[extra18 狼にはなれない犬]
犬塚君が変だ。…うん、ものすごく変だ。
まず挙動不審だ。終始警戒してびくついている。…主に私に対して。
「おっはよー!犬塚君!」
と声をかけようものなら、高速で振り返って私の姿を確認しながらじわじわと後ずさる。
返事もまともにしてくれない。顔色もなんだか悪い。風邪…?
「あんた、犬塚となんかあったわね」
したり顔の沙耶ちゃんが私に耳打ちした。
「え…別になにもないよ」
「少なくとも犬塚にとっては、なんかあったみたいだけど」
そんな事を言われても。
なんかまた犬塚家でいつの間にか飲酒事件を起こしてしまっていたらしいけど、あんまり当時の事を覚えていないんだよね…。
「YO!犬塚!なに辛気臭い顔してんだ?元気だせよ!おっ、そうだ最近すごい無修正エロサイト見つけたんだけど、それでも見てスッキリしろ…ぐふ」
空気読めなさ120%で土屋君が犬塚君に絡みに行って、案の定『ゴッ…』と鈍い音を立てて頭突きをかまされて教室に沈んだ。南無…。
別にいいんだけどさ。
警戒されようが、避けられようが、無視されようが。寧ろ勝手に距離を取ってくれた方が助かる。
放っておくと、すぐ危険接近距離までいるからこれくらいが丁度いい。私と犬塚君は。
これはハギっちには何ら関係なく、そう思う。
「これ、祐美ちゃんの退院祝い。家族でおいしいものでも食べて」
変な勘繰りが嫌で、わざわざ屋上に呼び出して犬塚君に渡した。
ちゃんと来てくれるか心配だったけど、犬塚君は緊張しながらも来てくれたので助かった。
「貰えねーよ、こんなん。お前には世話になりきりだったし」
犬塚君は少し驚いた顔をしながらも、固辞してきた。これは予想の内だ。
「別に犬塚君に贈ったものじゃないよ。私が祐美ちゃんの快気を祝いたいの。だから、祐美ちゃんにちゃんと渡して欲しい」
犬塚君はそれでも渋っていたが、最終的に受け取ってくれた。
「つーか、一回お前はウチに顔見せに来い。裕美子も会いたがってるし」
…うーん、それは別にやぶさかではないんだけど。
「…いいの?」
わざと一歩前に出て、その愛くるしい顔を覗き込む。柔軟剤の優しい香りがシャツからした。
「おい!」
突き飛ばすまではいかないけど、犬塚君は慌てた様子で私の肩を掴んで引き離した。
「…めろ、馬鹿が。分かったから、お前の気持ちは分かってるから…そんながっついてくんな…」
ガラにもなくなんかモソモソ言ってる。よく聞き取れない。
「犬塚君は私が怖い?」
私の一挙手一投足にびくついて警戒している犬塚君を、煽ってみる。彼のプライドを刺激すればもっと距離を置いてくれると思った。
のに。
「…そうだよ。こえーよ、お前。俺からしたら、何しでかすか全く分からないから」
だが、犬塚君は他人に弱さを見せる事に抵抗は感じていないようだった。
「うんうん。私が、何かして犬塚君の幸せを壊すかもしれない」
「違う、鬼丸は」
犬塚君は搾り出すように言葉を吐き出した。
「俺の願望の話」
肩を掴んでいた手が、ゆっくりと離された。人肌に触れていた部分が寒い。
「鬼丸には性別を感じたくない。さ……触りたいとか…そういう気持ちの悪い感情を、持ちたくない」
「……」
「正直に言うと、俺も男だからそういのを考えかけてしまう事もあるし、どんな弾みで何が起きるか分からない」
犬塚君は涙目で、耳まで赤い。
「お前もそんなの、本意じゃないだろ。好きになる前に、単なる性欲で触られるのは。…俺の言ってる意味分かるか?」
分かるけど、分からない。
猿河氏じゃあるまいし、犬塚君こそ無性別じゃないか。きゅるるんチワワ顔して華奢で、そこらの女の子よりずっと可愛いらしいのに。
「だから、あんま女女しないでくれ。変わるな。色気なんか出さない鬼丸でいてほしい。じゃないと」
どうなるのだろう。きっとどうにもならないだろう。
「別に私なんか壊してもいいのに」
一歩後ろに退いて、くるりとその場で回ってみせる。意味はない。ただ私がちっぽけで無価値な人間だと知らしめる為だけに。
「…んなわけあるか。人様のお嬢さんを」
犬塚君には私がどう見えているんだろう。
私は他の女の子と何ら変わりないものに見えているのか。だとしたらなんて奇特な人。
「鬼丸が女にさえならなきゃ、ずっと置いといたっていいんだ。バカだけど優しいし割と気を遣ってくれるし、一緒にいて不快じゃない。それに、なんかお前は放置しておくと危ない気がする」
「…」
そもそも、なんだ女になるって。私は最初から性別は女なんだが。それに、私から犬塚君に何かをした覚えも特にない。
「うーん、考えとく!」
私がバカだからあまり要領を得ない。考えるのにも飽きて、適当に切り上げて勝手に屋上を後にした。
「おい、待てって」
後ろでなんか聞こえたけど、犬塚君は追ってはこなかった。
しかし、なんだ。
思い返すとかなり赤裸々な話を聞かされた気がする。




