エンジェルはコンビニにいます。
妻が浮気をしていると、相談されてしまった。しかも、親戚でもなんでもないおじさんからだ。コンビニで缶コーヒーを一本買うのに手間取っていた男に、「大丈夫ですか?」と声をかけたのがいけなかった。
レジに並んでいると、チャリンと音がしたので下を向いたら、百円や十円の硬貨が数枚、落ちていたのである。俺のすぐ前にいる男が落としたのだろう。酔っ払っているのか、男の足元はおぼつかない様子で、レジ係の店員はしかめっ面だった。
仕方ないので小銭を拾ってあげ、カウンターの上へ置いた時に何気なく声をかけたら、そいつにいきなり腕をつかまれてしまったのだ。
「あっ、あなだ、いい人だあ~」
涙と鼻水とでグチャグチャになった、おじさんの丸い顔。
――ぎ、ぎえ~っ。
あまりにも突然のことに飛びあがってしまった。
「やっ、やめてください。何をするんですかっ」
しがみつかれたその手を引き剥がそうとしたのだけれど、意外と力が強く、どうすることもできない。
と、もがいているうちに、おじさんの大きな顔が急接近。視界いっぱいに迫ってきた。
「お兄ざん、いい人だがら、ぜび、お礼をざぜてぐだざい~」
――ひっ、ひい~。
「わかりましたっ。わかりましたから、落ち着いてくださいようっ」
こうして俺は、おじさんの身のうえ話の相手をするはめになったのだ。
――はあ、ついてないなあ。今日は厄日かあ?
はじめは店内で話をしていたが、長くなりそうだったのでコンビニの外に場所を移すことにした。畑の中にポツンと一軒だけたつコンビニだ。店内の照明以外、明るいものはない。もう夕暮れだし、知人に見られるリスクは低いはず。
不安そうに事の成り行きを見守っていた店員の女の子に格好をつけて、つと手をあげる。出入り口の近くに並んだゴミ箱の横に二人してしゃがみ込んだ。
「妻を愛じでいるんでずう。だがら言いだせなぐで――うぃ~、ひっく!」
おじさんは、ぐずぐずと鼻水をすすった。
「そうですか。まあ、それはそうでしょうよ」
酒臭い息がして、自分の鼻と口をふさぎたくなった。そうする代わりに、おじさんがくれた缶コーヒーをゴクゴク飲み干す。ビールを一気飲みしたあとのように、プハ~ッと息を吐いた。
この人、泣き上戸なんだな。前後の見境なく他人に絡んできたぐらいだ。相当まいっているのだろう。まあ、酔っ払いが相手だ。適当にあしらえば、眠りこけた隙に乗じ逃げることができるかもしれない。
聞いた話によると、奥さんの浮気相手は自営業の男だそうだ。一年近く関係が続いているらしい。
「俺も恋愛経験ない方ですから、あまり参考にならないですけど。証拠はつかんであるんですか」
「もぢろんでず~。だがっ、だがら悩んでいるのでずよう」
「だったら、乗り込んでいけばいいじゃないですか」
「無理でずう。ぞれができだら、悩みまぜん~」
――ダメだ、こりゃ。
すでに小一時間がたつ。完全に堂々巡りだった。ずっと同じ姿勢をとっていたため足もしびれてきて、どうしたものかと思った。途方に暮れて顔をあげる。
ちょうどコンビニのドアが開き、若い女性が一人外へ出てきた。きょろきょろと周囲を見まわし、こちらに気づくと、「あっ」と小さな声を出して駆けてきた。
「こちらにいらっしゃったんですかあ。それならそうと言ってくださいよう」
よく見たら、さっき店内で俺たちを気にしていた店員の女の子だった。私服に変わっていたし薄暗いのでわかりにくかったが、けっこう美人だ。メガネっ子なところも俺好み。
「すいません、こっちは手こずってしまって。やっぱジャマになりますか?」
何を謝ってんだ。謝るのは、おじさんの方だろう。と思いながらも、つい愛想笑いを浮かべてしまった。
すると、女の子は両手を差し出してきた。その手には正方形の駄菓子チョコが一つずつ乗っている。アニメのイラストの天使が槍を持ち、大きな口を開けて笑っていた。お菓子の名なのだろう。エンジェル・チョコという文字がある。
「おつとめ、お疲れさまですう。おなかすいたでしょう。どうぞ召し上がってくださいな」
女の子はそう言って、俺にチョコを握らせた。
「あ、あのう……?」
ここはコンビニだ。弁当だって、おにぎりだって、サンドイッチだって、腹を満たすものは他にたくさんある。それなのに、どうして、よりによって、チョコを選択するのだよ。俺はチョコが苦手なのだ。
「ああ、お礼なんて要りませんよう。言っておきますが、店の物を持ち出したのではありません。私のおごりですう」
俺の視線を勘違いしたのか、彼女はあたふたと手を横に振った。
「疲れた時は甘いものが一番なんですよう」
「はあ」
「ですから、ドンマイ! おじさん、頑張ってくださいねっ」
女の言葉で一喜一憂するのは、男の定めなのか。
彼女の言葉は、俺には大いなる脱力感を、おじさんにはすこぶる生命力を与えたようだ。おじさんは涙をぐっと拭くと、こぶしを握りしめ力強く立ち上がった。
「はいっ、がんばりまずう~!」
それにしても、微妙に負けた気がするのはなぜだろう。おじさんと女の子が笑いあうのを見て、そう思わずにいられない俺だった。
言っとくけど、俺はまだ、おじさんじゃないんだからな!
おわり
読んでくださって、ありがとうございました!