桐谷に集ってきたりしたら腹立つでしょ。上部だけ見て寄ってくる奴らなんか」
「え、私は別に…」
別に、じゃないでしょーが。意地を張ってる場合か!と花巻先輩に軽く小突かれた。…本心なんだけどなぁ。
「とにかく、あんたも桐谷の周りに変なの纏わりついてきたら遠慮なく撃退しなさいよ。私呼んだっていいし。そのうち飽きるだろうけど、念のため」
花巻先輩はぷりぷり怒りながらも、資料用のDVDを私に貸してくれた。
彼女はきっと心配なのだ。桐谷先輩が急に人気者になって、いつか心ない誰かに傷付けられないかと思っているんだろう。いつだって花巻先輩は桐谷先輩の事を気にかけている。これが本当に人を好きでいる事なのだろう。
その想いが実を結べばいいとか言ったら、きっと花巻先輩は怒るんだろうな。私はそれが一番正しい未来だと思うんだけど。
◆
花巻先輩の気持ちに、桐谷先輩が気付く瞬間がいつかは来るのだろうか。そんな事を思いつつ、桐谷先輩の側にいる私は猿河氏の言う通り間違っている。しかし、今更撤回して無かった事なんかに出来ずにいる。
「君は優しいな」
執行部で桐谷先輩と学校行事の要項を作成しているとぽつりと先輩が呟いた。
桐谷先輩の眼鏡はまだ出来ていない。先輩の話を聞きながら、過去の綴りを参考にして私がワードで作っている。
「そんなわけないじゃないですか」
桐谷先輩が立ち上がろうとしたのを有無を言わせず制止して、私が新しいコーヒーを淹れた。今の桐谷先輩にはバリスタさえ凶器だ。
「優しくなんてありません。私は私の責任を取ってるだけですからお気になさらず」
私が桐谷先輩を助ける理由はそれだけだ。それだけの事でいちいち好感度を上げられたらたまったものじゃない。
「いや、君は例え自分のせいではなくてもそうしてくれたと思う。僕は他に頼れる人間がいなかったら、同じように助けてくれる。鬼丸君はそういう人なんだと思う」
「なわけ…」
「どうか自分を否定しないでほしい。僕の好きな鬼丸君の素敵な部分を認めてあげてくれ。そうでないと非常に悲しい、僕が」
あまりものを見れていないはずの桐谷先輩の鋭く冷淡な目が、的確に此方の顔を射抜く。別に怒られてもいないのに、変に身体が硬直した。
「なにを、桐谷先輩」
先輩はおもむろに右手を彷徨わせ、私の頭、額近くに触れた。急な接触だが不快感を感じないのは桐谷先輩だからだ。寧ろ嬉しかったのが嫌だった。
「君は前に、自分の事を『性格が悪い』と言っていたが、君を見ていてそんな様には僕には感じられなかった。生徒会に来てくれた今も君に対する印象は変わらない。だから、やはり僕には君が良くない人間だとは思えないし、君にもそれを認めてほしい」
こんな話をしたくないのに、桐谷先輩は続ける。先輩は私の顔色なんか見えないし、大体空気など読まない。先輩はいつも言いたい事を言いたいタイミングで言ってしまう。
「君が内心何を考えているのか僕には分からないが、しかし、そんな事は誰でもそうだ。どんな思想を持っていようとも自由だし、口にしない限り誰にも分からない。その事で誰も個人の人間性を判断したりしない」
私は何か話題を変えれるような事を口にしようとしたが、先輩は気付かずまた話を続けた。
「君の内面を僕は知らないだろうけど、しかし僕は君の了知してないであろう君を知っている」
「そんなわけ…」
「君が好きだから。鬼丸君の事をみているから分かる。君は自分が思うより、ずっと優しい人間だと思う」
何も分かってない、何も見えてない。私から言わせれば桐谷先輩は。視界と同じくピントがぼけた純粋無垢な美しい幻の世界にいる。
それもそのはず、桐谷先輩に何もかも見通されたら、私は胸が張り裂けて死んでしまう。だから私が無意識下にその世界に閉じ込めている。
私は桐谷先輩を支える振りをして、本当は目隠ししていただけなのだ。
「そんなことはないです…」
私はいつか罰を受けるだろう。いや、もう受けているのかもしれない。
「そ、そういえば」
さすがにもうこの話を続ける事は耐えられないので、話題を逸らす。
「先輩、なんかラブレター貰ったって聞きましたよ!この色男〜やったじゃないですか〜」
茶化して畏れ多くも桐谷先輩をうりうりと肘で小突いた。分かりやすくからかってみたのに先輩は眉ひとつ変えない。
「ああ、花巻に聞いたのか」
「え、先輩嬉しくないんですか?あんなに怖がられてたのが、いまや人気者じゃないですか」
桐谷先輩は数秒間を置いて口を開いた。何か考えていたのだろうか。
「そうだな、悪い気はしないが特にそれで嬉しく思う事はなかったな。面識の無い相手だし」
そういうものなんだろうか。桐谷先輩のこういう所が非常にファンタジーだと思う。
「僕に何を求められているか理解しかねる内容だった。返事が求められている訳でもないニュアンスだったし」
「そんな真面目に考えなくても…。あ、でもでも今年のバレンタインは期待出来るんじゃないですか?」
バレンタイン、と桐谷先輩は私の言葉を鸚鵡返しした。まさか、バレンタインのイベントを知らないとか…ありえる。
「知ってる。チョコレートを贈るんだろう?毎年、母に催促されて米国に送っているから全く縁のない行事ではない」
「へぇ」
「鬼丸君は誰かに渡すのか?」
「え?」
私の事まで話が飛び火するとは思わず、つい固まってしまった。
「えーと、あの……まだ、考えてない、です…」
それは本当だった。私から振った話だけど全くそのイベントの事を我が事として受け止めてなかった。
「そうか」
「桐谷先輩はチョコとか欲しいんですか?」
なんで私はこんな事を口走ってしまったのか。自分の事なのに理解に苦しむ。
「欲しいな、君からの贈り物はなんでも嬉しいからな」
私はテンパりすぎて「な、なるほど…!」と意味不明な返答をしてしまった。




