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「よっしゃ。鬼丸、お前生徒会入れ」
国語教師の稲見ちゃんこと稲見龍之介先生に呼び出されたと思ったら、そんな事を言われた。
意味が分からない。目が点になっているであろう私を前に、稲見ちゃんは散髪に何ヶ月行っていないのか判断しかねるもっさりとした後ろ頭をがしがし掻いた。体育教師でもないのに真っ赤なプーマのジャージが目に眩しい。
「なんでっ…」
「いやな、毎回生徒会はこれがチャンスだと言わんばかりに選挙の度に人が抜けるんやけど今回はまたごっつ人いなくてなぁ。あんなビックリ演説かましたついでに入ってくれへんか?」
ビックリ演説……。それを言われると辛い。確かに今までの準備を全て台無しにしてしまった。桐谷先輩や花巻先輩並びに全校生徒には本当に申し訳ない。
稲見ちゃんは猫目をさらに細める。そして、若干声をひそめて「しゃーない、ここだけの話な」と手招きした。
「あの変な一年はヤバないか?いう声があってな。それを推薦人にした桐谷はおかしいやろ、って不安がって現行の生徒会役員が全員辞めたんや。で、絶賛執行部募集中や」
「はい、生徒会に是非入らせていただきます!!」
事情が変わった、それは入らない訳にはいかなかった。
そうだよな。そりゃそうだ。あんな意味分かんない事をして皆に迷惑をかけてしまった。折角、桐谷先輩が生徒会長を続けたというのに。
そんな訳でこの度私、鬼丸哀は桃園高校生徒会副会長になった。なってしまった。
副会長なんて無理無理無理、と言い張ったが稲見ちゃんが「かまへんかまへん!桐谷いるやろ」と親指を立てて、決められてしまったのだ。
だ、大丈夫だろうか。色々と…。とりあえず桐谷先輩には私からもLINE入れとこう。
◆
生徒会の件はさておき、また私のクラスは何かややこしくなっている。
犬塚君とハギっちの事である。
彼女が犬塚君を好きになってしまい、いつの間にかそれをクラス中で完全に情報が行き渡ってしまった。もしかしたらクラス外にも知られているかもしれない。
だから、犬塚君とハギっちが二人揃うと、なんとなく皆変な空気になるのだ。それがなんか苦しい。
ハギっちは不自然にしどろもどろで挙動不振だし、犬塚君はコソコソしている周囲にイラついているし気まずい。ヘイヘーイとバカ丸出しで間に割って入る気には流石の私にもなれない。
「正妻的にはいいのかよ、アレ」と土屋君は私に言うが、私は妻じゃない。私は猛犬チワワと籍を入れた覚えはない。それをふまえた上で土屋君の問いに答えるなら答えはイエスだ。
ていうかこの場合、私が良い悪いの判断を出す側の人間だとはとても思えないんだけど。
「鬼丸さんって、犬塚君と付き合ってるの?」
学校の廊下でヒエラルキー上位系女子のクラスメートに声をかけられた。
別に良いんだけど、何かこう…圧みたいなのを感じる。正直あまり得意なタイプでは、ない。けれど、それだけで無視する訳にもいかない。それが人付き合いというものだ。
「えっ!?犬塚君と?ないないない!」
「えーウソ〜。だってよくお弁当とか一緒に食べたりしてるじゃん。女子で一番仲良いの鬼丸さんだと思うよ」
軽くボディタッチされ、私はスイッチが入ったように笑う。笑ってはいるがお互い多分緊張感を迸らせている。女子特有のアレだ。
「違うって、あれはただ犬塚君が無駄に世話焼きなだけで…。ていうか、私猿河君と付き合ってるしね」
「マジ?」
彼女ーー金城さんはちょっと後ろに仰け反り、私の顔をまじまじと見た後「へーそうなんだー」と相槌をうった。
この子はハギっちの友達だ。よく話しているのを見る。顔が小さくて前髪ぱっつんロングヘアーのギャル系。スカートだって鬼のように短い。
「いいじゃん、かっこいいもんね。羨ましいなぁ」
じゃあ代わる?とかいったら高速で断りそうな愛想笑いを浮かべていた。毎回思うが、この掌返しひどいな。少し前まで皆キャーキャー言ってただろうに。変態のレッテルが貼られてから、すっかりこの扱い。さすがの猿河氏に少し同情してしまう。
「うん。猿河君実はあれでかなり面白いんだよ。超ラブラブで幸せ〜」
対抗心が煽られてそんな事を口走る。まぁ、今はケンカ中でシカトされ中なんですけどね…。
彼女が「ならさぁ」と上目遣いで言葉をきりだした。
「瑞季に犬塚譲ってくれない?あの子、マジで犬塚の事すきみたいなんだよね」
瑞季、はハギっちの下の名前だ。
つまり、ハギっちの恋の障害になるから私は犬塚君に手を出すなという事を、彼女は言いたいのだろう。
「え…」
それを何故に君に言われなきゃならないのだ。いいけどさ。
「うん、別にいいよ」
私には何も関係ない話だ。
だから深く考えず安易にかつ機械的に返事をしてしまう。これでいい。いっそハギっちと犬塚君がくっついてくれた方が私には都合が良いし。譲ってくれ、とかそもそも犬塚君は私のものであった事なんか一度だってない。
私が是と答えたのに満足したのか、もう用は済んだらしい彼女は廊下を駆けて行ってしまった。
「うっざ」
背後から声が聞こえたと思ったら沙耶ちゃんだった。全然いるの気付かなくて驚きのあまり飛び上がってしまった。
「も、もしかして、全部聞いてた…?」
コクリ、と沙耶ちゃんが縦に頷いた。
「私が口出したらややこしくなりそうだから何も言わなかったけど、何よアレ。なんでんな事哀が言われなきゃならんのよ」
ケッと悪態をつく沙耶ちゃんをどうどうと宥めた。
「まぁまぁ、ハギっちが言ったわけじゃなさそうだしさ」
「にしてもよ!?つーか尚更オメーは黙っとけやっていう話じゃん。萩原も萩原で、なんで哀が最初にツバつけた男に惚れんのよ!こじれんの分かってるよーなもんなのに」
「いやいやいや…私別にツバなんか付けてないよ」
「アレはほぼあんたの旦那だろーが!哀が地道に春から犬塚を追いかけ回してついにモノにしたのクラスの皆が見てるからね」
それ誤解。完全なる誤解だから。
沙耶ちゃんはきっと私の為に怒ってくれているのだろうが、私達がそう捉えられていた事は割とショックだ。そもそも私思いっきりフラれてるし。
「とにかく、この件に関してあんたが退く必要なんかない。ていうか、もういっそ既成事実作ればいいよ」
沙耶ちゃん、真顔で親指グッじゃないよ…。なに言ってんだもう。何からツッコミを入れればいいか分かんなさすぎて何も言えない。
私は別に犬塚君の彼女でもお友達でもなんでもなくて、それでいて妙に距離感が近いだけの存在だ。
大体、必要にかられなきゃ私からそもそも彼に近づこうとした事はない。全てが偶然だ。色々な偶然が積み重なった結果、犬塚君と親しげになって世話を焼かれたりしているだけだ。
それは間違った人間関係なのかもしれない。
今、そう思った。これってかなり不自然で不気味だ。ていうか絆なんかないじゃん。私、なに勝手にすっかり犬塚家の一員として平気な顔で馴れ馴れしくしていたんだろう。自分の図々しさがなんだか今になって恥ずかしい。
いい機会だ。もう止めよう。これ以上、犬塚君と犬塚家に関わるのは。
そう決意した矢先だった。
犬塚君のお母さんである祐美ちゃんが倒れるという事件が起こった。




