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「は?何それ聞いてないし。やだよ、そんなの」
桐谷先輩の推薦人になると告げたら、猿河氏は秒で拒否した。…まぁ、大体予想はついていたけど。
「そういうのもういいから、こっち来て」
「いやだよ。ていうかもう行かなきゃならないし、今日はもう猿河氏に構う時間ない」
手招きする猿河氏に首を横に振ると、「はぁあああ〜〜?」と苛立った声を上げる氏に無理矢理引っ張られた。抵抗する暇もなく後ろから拘束されてすごい恥ずかしい格好で捕まる。
「君さぁ、仮にも僕の彼女なんだよね?それで平気な顔で他の男の所にフラフラ行くって立派な不貞だよ。優先順位おかしくない?全く納得出来ないんですけど」
と了解も得ずに両手をベストの中に突っ込んで人の乳をまさぐるのは例え彼女にするとしても如何なものか。
「や、待って。止め…」
しかも、ちょっといい感じの力加減だから困る。反射的に色んな部分が反応してしまいそうになる。
「ねぇ、行かないでよ。そんなのするより、僕といいことしようよ。じゃないと死んじゃうから、寂しくて」
出た。猿河氏の甘える攻撃。
頭を擦り付けながらさらには耳を唇で軽く食んで追い討ちをかけにくるのは動物的だが相当卑怯だ。やばい…。腰が今にもぐにゃぐにゃになりそう。
「だ、だめだって」
しかもここは普通に購買部だ。放課後とはいえ普通に人が入ってくるのだ。そして、私達を確認するとそのまま出ていってしまう。これはちょっとした露出プレイと言っても過言でないのでは。違うんだ、こうならないように猿河氏を人目の多い所に呼び出したのだ。全く氏には通用しなかったけど。
「一緒に帰ってくれたら止める。フジコちゃんの店で一回構い倒すけど」
「わがまま言わない!メッするよ!こら、ダーリン、メッ!!」
「……それすごく良いんだけど。もう一回やって」
いや気に入られてもただただ恥ずかしいんですけど。
猿河氏から逃れる策が尽きて途方に暮れていると、不意に誰かが近づいてきた気がして顔を上げた。
「鬼丸君、打ち合わせの時間だ」
桐谷先輩だ。どうしてここに…と思ったがよくよく考えれば購買部は執行部の目の前にあるのだ。
「え、この状態で普通に話しかけます?マジKYすぎでしょ」
後ろで猿河氏が呆れた声を出した。猿河氏は空気読めるけど基本利己的にしかその能力を使わないので全然意味ないと思う。
「そうだ。僕はKYだが、それが何だ?」
桐谷先輩、イニシャルとかそういう意味じゃないです。さらには天然という無敵さ。
「大体、鬼丸君は拒否の言葉を口にしていたのにそれに応じず困らせるのは紳士として恥ずかしくないのか?」
桐谷先輩の表情は厳しい(ように見える)。全くそこに怯むとか引くとかがない。傍目からあんまりよろしくない状態になっているであろう猿河氏と私の堂々と目の前に立てるのは桐谷先輩くらいなのかもしれない。
「いや、僕紳士じゃないですし」
猿河氏がぶーたれた声を出す。相変わらず桐谷先輩が苦手らしい。
「先輩もおかしくないですか?僕の哀ちゃんを勝手に推薦人にするとか。浮気ですよ、立派な不貞です」
「君のではないだろう。それに、僕に立候補を依頼したのは鬼丸君の意志だ。それを受け入れない猿河君の方が寧ろ間違えてはいないのか」
…マジ?と、猿河氏が鷲掴んでる手の力を思いっきり強めた。痛い痛いってそれ。
堪らず踠いていると、桐谷先輩が猿河氏を腕を掴んだ。あまりに意外な行動で驚いた。
「止めなさい。可哀想に痛がっているだろう、恋人というなら何故もっと大事にしない」
きっぱりはっきりと猿河氏に言い放ち、私を庇うように割って入った。なんか珍しく無言の猿河氏が怒っている雰囲気を感じたので、わざと私も茶化すように声を張り上げた。
「そ、そーだそーだ!無茶苦茶するのも大概にしてよ、猿河氏はさぁ」
「は?」
もっと不機嫌を取り繕えないのかと思うほどの低い声が後ろからして、突然突き飛ばされた。
「危ないな」
が、転ばないと思っていたら桐谷先輩が支えてくれていた。や、他意はないと思うんですけど、桐谷先輩に腰を持たれるとすごく恥ずかしい。
「僕ってあんたの彼氏だよね!?なんで一番に優先してくれないの?今まで通り他の男の方に絡んだりするのとかありえないんですけど!舐めてる?なんでこんな僕、馬鹿にされなきゃならないの?我慢とかありえないから。ていうか、哀ちゃんがその考えを改めない限り絶交だから!」
目を吊り上げて美貌も台無しなくらい感情的に猿河氏が怒っている。
…素直に猿河氏が怒りをこんなに露わにするのは初めての事じゃないだろうか。怒っている理由はちょっとなんかズレているような気がするが。
はぁ、と桐谷先輩が私の頭の上でため息をついた。
「そうだな、猿河君は彼女にもう近付くべきではない。感情に任せて女性に乱暴するような人間は鬼丸君には相応しくない」
はっきりと冷たく言い放つ桐谷先輩を見上げながら、はらはらしてしまう。あれ、桐谷先輩ももしかしてご立腹め?
「き、桐谷先輩…」
いやまさか、あの温厚な先輩がこんなことくらいで怒るはずがない。ただ冷たく突き放しているように聞こえるだけなのだ。これもきっとそうだ。
「僕からは以上だ。行くぞ、鬼丸君」
何か取り繕って怖い顔のままの猿河氏と桐谷先輩を取り囲む嫌な雰囲気をなんとかしようと思ったが、そのまま桐谷先輩に手を引かれて購買部を後にした。
最高潮にイライラオーラを放つ猿河氏と目を合わせながら。超おこじゃないですか…。
◆
執行部に書類と本番の口上用の原稿を提出してから、コーヒー飲みつつ桐谷先輩と打ち合わせをした。
桐谷先輩はけろっと平然としている。いつもの先輩だ。やはり、猿河氏とのアレは怒っているように見えただけかもしれない。
「え、えーと…猿河氏には私から一言言っておくんで気にしなくて大丈夫ですよ」
「何を言うんだ?それに、彼とは関わらない方がいいと思う。僕が見る限り、彼との交際が君の為になるとは思えない」
桐谷先輩がしれっと真顔で言い放つので、なんだか動悸が止まらない。真っ直ぐ私に刺さる視線にまた耐えられなくなって目を逸らした。
「ま、まぁー…猿河氏はあれで通常運転ですからね!ていうか私も慣れたというか。気にしてませんって。私、体頑丈だし。私なんかのせいで桐谷先輩がわざわざ猿河氏との関係を悪くしなくても…」
「なんか、じゃないぞ。君は僕にとって大事な人だ」
「ま、またそういう事を…」
「本当の事だ。それに君の理屈は全て間違えている。君は自分の事をなぜそんなに軽んじるんだ。君は自分を尊重すべきだ。猿河君や他人に傷付けられてそれでも笑っている君は見ていられない」
「……」
なんて答えるのが一番正解なんだろう。
私はまた先輩に嘘をつこうとしているのだ。そうじゃないとやってられない。素直に受け止めて素直に答えて大切にでもされたら、きっと生きてはいけないのだろう。もう桐谷先輩なしには。
こんなに自分を肯定してくれる都合のいい人、駄目だ。堕落してしまう。それこそ破滅だ。しかも先輩を巻き込んで。
「猿河君に言った事は、僕の立場から言えば出過ぎた事かもしれない。けれど君が粗末な扱いをされてみすみす黙ってはいれない。彼こそ、君に優しくできるようになる確証があるまで接触できる権利は認めない、認めたくない」
「せ、先輩もしかしてちょっと怒ってます?」
桐谷先輩が目を閉じて首を横に振ったので一瞬安心した。
「ちょっと、どころではない。非常に腹立たしい。猿河君に引け目を感じていた自分にも」
私は桐谷先輩に今日だけで一体何回殺されれば済むのだろう。
骸と化した私はコーヒーを無理矢理飲み干して、「雑談はこの辺にして、そろそろ選挙の話に戻りましょうか」と苦しすぎる話題転換をはかった。それでも桐谷先輩は素早く話し合いモードで話し始めたので助かった。




