08:
猿河君とばったり会った。というか見かけた。
朝、学校の玄関で。
隣のクラスなんだから、別に珍しくもなんともないことだ。数日前の私ならそれだけでテンションが上がっただろう。
猿河君は朝っぱらから女子に囲まれていて、ちらりと横目でこっちを見た気がした。あくまで気のせいだ。それくらい私達の間にはなんかこう…距離がある。
立ち止まってると杉田さんと目があった。ぎくりとして逃げるようにその場から退散した。
へんなの。
なんで同じ学校にいる同級生なのに、別世界の人みたいなんだろう。
教室に入り、自分の席でちょっと考え込む。
しかし私はあほの子答えは出ない。
少しして、隣の席に犬塚君が座った。
「おはよう、犬塚君!今日も不機嫌そうだね!」
「…はよ」
フハハと高く笑って挨拶すると、面倒そうに犬塚君は片手をあげる。
これでも進歩した方なのだ。やっと返事をするよう躾?ができた。私のテンションが異様に高いのは、少しでも大人しい態度を取ればかなりの確立で無視されるからだ。うん、まだまだ難攻不落。
例えば犬塚君は同じ世界にいる人だと思う。
同じ世界で同じ言語と種族で同じものを見ているであろう人だと私は感じている。
犬塚君と猿河君、一体なにが違うのか。
そしてそれは私だけの思い込みなのかそうじゃないのか。不明だ。
昼休みになってパンを持って第二理科室に行くと、すでに猿河君がいた。窓を開けて、その枠に腰掛けていた。
驚いた顔で氏はこう言った。
「なんで来たの」
そりゃないだろ…。
だって猿河君がカレーパン買ってこいって言ったのに。
「えぇー…今日はちゃんと買ってこれたのに…いろはすもあるし…」
「今日はコロッケパンの気分だから」
そう言って、右手のものを掲げる。
購買で先に買ったのか前もって買ってきたのか不明だが。
「そんな…」
がっくりと肩が自然と落ちる。あと頭と視線が。わざとらしげにのっそり歩み、猿河君の前あたりの椅子を下ろしてそこに座る。
「ま、いいですけどね…これ、私食べますし…カレーパン結構好きですし…今日私もパンだし普通に2個なんてぺろりだし…残ったら持ちかえって食べますし…」
「ていうか一緒に食べろとか言ってないし。そもそもパン買ってきてってとも言ってないよね」
ズバッと言われた言葉に、なんだと⁉︎と顔を上げた。
そこには意地悪くニヤニヤしている猿河王子……ではなかった。何故かいつまでもきょとんとした顔をしている猿河修司だ。
「言ったじゃん!昨日も一昨日も!」
「今日は頼んでないはずだけど」
確かに言われても掲示板にもなかった。でもそんなの初日しかなかったじゃないか。猿河君の気分だけで勝手にそんな事言われても分かるわけない。
「この、気分屋ぁあ…すいませんねぇ!お昼ご飯をお召し上がりになってる所を邪魔しちゃってぇ!もう帰りますよ、次は何らかの形でちゃんと教えて下さい!…ぐぇ」
啖呵を切ってその場で踵を返して駆け出そうとした所をワイシャツの襟足を引っ張られた。びぃんと突っかかる衝撃が喉にくる。
「待って」
そういうのは掴む前に言ってほしい。盛大にむせながら止まって振り返ると、猿河君も手を離した。何故か目を右下にやっていて、追ってみた視線の先には特に目ぼしいものはなかった。
「べつに帰れとは言ってない」
「そ、そうなんすか…?」
「そうなんす」
猿河君がそう言ったので私は椅子に戻る。なんか変な猿河君をしげしげと観察する。体調でも悪いのかと思う。
あのさ、と猿河君は床に話しかける。
「怒ってないの」
「誰が何に?」
あんたが僕に、とすぐ返ってくる。
「昨日のこと、すごく理不尽な事言った上に勝手に一人で帰ったから。今日の朝も僕を無視して行ったからてっきり」
「あれは、私も失礼な事言い過ぎたよ。しかも気付かないうちにポスター持って行ってもらったし。朝は猿河氏一人じゃなかったし」
「はぁ…?」
ぱちくりぱちくりと瞬きをする。訝しげに私の顔を覗き込む。顔を思いのほか近くに寄せられて固まる。
「…わかった、哀ちゃんは正真正銘のおばかさんなんだ」
そしてこの言いよう。酷すぎていっそ清々しい。
「でも馬鹿で良かった」
「え?」
緩く弧をかく唇。どうして猿河君は笑っているのだろう。
「それ、頂戴」
目の前に広げられた掌にカレーパンを置いた。代わりに猿河君が持っていたコロッケパンを手渡される。
「これ、食べさしなんだけど…」
「ご褒美。嬉しいでしょ」
嬉しいわけあるか!!!と叫ぼうとして、しっ、と猿河君が人差し指を立てた。
めったに人の通らないはずの廊下からばたばたと足音が聞こえてきた。
「修司いた?」
「いや、こっちにはいなかった」
聞き覚えのある名前に心臓が飛び出るかと思った。当の猿河君はなにがそんなに面白いのかにやにやしている。
どきまぎしながら声を殺していると、やがて人の気配は遠くなっていった。
「そろそろここも潮時かなぁ?」
猿河君がカレーパンの封を切り、あくまで呑気に言った。
「親衛隊の人たちといればいいのに」
「いやだよ」
「親衛隊の人は苦手?」
聞くと咀嚼していた最中だったらしく暫し沈黙が流れた。変な事聞いてしまったか、と嫌な汗をかいてしまったが猿河君は特に何事もない様子で口を開いた。
「嫌いではないよ。僕を認めてくれるし、褒めてくれるから。囲まれてると結構いい気分になる」
この言葉を全校の王子ファンに聞かせてやりたいものだ。
「でも、時々息がうまく出来なくなる。あ、僕が喘息持ちなわけでも誰かの口が臭いわけでもなくね」
「お、おう…」
「なんていったらいいんだろう。僕って昔からいい子で人気者で周りにはいつも人がいた。で、それがたまにそれがすごくしんどくなる」
おかしいよね、と猿河君は面白くもなさそうに低く笑い声をあげた。
「皆の見ている信じている僕がすごく遠く感じるんだ。ズレはどんどん大きくなるの分かってるし修正もする、だけど合わせるうちに演技なのか素なのかこんがらがるんだよね。」
わからなくなっちゃった、ともう一度呟く。窓枠に背中を預けるその姿は、枯れた朝顔のようだった。
「でも、どんなに分からなくても期待や理想と掛け離れた事してしまう僕は相応しくないって知っているし、他人も認めない」
「そんなことは」
ないよ、と言おうとした時に猿河君がそれを止めるように私の頭に掌を乗せた。
「発言権は認めない。何をほざいた所で1ミリも受け入れたりしないから」
「ちょ…」
撫でる、というか毛を毟る的な力で私の頭の上で猿河君の手がスライドする。よーしよし、とムツゴロウ的な掛け声をしているのでやっぱり撫でているつもりなのだろうか。
「認めないから僕は。あんたがいう『ただの』みたいな形容詞なんて僕に似合わない」
わしゃわしゃと頭を撫でくりまわされて必死に抵抗している私にはこたえようがない。なぜにいきなりこんなムツゴロウごっこを…。髪は確実に悲惨なことになってるだろう。
「なんか似てる…」
「あ?」
「ジョウに」
「はい?」
「犬、欧州の祖父母が飼ってるなんとかっていう小型の犬種の…いや、殆ど雑種か。ちなみに本名ジョルジュね」
「は、はぁ…」
「異常に人懐っこくて僕が来ると所構わず嬉ションしてちょっと困る」
「…そうなんだ……」
その犬に私が似てると…。
さすがに嬉ションはしません。
◆
その日の放課後は、私と猿河君は商店街で残りのポスターを配り終えたり鞄とか持たされたりしながら比較的平和に過ぎていった。
なにかと気が緩んでいたのだと思う。
だから、次の日になってあんなことが起きたんだ。
「ねぇ、あれどういうことよ」
朝、教室に入るなり沙耶ちゃんがただならぬ形相で詰め寄ってきた。
「ほえ?」
あれと言われてもなんのことだか分からない。
「見てないの?!掲示板!」
焦れったそいに叫び、私の手を引っ張って教室を出た。沙耶ちゃん、私まだ鞄も置いてない…。
連れられてきたのは学生掲示板の前だった。
しかも妙に人だかりができている。しかも、気のせいか視線が此方に集まっているような。
「ほら、あれ」
沙耶ちゃんが指差した方向を私も見ると、ボードのど真ん中何枚かの写真が貼り出されている。
そこに写っているのは一目でわかる我が校のアイドル猿河王子……
と、私だった。
何度目をこすっても私に違いなかった。
昨日のポスター貼った時の写真だ。そして恐らく理科室であろうものも混じっている。
「な、なんで…」
「それはこっちが聞きたいわよ!いつ王子とこんなに仲良くなったのよ!まさかとは思うけど出来てるとか一昔前の少女漫画みたいな展開やめてよね」
冷静さを失っている沙耶ちゃんに全力で首を振る。出来てない、出来るわけないって…。
しかしまぁ、すごく親密そうに撮れててるので疑ってしまうのも分かる。実際はもっとギスギスしてるのに…。
「これには…い、色々とわけがあって」
どう説明しようかと頭を痛めていると、誰かが私達の間に割って入ってきた。
「それは興味深いわ。ぜひ教えてもらえる?」
長い前髪を耳にかけ、きりりとした視線を向けてくる彼女は杉田さん。
猿河修司を草葉の陰から愛でる会会長の名に相応しく背後に何人もの会員を引き連れていた。自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。
「あら、誰かと思えば前に修司にしつこくまとわりついていた人じゃないですか」
「あの、これはほんとなんていうか偶然?」
「偶然?馬鹿にするのもいい加減にしてもらえる?どうしたら偶然こんなに色んな場所に一緒にいるのが写るのよ」
「あ、そっちの偶然じゃなくて…」
「訳わからないこと言わないでくれる?!」
杉田さんとその両隣の女子達からすぐさま責めたてられる。あまりの敵意の向け方にたじ…と後ずさってしまう。うわっ、なんか付近の人の視線が集まってる。今度は確実に気のせいじゃなく。
「哀、行こう」
後ろの沙耶ちゃんが私の制服の袖を引っ張った。
「あ、そろそろ授業始まるから教室戻ります。この話はまた今度」
「待ちなさい、まだ話は終わってないわよ」
こそこそと退散しようとしたが腕を掴まれて止められる。振り返った沙耶ちゃんの目が「このグズ!」と言っている。うう…グズですいません。
「あなたは修司のなんなの」
「えーと……忠実なるしもべです?」
「だからふざけてんじゃねーよ!」
ふざけてないし、嘘でもないのに。恋人だの友達だのよりよっぽど現実的なようなものなのに。
私にだって分からない。猿河君が何者なのか掴めない。どう接すればいいかなんて知らない。
「じゃあ、猿河君に聞いて下さい…私から言えることはあまりないんで…」
喋ってから、この発言なんか意味深じゃね?と思って杉田さんたちの顔色を伺うと案の定全く納得した様子じゃなかった。私のバカバカ。
どうしよう。
どうやってこの状況を乗り切ればいいんだろう。
打開策その1 実行委員の仕事を手伝ってた事を言う
しかしこれは、根本的な説明になっておらずどうしてその状況になったか設定をちゃんと決めておかないと後で矛盾が出てボロが出かねない。
打開策その2 猿河氏に泣きつく
猿河氏の鉄壁()猫被りでその場は上手く乗り切れるかもしないが、親衛隊の皆さんからの不信感が拭えるかどうか。氏がアフターサービスまでしてくれるとは到底思えない。
打開策その3 私がなにか一発芸をして場を和ませる
唯一の持ちネタは森本レオのものまね。
…これはひどい。特にその3。
うわあああああ無理だああああああ。
いっそもうひと思いに制裁された方がいいのかもしれない。
そうしたら向こうさんも気が済むし、猿河氏も万が一でも私に気を遣って契約破棄してくれるかもしれない。
痛いのは嫌だなぁ。できれば生ぬるい感じのでよろしく頼みます。
心の中で祈りながら、杉田さんたちに今まさに屈しようとした時。
ひどく呑気な声が聞こえた。
「うわぁ、なんかすごく撮られてるねぇ。なにこれ、盗撮?犯罪じゃん」
いつから其処にいたのか山盛りの薔薇を背中に背負った金髪碧眼のうつくしいひとは此方に振り返る。
僅かの黒さも闇も感じさせない、絶対的な正の存在みたいな顔をして。
「修司」
「あれ、君たち何してるの?…鬼丸さんも」
…最後の微妙な溜めはなに。呆れているのか。
言っておくけど、こうなったのは元はとえばほとんど猿河君のせいだからね。
「修司、その写真は何?この子とどういう関係なの?」
「あぁ、この子?俺のファンなんだって」
「はぁっ⁉︎…ぶっ」
思いがけない裏切り発言に驚きの声をあげたが、ぱぁんと後ろから口を抑えられた。そのまま、ほぼ羽交い締めのようた体制で「話合わせないと仕置きだから」とごく小さな声で囁かれた。いろんな意味で背筋が震えた。
「すごく熱烈な子で、俺のためになんでもするって言ってきかなくてね。実際、実行委員の仕事も手伝ってくれたし。それ、その時の写真ね。最初はなんか重いなぁって思ってたんだけど、ほらなんかよく見たら愛嬌のある顔してるじゃない。それにこんなに好意をもらって無視してるの心苦しくなってね」
「修司なにを…」
「だからこの子を親衛隊に入れてくれないかな」
その瞬間、体感的にその場の時間が止まった。
なに言ってんだ、この男…。
そんなことをしてくれと誰が頼んだ。だいたい杉田さん達がそれを許す訳が…
「分かったわ…」
え"ええええええええええ⁉︎
許しちゃった。なんかすごくあっさり許しちゃったよ!
「その方が隠れて付きまとわれるより安全かつ穏便しょう。だけど、入るからには私たちの規律は絶対です。抜け駆けは許されません。いいですか」
「ゔぅ…」
背後の猿河君に操り人形みたいに頷かされ、晴れて私は入会してしまった。
猿河修司を草葉の陰から愛でる会に…。
私の学校生活、大丈夫なのだろうか。
「猿河氏、これは一体どういうこと⁉︎」
その日の放課後、フジコちゃんのお店にて私は氏を問い詰めた。
「えー?あれが最善策だと思うけど。あの人達は仲間意識強いし、僕の目も届くからある程度は庇えるし」
「私が親衛隊に入ってうまくやってけるわけないでしょうがっ!」
全然私の絶望に理解を示そうとしない猿河氏に痺れをきらして、その肩を掴んで自分の方に向けさした。抵抗などいくらでも出来ただろうに奴はあっさり従った。
「大丈夫だよ。あんた僕よりコミュ力高いし逞しいから」
「そりゃ買い被りだよ!」
「まぁ、悪いようにはしないから」
宥めるように頭を撫でられ、だが全然納得がいかない。
「だけど、アレだよ」
「え?」
「ウチの子になったんだから、他の人間に尻尾振ったりとか懐くのはだめだから」
「……はぁ?」
その時、カウンター横のテレビを見ていたはずのフジコちゃんからブフォオッと盛大に噴き出していた。ただのニュース番組の何に笑ったんだろう。




