[extra17 雉も啼かずば撃たれまい]
どうして人は恋愛なんて面倒な事をするのか。私にはずっと分からなかった。
同じクラスの友達が、テレビの中に住んでいる芸能人が、ひとつ上の姉がそんなものに振り回されているのはアホだとしか思えない。下らない。馬鹿らしい。恥ずかしい。みっともない。心の中で罵声をあびせて私は今日も参考書を捲る。
そんな事より私にはどうしても倒したい相手がいる。桐谷雪路という同じ高校の同級生だ。これがどうもイヤミな奴なのだ。
まず顔が冷血そのものというような鉄仮面で可愛げなんてものはない。家が金持ちで、学年主席で入学するはずだった私を押しのけて新入生代表になり、同じ生徒会に入ってしまってからはイライラしっぱなしだ。
「あんたさぁ、本当に何考えてんのよ」
すかした奴に突っかかるのはいつものことだ。
眼鏡の奥の目はいつも冷え冷えとしていて、他の人間を完全に見下しているよう。俗世間の事なんかに見向きもせずに、きっと見えない所で馬鹿にしているのだろう。
高校生活が半年経った。桐谷は誰にも何にも馴れ合わない。心を開かない。まるで自分に相応しいのはこんな場所じゃないというみたいに。
「特に何も」
数秒の沈黙の後に続いたのはそんな回答だ。
「つっまんない奴」
桐谷の読んでいた文庫本をひったくってそれを興味本位でめくってみる。動物の進化論についての小難しそうな本だった。コイツの趣味が分からない。
「君にそう評される筋合いはないな。返してくれ」
桐谷が怒ったのかとおもったが、意外なほどに長い腕で本を取り返した後は静かにまた同じ頁を拡げただけだった。
私も私だが、桐谷だって感じが悪い。
こんな風にイライラして排除したい気持ちに駆られるのはコイツだけなのだ。どうも入学当初から気に入らない。確かに勉強は出来るし切れ者な部分はあるのは認める。今の自分ではコイツのスペックに太刀打ち出来ないのも分かる。でも屈服させたいのだ、この男を。
「読み終わったら貸そうか」
それは嫌味か。私が全く興味を示していないのくらい分かるだろうに。
「そんなんだから、友達すら作れないのよ。あーあ、つまんなくて寂しい奴。私、あんたみたいな奴だいっきらい」
そうか、と桐谷は答えた。割と大胆な悪態をついてもコイツにはノーダメージなのがムカつく。
厳しい顔つきで睨まれても、私は他の奴らみたいに桐谷の言いなりになんかならない。この学校での桐谷の唯一の障害になってやろうと思った。何もかも思い通りの全て持っているような桐谷を全力で妨害してやろうと考えるまで気に食わなかった。
だが、そんな私を桐谷は懐柔しようとしたのだ。よりによって。
「僕は花巻が嫌いではないぞ。僕の話を目を見てきちんと聞いてくれるから」
ただ一言そう言われたその時、私の中で何かが壊れてしまって変わってしまったのだ。
ルールが乱れた。
なぜか。なぜかだ。どうしてか桐谷の動向が気になってしまうのだ。
自分がどうしてしまったのか分からない。桐谷のあの時読んでいた本を気付けばネットで注文して、読まずに捨てた。自分の行動が恥ずかしすぎて気持ち悪すぎて嫌だった。
私はそんな自分を打ち消すように桐谷に攻撃的な言葉を投げつけ続けた。だけど、あの桐谷は私を避けたりしない。自分でも理不尽だという言葉を吐く私を桐谷は真摯に受け止め続けた。
「本当に気持ち悪い奴…」
私はやっと、今になって桐谷が別に冷血でもなければ誰かを蔑んでいるのではないと気付いた。
桐谷はただどうしようもなく自分の良さを表現出来ない奴だと知って、苦しいほど可愛いと思ってしまった。だけど、それを一生奴に伝える事が出来ないのも分かってしまった。ここまで散々こき下ろしてどのツラをさげて、桐谷に近づけばいいのか分からなかった。
「そうか。不快な思いをさせてすまない」
気持ち悪いのは私だ。
桐谷に素直に謝られると私はますます頑なになってしまう。私は恋愛にのめりこむ人間以下の存在になってしまった。いつも逃げてばかりで、まともに気持ちを伝えられないで安全な場所に隠れている上に相手を傷つけるような自分が嫌いだったし、そんな気持ち悪い感情を持たれた桐谷が哀れだった。
だから、鬼丸哀という後輩が桐谷の側に収まった事は私にとっても桐谷にとっても一種の救いだったと今では思う。
鬼丸はなんだかしらないけど、いきなり現れて桐谷の友達になった。私が一年かけても出来なかった事をあっさり成し得てしまった。鬼丸とつるむようになって桐谷は本当に嬉しそうで楽しそうだった。あの冷血そうな苦虫を噛み潰した顔が、僅かに綻んでいるのは私には分かった。
鬼丸はバカ丸出しの平凡なただの女子のように見えたけど、きっと何かが他の人間と違う。私にはそれが見えないけど。
桐谷は本当に自分を理解してくれる友達が欲しかったのだ。そして、桐谷が鬼丸を好きになるのは火を見るより明らかだった。鬼丸はどうだか知らないが、桐谷にとっては一番好ましい人間であるからだ。
面白くないと思う自分は多分性格が悪いのだ。
後悔だった。
桐谷と鬼丸が親しそうにしているのを見かけるたびに、もっと前に私がそうしてあげれたのにという後悔が募っていく。今更どうにもできないし、私の性格ではこの先も無理だ。苦しくて直視出来ない。自分の感情も、二人の姿も。
あまりに辛いので、私は全て終わらせたいと思った。
完全に自己満足だ。桐谷は私の気持ちを知らない。鬼丸は多分知っていて、生意気な事に私に遠慮しようとさえする。そんなのは私のプライドが許せない。
生徒会選挙で桐谷に負けたら、それでもう奴の事はきっぱり諦めようとした。
私は致命傷を負うだろう。そして、もう二度と桐谷の近くへ近寄れない。それでいい。桐谷は私を絶対に選ばない。鬼丸も私も、なんて芸当は桐谷のような不器用な奴には無理だ。
◆
しかし、現実はそうもうまくいかない。
鬼丸には本当にしてやられた。ぽやーっとしているように見えて、この女なかなかに侮れない。
「鬼丸、あんた覚えてなさいよ」
選挙も終わって廊下でわざとらしくじゃれついてくる鬼丸を睨め付ける。桐谷はなんのことかよく分かってないらしく首を傾げている。
えへへへ、鬼丸はふざけた笑いを浮かべている。コイツの意図がわからない。少なくとも、私には鬼丸は桐谷の真っ直ぐな気持ちに惹かれているように見えていたけれど。
まぁ、いい。そっちがその気なら、私だって今度こそ対峙しなければならない。
もう逃げないと自分だけに誓って私は桐谷と鬼丸の方へ振り返った。




