出会い
迷い着いたホマレリアと言う国が隣国ヘイヴォーグと長い、長い戦争を続けているという事情を知ったのはいつ頃だっただろうか。言葉の通じない世界では、文字も読めない世界では、何も期待できないということは大きな街を見付けてすぐに知れたのだが。
人間に限らず動物とは異分子に対して非常に敏感だ。一人、住民と服装から異なる譲二は当然忌避された。
話しかけても答えてくれず。引きとめようとして悲鳴を上げられ、駆け付けた衛兵にど突かれる。散々打ちのめされて捨てられた裏道で、更に浮浪者たちに痛めつけられた。
現代の縫製技術で作られた、大衆向けであっても造りのいい服装は引き裂かれ現状を留めていなかった。腕に出来た痣や傷をそっとなぞりながら蹲って、幾夜も泣いて過ごした。
そんな時、彼女に会った。
名前は無いと、彼女は言った。
「親に貰った名前を名乗れるほど、真っ当な人間じゃない」
ハッキリと、両親から授かった名を名乗れる資格がないのだと吐き捨てた。その言葉から誰かに同情するような性格ではないだろうに、どうして自分に構ったのだろうか。
「あんたには、生きてやるという意志があった」
と、答えた。顔を逸らしていたのは恥ずかしかったのだろうか。いまとなっては知るすべはないが。
ズタボロになって、夜に裏道で一人蹲って泣くほどに打ちのめされていながらも翌日には同じように話しかけ、引き留めようとする。
根気とは言葉にすると陳腐だが、実践するとなると大変な重荷になる。
年下に見える彼女が呟いた言葉はいまでも一つの礎として心の中に在る。
†
出会った翌日から、ともに行動することになった。
そもそも言葉や文字がこの世界の者と共有できていないのだから意思の疎通も難しい。文字や言葉を学びながらの日々。
では彼女がどうして意思の疎通が取れたのかと聞くと、
「お前みたいなのはこの世界では珍しくないんだ。何人も見て、何人も死んでいったよ。お前の使う言葉はそんな奴らが使っていた言葉の一つ」
どこからともなく現れる人間が、そう珍しくないという事実は衝撃だった。
異世界転移に、本当に意味がないことを知ったからだ。
目的があって召喚されたのでもなく、何か大きな意志によって転生したのでもない。ただ、本当に不運なだけだと知って乾いた笑いを漏らした。
それでも、死にたくない、死ねないのだと、儚い希望ということすら思い憚られる再会を目指しているのだと話した。
いまは、それしか目的が無いことも。
「誰かが手を差し伸べるのを待つよりはいい。だけどな、ゲオルグ」
ゲオルグとは、本名を易々と名乗るべきじゃないと言われて考えた異名だ。イギリス旅行のために色々と調べた際に譲二――ジョージはドイツ語でゲオルグと読むことを偶然知った。それを使ったのだ。
「あんたの行動はまだ受け身の内さ。手を差し出して、誰かが握ってくれるのを待ってるだけ」
声を掛けても会話が成立するとは限らない。事実、誰一人振り向いてさえくれなかった。
引き留めても相手にされるとは限らない。事実、一人の例外もなく邪険にあしらわれた。
目的があるのなら、目的を掴むというゴールまで自分の力で動くことが大切なんだと教えられた。途中差し伸べられた手や、慕ってくる人間を動かすほどの力が無いと目的は果たせないことがほとんどだ。
「実力とは何かを為すものではなく、状況を変えるものだということをまずは知るべきだ」
助けられる人間は、それだけの実力がある。実力者とは、一人で優れた人間でも、大多数を従える者でもなく、周りに支えられて倒れない人間だと教えられた。
彼女は死体漁りだった。
言葉面、良いイメージを抱かないが――実際、死者から物品をはぎ取ることも有るのだが、仕事内容は戦場跡の掃除だ。
「死体は時に、なによりも雄弁に語る」
彼女は間違いなく天才と呼ばれる存在だったと、そのときは思っていた。死体の受けた損傷から逆算して武器の振り方、足運びや体捌きまでを読み取るのだから。
壊れた武器を見て間違った使用方法を知り、壊れた防具から耐久限界を導き出す。
「あたしに自慢できるのはこの眼だけ。いつか、ずっと戦争を続けるこの国のてっぺんまで、身に付けた知識と力で駆けあがるんだ。そしたらいつか……」
初めて将来を語る彼女の眼は、紫色の瞳で妖しい輝きを内包することを初めて知った。鮮やかな紫は雨に映える紫陽花のように、昏さにこそ似合いそうだと思って、明るい展望を語る彼女とはとても不釣合いだったことをいまでも覚えている。
「生きてさえいれば、目的なんぞ後からいくらでも出てくるさ。辛くてもそれは一つの通過点であることを、あとから笑えるようになる」
出会ってから今まで、妹さえ見付けられればという、己を顧みない態度は確かに危うかったのだろう。そもそも奏音が生きていることすら可能性、いや、願望に過ぎない。姓にしがみ付いた先で待っているのは妹は死んでいたという事実かも知れない。
だからこそ、その先を見据えるべきだと諭してくれていた。厳しさと素っ気なさの中に、核とした優しさを持つ人だった。
そんな彼女だからこそ、幾多もの戦場跡を二人で渡り歩きながらいろんなことを教えてもらえたのだろう。
彼女と戦場跡を漁っていると必ず見る光景があった。
それは大抵、自分たちのような――戦場という地獄の跡地を漁ることでしか生を長らえることのできない人間たちが糧を取り尽くした後に現れる。
修道女たちが、戦場の端に並んで立つ姿だ。
「聖歌隊だよ。贈るのさ――鎮魂歌を」
修道女たちが、厳かに唄い始める。
自分たちが戦場を漁る対価として、一箇所に集め可能な限り身ぎれいにした脱落者たちへとだ。
傷つき倒れた御霊たち
君はどこへ行くのでしょう
ただ、生きることのむずかしさ
抗い、戦い、志半ばで散りゆく君よ
安らかに眠れとは言いません
残る私が望むは、ただ一つ
どうか、その死に意味があったということを
無情な世界へ刻んでほしい
愛する人は守れたか
憎む仇は討ち果たしたか
受けた恩は返せたか
掲げた義は通したか
抱いた想いに達したか
君よ
いまここに、地に伏す君よ
私が望むはただ一つ
君の命が無情な世界へ散ることに
ここで終わるということに
意味があったということを
私の胸に、刻んでほしい
さすれば君は、君の死は
私の目に安らかに映るでしょう
終わった君は何も語らず
残った私は何も悟れず
知ったように振る舞うことは
命を懸けた人生を
激しく揺れる世界の中を
戦いきった、君を
穢してしまうことでしょう
送る私の心一つで
君は、安らかにも無念にも為り得るのだから
これは
君という歴史に贈る、葬送歌
私の涙を花添えに
戦い終えた、君の御霊を鎮めます
長い、唄だった。
哀しさはあまり感じ取れない。どこか誇りを抱いたようなメロディでありながら、しかし切ない。儚いなどとは言えない唄だった。
「……ゲオルグ。一つ、覚えておくといい。悲しむことは生者の自己満足だよ」
死者は、ただ死者だ。
本当に彼らを悼むのならば、悲しむことで終わってはならない。彼らが確かに存在したことを、彼らの人生に意味があったということを歴史として世界に残すのだ。
誰だって、自分の一生が何ひとつ、誰一人にも影響しないなんて望まない。死後くらい確かな価値を保証してほしいだろ――彼女が、言った。
「それでも、涙を流すくらいは声を上げたらどうだ。お前が悼んだ誰かはお前が悲しむだけの意味を世界に、お前に刻んだんだからさ」
お前が泣いたという事実こそ、誰かがお前に刻んだ人生の価値さ。
父と、母に、ありがとうと鼻声で叫んだ。
あの場所で目が醒めた時、父と母は自分を抱きしめていなかったか?
偶然なんかじゃない。ちゃんと守られて生きている。
記憶の最後で意識の無かったはずの父は、無意識下でも守ってくれたのか。それとも家族の危機に、最後の猶予を掴んだのかはわからない。
恥も外聞も無かった。
二人の子であることを、いまも生き延びている事実を誇りに思えた。
「――死ぬもんか、力の限り生きてやる!」
あの二人が自分を守ったならば、妹だって、奏音だって生きている。
たった一つの目的なんかじゃない。
「再会して、また家族として伴に生きるんだ……!」
再会は、一つの通過点だ。
「そうさ、ゲオルグ。目的はゴールじゃない。ゴールは途中に設けられるもんじゃなく、最後の最後でテープを切って倒れる場所さ」
何かを為すため生きるのではなく、生きているから何かを為すのだ。
彼女の満面の笑みを、初めて見た。嬉しそうに笑ってくれるあの顔を、自分は生涯忘れないだろう。