襲撃
薄暗く、肌寒い。
夜ではないのに外が大雨であるために気温は低く、空を覆う厚い雲が陽光を遮っていた。
加えてこの建物に備え付けられているのは大きなステンドガラスのみ。太陽の無い悪天候の日や夜などは闇に沈む。
「とても神にお祈りする場所には思えないな」
目を眇め、呟いた。
冷気に晒される体を粗末な外套で包みながら白い呼気と共に吐かれた言葉は、石造りの建物によく響く。
その言葉を窘める言葉もよく響いた。彼の前方を陣取る女性が振り向く。
「……黙っていろ。貴様らは無駄口を叩かず、こちらの言うとおりにあの方を護衛していればいいんだ」
修道院の入り口。そこにほど近い場所に腰掛ける彼は、修道院奥に設置されているステンドガラスからは離れている。
「信頼など天地がひっくり返っても出来ないが、貴様たちの実力だけは信用できる。精々その腕を振るうことだけに集中していてもらいたいものだな」
カッと。
ステンドガラスが鮮烈な光を帯びて輝く。直後に轟くのは雷鳴だ。
瞬間の光源に修道院内に存在する人物が浮き上がった。
彼の傍に佇んでいたのは二人の男女。
一人は小さな身体に筋肉を押し詰めたような、髭面の男。
一人は華奢な身体に羽毛のような耳を持つ、魔人種の女。
「おい、カラス。死体を啄ばんで来いと雇い主が仰せだぞ」
「冗談はよして、フランツ。その小汚い顔を射抜いてあげようか」
そんな二人を黙れと視線で射抜くのは眼前に座る一人の女。
戦場では髪の毛は不利な条件の一つだ。そのため編みこんだ長い髪を更に頭に巻きつけるように引っ詰めている。そして露わになる白いうなじと同色の顔に金の双眸。
女だてらに帯剣する姿は華があれど、どこか滑稽でもある。
「……貴様の連れには教養が足りんな。ジョージ・クルス」
「戦場を礼儀で生きながらえられるなら、自然と身に付く」
言外に、だからこの場であなたが求める礼儀を学ぶ必要はないのだと切って捨てた。
〝妖精の徒〟と呼ばれるホマレリアによる粛清――ジョージたちからすれば虐殺に過ぎない事件から二年。
ジョージはフランツとレベッカと共に傭兵として異世界を生きていた。
「それで? あんたが俺たちに護衛の依頼をしてから一月。一向に何も起こらない毎日が続くんだが、俺たちはいつまで存在もしない神様に祈るお嬢様のお守りをしていればいいんだ?」
朝から続く雨と、一月にも及ぶ無為な時間に鬱屈な気分を溢れてしまう。その感情に従うままに挑発する。
案の定、眼前の女騎士は柳眉を逆立てる。
が、深く息を吐き感情を落ち着けた。
一月もの間に随分と感情の制御が上手くなったもんだ。
出会ったばかりのころはそれこそ癇癪を起こす子供のごとく、良くも悪くも素直に振る舞っていた。
「なにも起こらなければそれでいい」
「だから、いつまで?」
「――――次代の王が、即位するまでだ」
「……今日のお祈りは、お長いですな」
「――――ノルド先生」
初老の修道院長はステンドガラスに刻まれた神の姿に祈りをささげる少女へ声を掛け、声を掛けられた少女は相手の姿を認めて腰を上げた。
「何をお祈りされていたのですかな?」
「……民の、平和を。わたしが言っても説得力が無いでしょうが」
ホマレリアは揺れている。
民が王家への不信感を爆発させてから貴族を含む特権階級との軋轢は深まるばかり。
「穂兵戦争による貧困。妖精の徒による不信。いまのホマレリアには民のために出来ることなどないのでしょう」
少女もホマレリアという国になにも期待していなかった。
だから縋るのだ。
しかし、それを美徳と褒めても良いだろう修道院長は言う。
「神は、人の味方ではありませんよ?」
「え?」
「エクリプス教会が奉ずる聖エクリプスもまた御心があるということです。いいですかな? セシリア様」
「先生?」
「人の理解が及ばぬ存在が味方だと信じるのは早計です。我々の理解が及ばぬのに、何故味方なのだと無条件に信じてしまうのでしょう」
あなたはわかりますかと視線で問われても、セシリアには分からない。
「人は、得体の知れぬものに触れた時、心を揺らされるのです」
それを畏怖と呼ぶのか。
それを崇拝と呼ぶのか。
だが共通するのは、揺さぶられた心の平穏を望むだろうということ。
「そして都合の良し悪しで彼らは神にも悪魔にもなり得ます。受け入れるのか、排除するのか。あなたは無条件で聖エクリプスを信じていらっしゃる」
「……先生は、違うのですか」
「わたしにとって聖エクリプスは祈る対象ではありません」
異端審問に引っかかるので誰にも言わないでくださいと前置きする。
「聖エクリプスの所業を鑑みて、わたしも出来ることがあるはずだと信じられるのです。わたしが信仰するのは――聖エクリプスを通して信じて仰ぐものはわたし自身の可能性です」
「……可能性」
「だから己を卑下するのはおやめなさい」
その日、己の無力に酔うなと戒められたことをセシリア・トアジールは忘れない。
「……感謝します。ノルド先生」
「それは良かった」
いつしか雨は、止んでいた。
「次代の王、ね」
護衛対象が祈りを終えたと見て、彼女の下へと向かった女騎士を眺めながら零す。
「興味あるの?」
「無駄に引きとめられてちゃさっさと即位してほしいとは思うな」
さて、と立ち上がる。
どうやら待つことは、ないようだ。
「レベッカ」
「三人」
「フランツ」
「入り口は固めよう」
入り口を塞ぐのは、フランツ。彼は三メートル近い金属製の棒を担いでいる。
八角に加工された表面にはびっしりと棘が密集する。
「じゃ、あたしは適当に援護するよ」
軽快な足取りで護衛対象へと向かうのはレベッカ。彼女は背負っていた乳白色の長棒を右手に携える。
左手に、マン・ゴーシュ。
右手に、竜剣。
己の準備も万端だった。
物々しい傭兵たちの様子に気が付いたか。
女騎士が訝しむ。
「……何をしている?」
返事はしなかった。
ステンドガラスが大きな音を立てて割れ、一人。
入り口が蹴破られて、二人。
襲撃。
女騎士はいま、相手にするべき人物ではない。
風切り音、というにはあまりに鈍い音を伴ってフランツの右腕が動く。
蹴破られフランツに迫る扉はそれだけで木端微塵になった。そんな彼の脇を一人、抜ける。
三人が、三人とも淡い光の翅を生やしていた。
「妖精種……!」
呻く、女騎士。
どんな事情があれ、異能の力を授かる異世界人は彼女のような元の世界の人間にとっては厄介であり、脅威だ。
しかし、自分は彼らが特別ではないことを知っている。
身を以て。
「!?」
「自惚れるなよ」
相手の驚愕をせせら笑う。
異能がそんなに珍しいモノでも、特別なモノでもない証拠に、自分の背中にだって蒼い翅が飛び出していることだろう。
「――――ハミングウェイッ!」
まるで仇敵を呼ぶかのような、声。
翅の色だけで正体が知れるとは有名になったもんだと嘯けばいいのか。
相手のマントに刺繍されているのは燃える鷲。その紋様はオルクイラ公のもの。
「勇者だと煽てられた目出度い奴らか」
「黙れ! 地球人の面汚しめ! 貴様が好き勝手人を殺すから妖精種の立場が改善しない!」
視界に、蒼の軌跡。
この二年、傭兵として幾多の戦場を渡り歩いて身に付けたもの。
剣技。生き抜こうと思えば自然と身に付く。あらゆる武術の根幹は、やはり実戦にあるのだろう。否応なしに戦場を渡り歩けばそれなりに身に付くものだ。
そして、異能。
体を。武器を。動かすべき道標。そしてそのための知覚能力と身体能力。
潜在的特徴は自他問わぬ「生存願望」。
左手が、相手の剣閃を弾く。
右手が、翻る。
竜剣は容易く相手の首を通過した。
くるりと舞う首は、驚愕の暇も無かったか。ジョージを睨む視線のままに虚空へと消えていった。
「温い、殺意だな」
強がる姿勢。弱さを見せるなと、あの日悲しみを捨てた心が哭いている。
嘲笑の裏で詫びを入れ、己が狂わぬように花唄を捧ぐ。
「お前……!」
その光景を見て、激情に駆られた一人はジョージに迫ろうとして頭上から押しつぶされた。
石畳に真っ赤な染みとなった少年にフランツはただ呆れた。
「余所見をする暇があるのか」
桃色の臓物が、まるでモザイク画のように広がっていた。
「ひっ……ひぃっ!?」
仲間の呆気ない最期に、ステンドガラスを破ってきた残りの一人は戦意喪失。
特別だ、勇者だと持ち上げられ。
元の世界では持ち得なかった異能に酔い。
武器という暴力の象徴を手に現実を見失った哀れな異世界人。
「夢は、醒めた?」
冷たい声音で、レベッカは聞いた。
このところ「勇者遠征軍」などと謳われる異世界人の集団には多い、勘違い。
「命の保障がないことにやっと気が付いたの?」
ジョージとも二年の付き合い。彼の世界のことも色々と聞き及んでいる。
戦争が無い。疫病が無い。餓死が無い。少なくとも彼の国では縁遠いという。
娯楽に溢れ、その中で、妖精種のような境遇で活躍する物語が人気があるという。
分かるとも。
英雄譚は、面白い。爽快だ。心が躍る。憧れる。
だが、自分の身にもそれが適用されると無条件で信じる輩は何なんだ?
「馬鹿め」
「あひぃ!?」
乳白色の長棒が相手を打つ。血と、涙が散った。
でもその涙は二年前。クランクハイトに染み込んだ少年のものよりも尊いとは、レベッカには思えない。
「馬鹿めッ」
「あがぁ!?」
竜剣と出自を同じくする、言うなれば竜骨棒。華奢なレベッカにも扱える骨でありながら、竜という超生命ゆえの頑健さを誇る相棒。
連打が相手の歯を砕き、顔を、体を打ち据える。
「馬鹿めッ!」
「……」
どうしてもっと、嘆かない。そんなにこんな世界に流れ着いたことが嬉しいか。その上でもっと必死になれ。同じ異世界人を知っているからこそ、そんな妖精種たちがどうしてもレベッカは好きになれない。
彼の万難砕く助けになろうと「万事砕き」と名付けられた竜骨棒は、人間も例外なく砕いた。
「レベッカ」
「……は」
「もう、死んでる」
朱色の泡を吹いて、現実に怖気付いた勇者とやらは息絶えていた。
「……」
そんな彼ら、妖精種たちの空っぽな憧れを理解できない。激情に駆られ、友の同郷人を殺してしまう後はいつも自己嫌悪。羽毛の耳が力無く垂れる。
「ごめん、ジョージ……」
「なにが。助かったよ。お蔭で、護衛は果たせてるだろ」
瞬殺。
突如起こった襲撃は呆気なく収束した。
その光景に言葉を失うのは異世界人ではない三人だ。
「……」
蒼白になるのは護衛対象の少女。セシリア・トアジール。
「気を、お強く」
同じく蒼白ながら少女の背を支えるのはもっとも年嵩の修道院長ノルド。
「――――」
そして、ゴクリと喉を鳴らす女騎士。マリガン・レイフェイ。
「ま、マリー……?」
「は、はっ?」
「あなたの雇った傭兵は、とても強いのね……?」
「さて……襲撃されたということはお嬢の居場所が知られてしまったってことだ」
マリガンに話を振れば頷きが返ってくる。
「しかし、もともと避難して修道院に来ていたのに……」
国内のあまりに荒れた治安に貴族たちは引きこもるか武力鎮圧するかが大まかな手段となっている。
素性こそ知らないが、冗談でも平民などではないセシリアが貴族勢力という平民に敵視される場所ではない修道院に逃げ込んでいるのは、教会勢力という大きな別の勢力の庇護を頼ってだろう。
しかし、襲われた。
しかも、貴族勢力にだ。
「ぼちぼち事情は聴けるんだろうな、マリガン?」
見るからに貴族の子女という出立ちのセシリアの旅路は危険だろう。
雇われの身だが、命あっての物種。厄介事に巻き込まれるのは避けたい。己の目的のため、情報収集や立ち回りを考えてもっとも動きやすい傭兵という職業を選んではいる。
自然、厄介事に関わりそうになる機会が多いため引き際は肝心だ。
「……マリー、覚悟を決めましょう」
「セシリア様……」
「レーゼ公の下へ、向かいます」
それは爆弾発言だった。
マリガンにとっては、セシリアが時代の奔流から逃げ切れないと判断したこと。
ジョージたちにとっては、最大級の厄介事を窺わせること。
レーゼ公とは、青い薔薇を家紋に持つ「蒼薔薇公」。
ホマレリアは彼と、先ほど襲ってきた妖精種たちの親玉、オルクイラ公によって実質二分されているのだから。