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76:


「お連れ様なら、帰りましたよ。ええ、用事があるとかで」


適当な所で、待ちぼうけを食らっていた怪しい男に伝えると文句を言いつつ大人しく帰って言った。


テーブルを片付けると、ジャンに休憩を要求した。そして、店の奥に引っ込んだ。






「撒けた?ありがとう」


篠田、というらしい彼女が事務所に入ってくるなり駆け寄ってきた。

鬼丸哀の中学校の同級生である彼女は、アホなことにナンパ男に引っかかり酔わされそのままお持ち帰りコース寸前だったらしい。別にどうでもいいが、犯罪とかに発展したら厄介だから手を貸した。


「水、飲んだら帰りな。お子様の来るような所じゃないから」


コップを受け取って篠田は水を飲み干すと、多少据わった目で睨んできた。


「君だってお子様じゃん。同い年でしょ」


「事情があるんだよ。タクシーでも呼ぶ?」


携帯を取り出すと、「待って」の声がかかった。何、勝手に僕の腕にしがみついてんの。


「ねぇ、猿河君。前会った時に気になったんだけど、あの子(・・・)と仲良いの?おんなじ学校だし」


「さぁ」


僕らの事を知っている人間になら盛大に惚気て所有権をアピールする所だが、なんだかこの女には悪意があるような気がして無駄かもしれないがシラを切った。やはり元友達というわけでもないらしい。


「まさか付き合ってるとか?…て、そんなわけないよね!」


そのまさかですけど。胸糞悪いから返事はしない。


「酒臭いから離れて。休むんならそこの椅子に座れば」


が、聞こえないフリをされて全く黙殺される。面倒な酔っ払いが。


「ていうか、聞いた?あいつの話、あいつ、小学校の頃に川に流されかけたらしくって。その後遺症?みたいので記憶喪失みたいなのになったらしくって」


「そういうのって、僕みたいなのに喋っていい事なの?」


わざわざ忠告したのに、篠田はケラケラ笑うだけだった。


「で、中学に入っていきなり満身創痍になってんの。腕とか折れてたり会話できなくなってたりして。最初はなんかかわいそうで皆でフォローしてあげてたんだけど、だんだんイライラしてきたんだよね」


「イライラ?」


空気を読む事と相手の機嫌取る事に余念がない哀ちゃんが、みすみす他人を苛つかせる事をするのだろうか。


「なんか、距離感がないっていうか。構うと喜ぶのはいいけど、べったりくっついてウザくなって。ていうか、何にもないんだよね。あの子、自分が。ただヘラヘラしてこっちに合わせてくるだけで、つまんない。で、ちょっと変な噂も聞いたし段々気持ち悪くなっちゃってさぁ」


気持ち悪いという割に、篠田は心底おかしそうに笑っていた。


「あいつの家ってなんかかなりヤバい宗教やってて、で、鬼丸も狂って双子の姉を殺したとか」


「へぇ…」


「あ、興味出てきたしょ?ほんとかどうかは分からないけどね、でも本当に双子の姉妹がいて死んじゃってるらしいよ。…それで、確かめる為にそれを鬼丸に言った時の反応って言ったら」


「……」


指先が冷えていく。すごく聞きたくない話を聞かされる気がする。

いや、知りたかったのは本当だ。しかし、それはこんな風に他人の口から彼女を貶められながら聞きたくはなかった。

全ての感情を押しとどめる為に目を閉じた。部外者の自分が、相手の言葉だけ鵜呑みにして怒るのも憐れむのも間違っている。ただ、情報として覚えるだけにする。


「めっちゃキョドって、泣きながら必死に言うんだよね。【その事を絶対に言うな】って。なんでもするから、とかいうから飽きるまで玩具にしたんだけど、面白かったのは最初だけだったな。すぐ先生入ってきて止めさせられたし」


「…そう」


「あ、何させたか教えてあげようか?えーと、確か裸踊りとか四つん這いにさせて犬の真似とか…うーん、一番ウケたのはあれかな」


「もういい」


「え?これからがいい所なのに?猿河君もあいつに言えばいいよ。きっと、何でもするからさぁ。意外と便利かもよ、上手く使えば」


「もういいって言ってんだよ」


自分が出そうとした声よりも、ずっと低いものが出て結局何も隠せなかった。


「なに、怒ったの?そりゃあさぁ、ちょっとひどいかなとは思うけど、あいつなんか変じゃん。パッと見て普通だけど、段々なんかおかしい所が目立ってくるんだよね。なんかヒトモドキみたいな?不細工な人形とか珍獣が頑張って頑張って人間のフリをしてますみたいな?」


ガシャン、と床にグラス破片が飛び散った。

驚いて腕を離したのをいいことに篠田をドアの向こうへ半ば強引につれていく。


「片付ける。危ないし、邪魔だから出てって」


「い、いや、今猿河君自分で…」


「帰れ。そして、二度と鬼丸哀に近付くな。死ね」


そのまま、叩き出して鍵を閉めた。

ぐるぐる頭が回る。封印していた様々な感情が込み上げてきて吐き気がした。

急に不安になって哀ちゃんに電話をしようともしたが、今話したら確実に彼女の地雷を踏み抜く気がして止めた。

冷静にならなきゃならない。対応を間違えないように。これはきっと彼女の口から他人に伝える事は絶対にない話だ。それを知ったからには、ただでは済まないだろう。ただ、黙って知らないフリをするのは許されないほど重い秘密だった。









「昨日会ったよ、篠田さんに」


いつものように昼休みに人気のない理科室で、哀ちゃんを後ろから抱き込んで座りながらそう切り出した。顔は見てやらない。自分の性格上、表情を見ると彼女が望むような嘘をついてやりたくなってしまうから。でも、今だけは本当に哀ちゃんに向き合わなければならない。


「え、えっと……」


「全部、話はきいたよ。中学の話とか、哀ちゃんに小学校以前の記憶がないのも」


あの日のように硬直する哀ちゃんの体を抱きしめた。本当なのだろう、篠田の話は。


「家の事も双子の姉妹の話も」


「……」


哀ちゃんがピクッと一瞬震えたが、それ以上反応はしなかった。ただ一言、今までの彼女が嘘のような感情の全く篭っていない声で「そっか、猿河氏にはもうバレたんだね」とだけ言った。


何も取り繕わないあたり、もうこの瞬間に彼女の中で僕の存在が脅威になってしまったのを感じ取ってしまった。


だが、させない。


言葉も無くどんどん離れて行く精神的な距離を繋ぎ止める、その一手は知っている。リスクもある。受け入れられないかもしれない。しかし、僕にはその選択しかなかった。

鬼丸哀を手に入れるために。



「…哀ちゃん」


夢にまで見完全制服する日が、こんな胸を掻き毟られるような思いをしながら実現するとは思わなかった。

いや、こんな瞬間なんか来なきゃ良かったとさえ思う。


「最後の『貸し』の消化だよ。僕は篠田さんから聞いた事は忘れられないけど、君の秘密は引き受ける。他の誰も知らない哀ちゃんの傷を知っておいてあげる。理解されない苦しみを分かち合う。だからさ…」


この子が好きだ。意味が分からないほど、好きで仕方がない。

中身も外見も美しくないこの子が欲しい。何に代えてもいいほど、その存在を望んでいる。


「僕が君を好きでいる事を許してよ」


冷たい首筋に自分の額を付けて懇願した。

哀ちゃんとはいつも対等でありたい。だから、対価に自分の気持ちを晒す。僕自身の心も哀ちゃんにくれてやる。これでフェアだ。


「な…なんで…」


哀ちゃんは首の可動域ぎりぎりまで振り返った。僕からそんな言葉が出るとは思わなかったのだろう。僕だってまだ言ってやるつもりなんかなかった。


「嘘だ…」


「本当だよ」


「だって、猿河氏は私の事を知ったのに」


「だけど好きだから仕方ないよ。僕にもどうしようもできないし」


「……やっぱり、嘘だ」


「本当だよ」


何度も何度も繰り返す問答を別に煩わしいとは思わない。それが彼女が他人に抱いていた不信感の数だ。ひとつひとつ応える度に、その内側に入っていくような感覚があった。


「嘘だったら腹いせに僕も殺したらいいよ」


ぽろ、と哀ちゃんの目の縁から涙が溢れてしまった。掬い取って抱き締めた。


こんな事を他の誰にもしない。とてもらしくない事をしている。出来るならこんなお互い痛み分けをするような選択をしたくなかった。でも仕方がない。

この世は全く上手くいかない世界なんだから。

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