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花唄のオベイロン  作者: losedog
Chapter 0:絶望の淵
1/6

墜落

数か月前に書いてみようとして、行き詰って数か月に一度数十文字くらい書くという超スローペース執筆。

ご意見、続行希望などありましたら是非とも。

掲載の方も活動報告のほうで声があったので思い切って投稿しまスた。

 樹に威圧感があるということを初めて知る。

 見渡す限りに壁のように視界を遮る幹がそびえ、

 空を仰げば内にあるものを閉じ込める檻のように枝葉が手を伸ばす。

 一体どこに向かって歩いているのか把握させない木々の群れは、それを見るものを決して癒すことなどしないということを、これほどまでに追い込まれてこそ知る。

 本来、森という場所は人の領域ではないことを思い知る。いつだったか、マイナスイオンで癒されるなどという話を聞いてから森に、木々に対して抱いていた印象は間違いだ。

 得体の知れぬ獣の鳴き声は確実に余裕を奪い、日中にも関わらず視界の隅にわだかまる闇は不安を際限なく生み出す。

 それでも、進むしかないのだ。

 何もしない、というのは。

 実は、最も不安だということも知らなかった。

 暇、という感覚が残っていた何でも無いようなあの日々が幸せだったということに愚かしくもようやく気が付いて視界が滲む。

 やがてぼやけた視界が樹木の檻から出たことを告げた。

 そこが今までの環境よりマシかと問われれば、明確に答える自信は無かった。

 何故なら。

 子どもの頃、親に連れられた博物館で見た恐竜の骨に似たものが山のように積み重なっていたからだ。

 ここは、天然の墓場だ。

 そんなことを思い、疲労以外でも重い脚を引きずるように歩みを続ける。

 どこに向かっているのか、何を求めているのかすらも、わからずに。


     †


 期末試験も終わり、冬休みに入って数日のことだったと思う。クリスマスを含めた年末年始をイギリスで過ごそうということになった。父と母からのサプライズだ。

 家族全員が初めての海外旅行である。父がここ二、三年の間こつこつ貯めた家族サービス用のヘソクリがあるのだと言って誇らしく、暖かく笑った顔を覚えている。

 妹が、


「兄ちゃん、イギリスっていえばどこが有名?」


 と聞いてきたが、そうそう関心があることでもなかったので曖昧に、


「人に聞くうちは本当に海外旅行を満喫できるとは言えんな。観光名所は話題になるだけあって人混みが多いだろうから、自分だけのおすすめスポットを探すのが通ってもんだよ、奏音くん」


 それらしく誤魔化した。楽しみであったが、旅行が趣味だったわけでもないので人に説明するような知識はほとんどなかったのだ。妹はそんな言葉に踊らされるほどアホの子ではなく、適当にあしらわれたことに頬を膨らませたが。

 そんな彼女の姿を背中に、これから調べようと思った。



 空港は大変な人混みだった。当然と言えば当然だが。

 淀んだ空気と気の抜けない圧迫感に辟易としながら、父と母の背を妹の右手を引きながら追う。


「女ってのは何でこんなに荷物が多いんだ……」

「なによ。兄ちゃんだってトラベルバッグじゃない」

「俺のは親父と二人分を圧縮してんの。だから大分マシだろう」

「えっ? 冬休みの宿題は?」

「……お前、今まで何してたんだ? まさか冬休みの宿題全部持ってきたとか言うなよな」


 じろりと振り返れば素知らぬ顔で「あ、あんなとこに犬がいる。警察関係かなぁ」などと惚けるあたり、宿題は全部詰め込んできたらしい。旅行を合宿と勘違いしてないだろうか。


「そりゃ、大荷物にもなるわ……」


 呆れた呟きの返答は、力の無い「ポカッ」という擬音が当てはまりそうな拳骨だった。





 本当に、何気ない遣り取りだった。





 平和すぎて、涙が出るほどに。





 何の前触れもなく、ソレは始まった。

 分かるのは、まともな状況じゃないことだけだ。

 空を飛んでいるはずなのに――いや、空を飛んで地に足が付いていないからこそなのか。揺れる、というよりも掻き回されるように視界がブレる。

 添乗員が叫ぶ「落ち着いてください!」ほど空虚で信じられないモノは無かった。一体どこをどう判断すれば今の状況で落ち着けると言うのか。

 機内は阿鼻叫喚としていた。

 もうダメだ――やめてくれ、絶望は伝播する。それはパニック時こそ軽々しく吐露すべき感情ではないことを、非常時だからこそ知り得る。自分の心が侵されそうになっているから。

 責任者をだせ――混乱は人の底の浅さを曝け出す。父の誇らしい笑顔を憎らしく思いそうになって、自分の人としての浅さを思い知る。

 誰か、助けて――すぐ隣の声なのに、隣を見て妹の顔を確認することができない。だって、自分が助けを求めてる。俺が助けてほしいと思うのは、兄として身勝手だろうか?

 譲二、父さんが――父は最初の衝撃で壁に頭をぶつけたのか額から血を流していた。揺れるままにシートに跳ねる父を、母が涙ながらに押さえる。

 誰もが心の拠り所を求めていた。

 父が、母が、妹が。平静を保てなくなって喚くのを見て、どうすればいいのか途方にくれそうになった。

 ただ、父を、母を、妹を。目測すらままならない振動の中でどうにか抱きしめた。


「ごめん――大丈夫だから」


 家族を安心させるためではなくて、自分を安心させることに謝った。一番うるさかったのは自分の動悸。それを紛らわす温もりを求めたことに罪悪感が無いと言えば嘘になる。

 根拠も無しに大丈夫などと言ったことを謝る。極限的な危機の中で、気休めほど残酷なものは無い。


「――うん。兄ちゃん」


 このときほど、自分の言葉に後悔したことはない。もし、過去に戻れるなら妹に、奏音にもっと気の利いた言葉を掛けてやると、今も思っている。

 ひときわ大きな揺れが来て。

 音と認識できぬ爆音とともに自分の記憶は一旦途切れている。



 目が覚めて最初に飛び込んできた光景に立ち尽くす。

 赤――燃える、炎。嗅いだことの無い異臭は人の焼ける臭いだろうか。

 黒――地に染みる、酸化した血。目に見える全ての人間が地に伏している。

 緑――火に照らされて浮かぶ、森。薙ぎ倒された木々が被害の大きさを物語る。

 すぐ傍に、目を見開いたマネキンのような両親の姿を見つけても涙も出ない。ただ、二人の瞼を閉じて両掌を組んでやる。

 その行動は、ただの自己満足だ。

 いま、ここで自分も死ねたなら。

 正直、そう感じるほどの光景だった。流血はすれども五体満足と言う奇跡に感謝すればいいのか。

 悲しみ、と言う感情は凍りついていて湧き上がらなかった。



 まず、二日助けを待った。

 自分が無事だったのだから他にも誰かいるのではと思い立って始めた探索は、初日で目的が死者を弔うことに替わっていた。

 瞼が開いていれば、閉じる。

 そして掌を組んでやるのだ。

 死んでしまってなお、悲劇をその目に見せないように。

 そんな建前を武器に、ガラス玉のような無機質極まりない視線を遮ってゆく。見つめられる生者にとってそれはただ不気味なだけで、弔うなどと殊勝な心がけなど微塵もなかった。

 その感情に気が付いたとき、自分がとても醜い存在のような気がして涙する。親の死にも流れなかったものが、自分のことになると簡単に流せるのかと空虚に笑った。



 二日目の朝に雨が降ったのは僥倖だった。喉の渇きを潤せたし、燃え続けた残骸が鎮火して探りやすくなったからだ。

 何かしていないと得体の知れない感情に押しつぶされそうで、ただ一日目と同じ作業を繰り返して――気が付いた。

 奏音の姿が見当らない。

 跡形もなく逝ったのか。それとも先に目が醒めて、この惨状に見切りをつけて後にしたか。中途半端な諦観と希望が湧きあがる。

「お前には俺も死んでるように見えたのか?」

 誰ともなしに呟いた言葉は周りの森へと溶けていく。

 人間など、大自然の懐ではちっぽけすぎる弱者だと知らせるように、森はただ悠然とそこに在った。



 二日目の夜が明けても変わらぬ現状に見切りをつけた。

 いくらなんでも助けが来るのが遅すぎると思ったのだ。その場を動くのは間違いだという思いもあったが飛行機事故から二日経っても音沙汰が無いのは異常ではないか?

 周りの森は確かに深いだろうが救助に駆けつけられないほどの未開の地でも無いように思える。状況が動かないなら、自分が動くしかない。

 雨水はあれど食料は無かったため、木の実でもキノコでも腹の足しになるものさえ見つかれば生きながらえられるかもしれない。

 燃え残ったリュックサックを背負い、適当なプラスチック容器を幾つか見繕って雨水を汲んで携帯することにする。

 この場所に戻ってこられるように燃え残った残骸を道標として落として彷徨い始めた。





 その探索は、確かに成果を見せた。





 ただし、ソレが状況を好転させるものではないということを想像できなかった。





 その時初めて、自分がまだ絶望していなかったことを知った。





 何故なら、その成果こそ絶望させるに相応しい材料だったから。


     †


 山になっている骨は明らかに見たことも無い生物のものだった。蝙蝠の羽に似たものを思い起こさせる骨がある。恐竜のような、トカゲのような頭蓋骨には角のあるものがある。それを未発見の恐竜の化石だと思えるほど、幸せな脳みそは持ち合わせていない。


「――ここは、どこだ……」


 思わず呆然と膝を付く。そんな馬鹿なことがあるかと喚きたい。


「誰か、嘘だと言ってくれ……」


 駆けつける気配のない救助。

 目前に広がる未知の生物たちの骨。


「ここは――地球じゃあ、ないのか……?」


 救助が来ないのは、飛行機の行方を追えないからではないのか

 見たことがないのは、この骨の生物が過去にも、現在も、未来にだって地球上に存在しないからではないのか?

 楽しいはずの家族旅行に対して、この仕打ちはあんまりだろう。

 ワケもわからない内に両親を失って、感情もマヒし、死体に囲まれた二日間。

 放り出されたのは地球ですらない異世界。自分の価値観など糞の役にも立たないだろう。

 マンガなどで見た、召喚されて活躍する主人公に憧れたことが無いとは言えない。

こんな世界ではなく、違う世界であれば。取るに足らない少年である自分も活躍できるかもしれないのになどと、根拠もなく信じていた。地球の知識はそれほどのものだと、異世界に行くってことは特殊能力か人間関係に恵まれているのが前提条件だと、捉えていたのだ。

 世界は、運命は、人生は。

 そんなに甘くも優しくも無いというのが、裏付けのない自論に対する答えだった。


「異世界転移とか……ははっ。なんだそりゃ。天国の方がマシじゃねーか」


 得体の知れない感情は、絶望だ。

 何の拠り所も無い世界でこれ以上、あとどれだけ絶望の淵に立たされればいいのだろう? いっそ踏みとどまらなければあの場所でぼうっと死ねたのかもしれない。踏みとどまってしまったことに意味があるのか?



『――うん。兄ちゃん』



 飛行機での妹の言葉が脳裏を過る。大丈夫だと言って、真に受けた妹。奏音の死体が無い以上、生きている可能性は皆無じゃない。

 儚い希望だろうか。

 だけど、世界のためにだとかお姫様のためにだとか、そんな理由で異世界に来るなんてことは幻想だ。

 本当は何の理由もなく迷い込む。たった一人に、少数の人間に救える世界や危機なんて都合のいい環境は、創作だからこそ、映える。

 奏音が突発的な異世界転移に不安を感じて、自分の言葉に安心したのなら。

 一緒に転移した理由はそこに在ると見出したい。


「俺は、死ねない」


 自分が生きて、妹にも生存の可能性があるのなら。あいつに言葉を贈った責任として生きてやる。


「もう一度、お前の顔を見ずに死ねるか」


 平気で元の世界を捨てられる主人公たちに、この時共感できなくなった。



 退屈だ、くだらない、人間関係にうんざりする。



 その不満の、なんと贅沢なことか。

 不満を感じられるだけの幸福を、彼らは知らない。それは、より良い環境を求めるという「欲」だ。

 両親を失い、妹の行方が知れず、どことも知れぬ異世界と言う環境で喜べるはずがないだろう。家族が生きていることにも拘わらず、なぜ自分だけでも異世界に行こうなどと思えるのか不思議でたまらない。

 二度と会えないということと死別は、確かに重さが違うのだろう。

 それでも異世界に行けるのは互いに薄情だからじゃないのかと、いまだからこそ感じる。

 少なくとも自分は違ったのだと、家族の絆を思い知る。恵まれた現実を知った。


「だから、お前も死ぬな――奏音」


 日常が壊れて初めて慟哭する。

 世界の危機に、己の不満に、国の脅威に、美少女の情愛に、自分の憧れにどれ程の価値がある。



 異世界に来てまで生きる理由は、もっと単純だ。



「死にたくないっ……! 死んでたまるか! 生きて、もう一度お前に会うんだ、奏音!」



 異世界転移は、エンターテインメントなどではない。

 創作物のように、そこに神の意志があるのなら。

 異世界転移は、死力を尽くして立ち向かうべき「神災」だ。



 大切な人との再会を、無事を。



 ただ、願うこと。



 可能性は、ゼロじゃない。



「俺が生きようとする意志は、それでいい……!」



 このとき、来栖譲二、一八歳。

 彼はよろめきながらも立ち上がり、天然の墓場の奥へと重い脚を引きずるように姿を消していった。

 平和な日本から、不遇を経て。

 これから過酷な異世界を生きていく

 自分の歩む軌跡が、この世界の大きな流れと交わることを、未だ知らない。


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