表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
侯爵令嬢は恋を知らぬまま最強である 〜最強なのに、恋だけがわからない〜  作者: N


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/56

第5話「魔法授業、あるいは教官が泣いた日」

 魔法理論の授業は午前中に行われた。


 担当教官はエルネスト・ファウル。三十代半ば、細身の眼鏡をかけた神経質そうな男だった。魔法理論の権威で、王立学院に来る前は王宮付きの魔法師だったと聞いていた。


 レオンは席に着きながら、今日こそは平和な授業になるかもしれないと思った。


 魔法ならば姉も本職だ。アルカディア魔法名家の一人娘として、基礎は完璧に叩き込まれているはずだ。剣術のような想定外は起きない。


 そう思っていた。


---


「本日は魔力操作の基礎確認を行う」


 ファウルは黒板に魔法陣を書きながら言った。


「各自、魔力を手のひらに集中させ、光球を生成すること。初歩中の初歩だが、その精度で基礎力がわかる」


 生徒たちが頷いた。


 レオンは手のひらに魔力を集めた。青白い光球が生まれた。安定した、標準的な光球だった。


 隣でエルフィーナが同じことをした。


 レオンは横目で確認して、視線を戻しかけて、止まった。


 もう一度見た。


 エルフィーナの手のひらの上に、光球があった。直径は指定通りだった。しかし色が違った。白でも青でも赤でもなく、七色が混ざり合いながら回転していた。


「……姉上」


「何だ」


「その光球、普通じゃないです」


「そうか?」


 エルフィーナは光球を見た。特に気にしていない顔だった。


---


 ファウルが巡回してきた。


 一人ずつ確認しながら短評を告げていた。レオンの前で「安定している、合格」と言った。


 エルフィーナの前で止まった。


 しばらく動かなかった。


「……アルカディア令嬢」


「はい」


「その光球は、自然にそうなっているのか」


「はい」


「意図して七属性を混合しているわけではなく」


「特に意識はしていませんが、これで駄目でしたか」


 ファウルは眼鏡を外した。レンズを拭いた。もう一度かけた。光球を見た。


「……七属性全適性か」


「そう言われています」


「魔力総量は」


「計ったことがないのでわかりません」


「計ったことが……」


 ファウルは何かを言いかけて、やめた。深呼吸をした。


「放出してみなさい。加減なしで」


「加減なし、ですか。周囲への影響は」


「私が責任を持つ。やってみなさい」


---


 エルフィーナは少し考えた。


「では、外に向けて」


 窓を開けた。中庭の方角に手を向けた。


 光球が動いた。


 レオンは目を閉じた。


 轟音がした。


 中庭の石畳に直径三メートルの穴が開いていた。爆発ではなく、魔力の純粋な圧力によって砕かれていた。


 教室が静まり返った。


 ファウルは窓から中庭を見た。穴を見た。それからエルフィーナを見た。


「……これが加減なしか」


「いいえ、十分の一程度です」


 ファウルの眼鏡が滑り落ちた。


 拾うのを忘れていた。


---


 その後の授業は成立しなかった。


 ファウルがエルフィーナの魔力を計測することに夢中になり、生徒たちはその様子を呆然と見ていた。計測器が三台壊れた。四台目は辛うじて数値を出したが、ファウルはその数値を見て椅子に座り込んだ。


「……先生、大丈夫ですか」


 レオンが声をかけた。


「大丈夫です。少し、驚いているだけです」


「数値はどのくらいでしたか」


「現在の王国魔法師最高位の、およそ四倍です」


 教室がざわめいた。


「姉上」


「何だ」


「今の聞こえましたか」


「ああ」


「どう思いますか」


「父上には及ばないな」


 レオンは窓の外を見た。中庭の穴がまだそこにあった。


---


 昼休み、食堂でレオンがスープを飲んでいると、向かいに誰かが座った。


 見知らぬ顔だった。


 赤茶色の短髪、緑の瞳、そばかすが少し残る快活そうな顔。制服の着こなしが少し雑だった。平民枠の生徒だろうとレオンは見当をつけた。


「アルカディアの人ですよね」


「はい」


「さっきの魔法授業、すごかったですね。あの令嬢、本当に規格外だ」


「……姉です」


「え、あの人が?」


 少年は目を丸くした。


「俺、カイ・ヴェルナーといいます。平民枠で入学しました」


「レオン・フォン・アルカディアです」


「貴族なのに気さくですね」


「そう言われます」


 カイは食堂の入口を見た。エルフィーナとミレーユが並んで入ってくるところだった。周囲の視線が集まった。いつも通りだった。


「あの令嬢、なんか……」


「なんか?」


「普通じゃないですよね、いい意味で。さっきの魔法もそうだけど、なんか、目が違う」


 レオンはカイを見た。


「どういう意味ですか」


「強い人の目、っていうか。うちの親父が元傭兵で、そういう目をしてるんです。戦いを愛してる人の目」


 レオンは少し考えた。


「……正確な観察ですね」


「俺、ああいう人に憧れるんですよね」


 カイはエルフィーナが席に着くのを見ながら言った。その目が純粋な憧憬だった。


 レオンは内心で深く息を吐いた。


 また一人、沼に落ちる予感がした。


---


 エルフィーナはカイに気づいた。


 視線が合った。エルフィーナは迷わず立ち上がり、カイのテーブルに来た。


「さっきの魔法授業で前に座っていたな」


「は、はい」


「魔力の流し方が特徴的だった。誰かに習ったか」


「親父に少し。でも我流がほとんどで」


「我流か。筋がいい」


 カイの顔が赤くなった。


「あ、ありがとうございます」


「後で魔力操作を見せろ。教えられることがあるかもしれない」


「えっ、いいんですか」


「強くなりたいか」


「なりたいです」


「では来い」


 エルフィーナは自分の席に戻った。


 カイはしばらく固まっていた。


 それからレオンを見た。


「今、俺、令嬢に稽古をつけてもらえることになりましたか」


「なりましたね」


「……すごい人だ」


「ええ」


 レオンはスープを飲んだ。


 カイはもうエルフィーナしか見ていなかった。


 ――また増えた。


 レオンは静かに思った。


---


 午後の授業が終わった夕方、剣術場の脇の廊下でシグルトと鉢合わせした。


 シグルトは一人だった。護衛を離していた。


「レオン」


「殿下」


「今日の魔法授業の話を聞いた」


「早いですね」


「計測器が三台壊れたとなれば情報が来る」


 シグルトは剣術場の方を見た。中でエルフィーナがカイに魔力操作を教えている声が聞こえた。


「エルフィーナは、今も稽古をしているのか」


「新しい生徒に教えているようです」


「……出会ってすぐに」


「姉上はそういう人ですから」


 シグルトは少し黙った。


「レオン、一つ聞いていいか」


「はい」


「エルフィーナに贈り物をしたい。何が喜ばれる」


 レオンは即答した。


「新しい木刀か、稽古着か、あるいは強い稽古相手の紹介です」


 シグルトは目を細めた。


「……本当にそれだけか」


「花や宝飾品は『なぜこれを』となります。食べ物は喜ばれますが、稽古に影響しないものを選ぶ必要があります」


「稽古に影響しない食べ物」


「消化がよくて栄養があるものです」


 シグルトはしばらく考えた。その顔が少し遠くなった。


「……なるほど、難しい相手だ」


「はい」


「だが面白い」


 レオンは剣術場の扉を見た。中からカイの「すごい、魔力がこんなに変わるんですか」という声と、エルフィーナの「基礎は大事だ」という声が聞こえた。


「殿下」


「何だ」


「姉上に好意を伝えても、友好的な態度として処理される可能性が高いです」


「知っている」


「それでも」


「それでも、だ」


 シグルトは静かに歩き出した。その背中を見ながら、レオンは思った。


 この人の覚悟は本物だ。そしてその覚悟に対して、姉は今日も「基礎は大事だ」と言いながら稽古をしている。


---


 夜、食堂でエルフィーナと向かいに座った。


「姉上」


「何だ」


「今日、カイという生徒に稽古をつけていましたね」


「筋がいい。伸びる」


「殿下が贈り物を考えているようですよ」


「そうか」


「嬉しくないですか」


 エルフィーナはしばらく考えた。


「何を贈るつもりだ」


「わかりません」


「木刀なら嬉しい」


「……そういう話ではないんですが」


「では何だ」


 レオンはパンを千切った。


 隣のテーブルでミレーユがエルフィーナのその顔を見て、静かに両手で顔を覆っていた。声は出していなかった。口の動きで読めた。


 ――だめだ。


 レオンは静かに夕食を続けた。


 明日も何かが起きる。それだけは確実だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ