先輩と僕の一コマ
「たとえば辻くん、この世に十の肉があったとしよう」
先輩は人差し指を立て、真面目な表情で何やら語り出した。
「十の肉に対し、人間の数は五人だ。まぁ、この状況は無人島に漂流した人々、と形容しても構わないね。酷く腹ぺこの人間が五人いたとして、君は肉をどうやって分けるかな?」
先輩は得意そうな顔つきでよくわからない問題を繰り出す。どういった意図なのだろう。
一考してみると小学生でも解りそうな問題に聞こえてしまうのだけど、先輩の得意げな顔を見るに、何かが隠されているはずだと僕は感じ取った。
「……肉が十、人間が五人だから…………五人にそれぞれ、二つずつ肉を分け与えるという回答はダメなんですか?」
しかし深く考えてみたところで、正解というものが浮かぶ気がしなかった僕は適当に質問の回答を出した。
すると先輩はその長くて流麗な髪をくるりと翻し、やれやれといった顔で僕を見つめてくる。
「フッ、甘いね、辻くん。そんな答えじゃあ、君がもし無人島でサバイバル生活を余儀なくされた際に、生きていくことは出来ないよ?」
一生縁のない未来想定だなと思いつつ、僕は先輩の話に耳を傾ける。
「人生というのはね、苦難の連続なんだ。思ったようには動かない。仮に無人島の人間たちをA~Eの人間ということで、表してみよう。まずAさん。この人はもしかしたら大食らいの人で、二の肉では足りないかも知れないね。結果、Aさんはお腹がすいて暴動を起こし、B~Eの人間はとんだ被害を被るだろう。彼らの旅はここで終了だよ」
「さいですか」
先輩の脳内ではAさんが暴動を繰り広げるらしい。
まぁ確かにAさんが巨漢で人の二、三倍も飯を平らげるようなタイプの人だったら、上手くはいかないだろう。
「次にBさんだ。この人は肉アレルギーで、肉類を全く食べることが出来ないかも知れないね。無人島で取れる食料なんてものは、野草を除いてほかに少ないよ。魚はそう簡単に捕らえられるものではないしね。結果、Bさんは餓死してしまうだろう。肉類を食べることが出来ないということは、他の人を食べて過ごすなんていうカニバリズム的発想も意味を成さない」
「まぁ肉アレルギーの人が人肉に手を出すことはないでしょうね」
先輩の脳内ではBさんが草食系男子らしい。いや、男子かどうかは定かではないが。
こういった話をする際の先輩はとても楽しそうである。精巧人形に命を吹き込んだような整った顔立ちからのぞく目はあらゆる物事に好奇心を持つように煌めいている。
「ではCさんはどうか? Cさんは漂流した際に内臓を損傷していて、飲み物しか口にすることが出来ないかも知れないよ?」
「あれ、Bさんと似てますね」
「ううん、違うよ。ダンゴムシとゾウリムシくらい違うよ。同じ食べられないとは言っても、アレルギーと損傷では状況が大きく異なる」
ダンゴムシとゾウリムシの違いがよくわからない僕は少々混乱したが、確かに違うと言えば違う。
「そしてDさん。Dさんはなんと、『肉を焼いて食べる』という新たな手法を見つけ出した!」
「いやいや、それって現代の人間なら誰もが知っています!」
「Dさんの中では常識じゃなかったんだよ」
「Dさん何者ですか! 極度の物知らずな箱入り娘ですか! ていうか今までの人は生肉を食おうとしてたんですかっ!?」
「適当に考えた話だったから支離滅裂なのさ。Eさんについては華麗にスルーするけども、私の言おうとしていること、辻くんには解ったかな?」
そう言うと先輩は腰に手を当てて僕に対面する。いつも通りの切り替えの早さだ。
「うーん。いつもの先輩みたいに言うのなら……」
考える。恐らくは当たらないであろうけども。
「この世は、あらゆる可能性が考えられる、ってことですか?」
「おおむね正解かな。十の物を五で割る、という単純な話も、ちょっと肉付けをするとこうまでも問題が起きてしまうものなんだよ。ちょっとこの話に可能性を加えるとしたら、この島には実は先住民のFさんがいて、Aさん達の肉を根こそぎ奪ってしまうなんて事件もありえなくはないよね」
なるほど、そういうことか。先輩が言いたいのは世の中は単純に割り切れる物ではない、ということなのだろう。
一つの要因に対しいくつもの要因が絡むことで、想定外の事象を引き起こす可能性はいくらでも生まれると。
「そうして世の中には問題という物が起きてくるんだ。一見安定していそうな事態にもほころびは出来るということだね。そうやって格差社会なども生まれていくよ。世の中の美少女はほとんどイケメンがかっさらっていくだろう? あれも同じことだよ」
「じゃあ先輩みたいな人もかっさらわれちゃうわけですか?」
「ううん、それはないね。私の話についてきてくれるのは、辻くんぐらいのものだしね。話の合わない人間と居ても、苦痛になるだけさ」
当然のように言う先輩。先輩の独特な思想と理論についていけるのは僕くらいのようだ。
今日も今日とて先輩の独断と偏見で組まれた話が展開されている。
「ふむ。辻くんは、私のことを美少女だと思ってくれているのかな?」
「そりゃあ先輩、ミスコンで上位に入賞したくらいですからね。見てくれが良いのは百も承知です」
先輩はとにかく綺麗だ。無駄な作りがまるで無い。
そんな先輩と初めて出会ったのはここ、放課後の図書室だ。
窓から差す夕日に照らされながら本を読む先輩を初めて見た時は、この世にはこんな美貌を持つ人がいたのかと不思議に思ったくらいだ。
「む、その言い方だとまるで私の内面はダメダメみたいじゃないかい。無礼な発言だね。撤回してもらいたいよ」
「いや、別にそんなこと微塵も思ってないですけど」
先輩は少しムッとした表情で告げる。どうやら言葉に含みがあったように聞こえたようだ。
「話は戻るけども、格差社会というのは産まれた時から始まっているね。私は人よりちょいとだけ顔が良く産まれてきたみたいだけれど、内面や家庭環境、生活状況も産まれた時に決まる物だ。そう考えると、人生という物は産まれた時点で決まってしまうのかも知れないね」
それは寂しい話だ。産まれた時に人間のあらゆる物が決まってしまうとは。
でも僕もその考えには一理ある。どうやったって、変えられない自分の個性というものは出てきてしまうものだ。
産まれた時から野球が好きだったとか、幼少の頃から音楽を奏でるのが好きだったとかは変えようのない本人の個性だ。
「しかし、そいつは悲しい話ですね。自分を努力で変えようと頑張ってみても、その努力という行為にすら産まれ持った本人の器量が関係してきますからね」
「そうだね。よく大人は努力しろ、努力しろと言うけれど、実のところ努力なんてものが出来る人間はそう多くは無いんだよ。世の中にいる化け物じみたような人間というのは、大概が十歳程度までにその片鱗を表すらしいからね。頑張るかどうかも、本人の産まれ持った意志次第というわけだよ」
高校生なのにやたらに夢のない話をしているなと思いながらも、僕は熟考する。
人間はよく『自分は変えられる』みたいな話をするけれど、それは微々たる物であると思う。
人間、そんなに根本の部分は変わらない。変わったら、もうそれはその人じゃなくなる。どこまで行っても自分は自分だ。
「じゃあ産まれが違ったら……先輩と付き合ってた、みたいな未来もありえたんですかね?」
僕は何の気なしに言ってみた。すると先輩は目をきょとんと丸くして、数秒考える仕草を見せる。
「どうだろうね。産まれが違ったら、そもそも出会わないんじゃないかな? 同じ国に産まれるとは限らないし、ましてや人外に産まれるかも知れないよ」
「そっか。それもそうですね」
将来僕が死んだとして、次にどんな奴に産まれるかなんて、解ったもんじゃない。
そもそも次の生涯が待っているのかも定かじゃない。
でも願わくば、優秀な個体として産まれてみたい。スポーツ万能、学業優秀、みたいなのを希望。
まあそう産まれたら産まれたで思い悩むことがあるんだろうけども。
「まぁどちらにせよ、辻くんのように『男』にしか興味が無いうちは無理だね」
「そうですね。先輩のように、『女』にしか興味が無いように産まれたら、苦労しますね」
そう、僕は男であるけれど、男性にしか興味が無い人である。そして先輩は女にして、女性にしか興味が無い人である。先輩と付き合うとか、ぶっちゃけ、考えられない。
もし僕が女性が好きという一般的な男子に産まれていたら、先輩のことを好きだったかも知れない。でも違ったのだからこうなっている。『気の合う男女が出会えばいい関係になる』なんて事象にも場合によってはおもいもよらぬ事象が発生して――って、先輩の言っていたことみたいだな、これ。
「お互いに難儀に産まれたものだね。私達、思考回路はばっちり噛み合って産まれたのだけどね」
「ですね。先輩とはいつまでも友達でいたいです」
そこで会話は終わり、僕と先輩はお互いに椅子に腰掛け、本を読み始めた。