第3話「剣術授業、あるいは教官の敗北」
王立アルカディア魔法学院の剣術授業は、週に三度あった。
初回は実力測定を兼ねた基礎確認だとレオンは時間割で確認していた。問題ないはずだった。基礎確認なら、姉もさすがに加減をするだろうと思っていた。
思っていた。
「姉上、今日の剣術は基礎確認ですよ」
「わかっている」
「加減してください」
「基礎に加減は必要ない」
「……」
レオンは朝から嫌な予感がしていた。
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剣術場には百五十名の新入生が集まっていた。
担当教官はグラハム・バルト。元王国騎士団の副団長で、現在は学院に籍を置く実力者だ。白髪交じりの短髪、鋭い目つき、六十がらみとは思えない体躯。一目見てわかる、本物の手練れだった。
レオンはその背中を見て、少し安堵した。
これだけの実力者なら、姉も本気は出さないだろう。さすがに。
「諸君、歓迎する」
グラハムの声は低く、よく通った。
「この授業では実戦で使える剣術を教える。貴族の飾りではなく、命のやり取りに使える技術だ。初回は各自の実力を見る。順番に前に出ろ」
生徒たちが緊張した顔で頷いた。
レオンは姉を見た。
エルフィーナは剣術場の壁を眺めていた。おそらく構造を把握していた。
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実力測定は順番に行われた。
さすがに貴族の子弟だけあって、水準は高かった。中には本格的な剣術を修めた者もいた。グラハムは各生徒に短評を告げ、次々と測定を進めた。
ミレーユの番になった。
「ロシャール家か。構えを見せろ」
ミレーユは木刀を構えた。エルフィーナに四年間稽古をつけてもらった構えだった。グラハムが目を細めた。
「……悪くない。誰に習った」
「エルフィーナ様です」
グラハムは何も言わなかった。ただ短く「次」と言った。
そしてエルフィーナの番が来た。
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「アルカディア家の令嬢か」
「はい」
「魔法の名家だが、剣も?」
「多少」
グラハムはエルフィーナの構えを見た。
その瞬間、表情が変わった。ほんの僅かだったが、レオンには見えた。驚き、ではなかった。品定めをする目だった。本物を見る時の目だった。
「……俺を相手にしろ」
周囲がざわめいた。教官が直接相手をするのは異例だった。
「基礎確認でよろしいのですか」
「構わん。来い」
エルフィーナは一度だけ頷いた。
レオンは目を閉じた。
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始まった。
グラハムが踏み込んだ。速かった。元副団長の踏み込みは、並の騎士では対応できない速度だった。周囲の生徒たちが息を呑んだ。
エルフィーナは動じなかった。
次の瞬間、グラハムの木刀が宙を舞っていた。
何が起きたかレオンには見えなかった。エルフィーナが動いた、という事実だけがあった。体術だった。グラハムの踏み込みの力を利用して、流して、崩した。気づいた時にはグラハムは床に膝をついており、エルフィーナの手が首筋の寸前で止まっていた。
静止。
沈黙。
誰も声を出さなかった。
グラハムが、膝をついていた。
時間にして、五合もなかった。
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「……参った」
グラハムの声は静かだった。乱れていなかった。負けを認める声としては、あまりにも落ち着いていた。
エルフィーナは手を引いて、一歩下がった。
「よい手合わせでした」
「こちらこそ」
グラハムが立ち上がった。膝の埃を払った。それから、エルフィーナを見た。
「最後、体術に切り替えたな」
「剣が折れた場合の想定です。体術は基本です」
「……なるほど」
グラハムは採点表に何かを書いた。しばらく考えて、また書いた。
「誰に習った」
「前世の記憶です」
グラハムは一瞬固まった。
「……そうか」
それ以上聞かなかった。聞いても答えが出ない気がしたのだろうとレオンは思った。
グラハムは咳払いをして、生徒たちに向き直った。
「……以上で実力測定を終わる。来週から本格的な授業を始める。全員、今日見たものを目標にしろ」
誰かが「無理です」と呟いた。
それは正しかった。
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授業が終わった後、レオンはエルフィーナの隣を歩きながら言った。
「姉上、基礎確認でグラハム教官を一本で仕留めましたね」
「基礎を確認した結果だ」
「……そうですね」
「グラハム教官は強い。よい稽古相手だ」
「倒した相手のことを稽古相手と言うんですか」
「倒せる相手の中で強い方が、より良い稽古になる」
レオンは何も言わなかった。
廊下の先でシグルトが立っていた。護衛を連れていたが、その顔は公の顔ではなかった。好奇心を抑えきれていない顔だった。
「エルフィーナ」
「殿下。授業のご見学でしたか」
「ちょうど通りかかった」
嘘だとレオンは思った。明らかに待っていた。
「グラハム教官を一本で仕留めたと聞いた」
「加減が難しかったです。止める位置を間違えると怪我をさせてしまうので」
「……止める方に気を使っていたのか」
「当然ではないですか」
シグルトはしばらくエルフィーナを見た。
「手合わせの約束、まだ有効か」
「もちろんです。いつでも」
「では明後日の夕刻、剣術場を借りる」
「楽しみにしています」
エルフィーナは礼をして歩き出した。
シグルトはその背中を見ていた。その目に何が浮かんでいたかを、レオンは正確に読んだ。
――完全に本気だ、あの人。
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その夜、寮の廊下でレオンはミレーユと鉢合わせした。
「レオン様」
「ミレーユ様」
二人は示し合わせたわけでもなく、同じ方向を向いた。食堂の方角。エルフィーナが夕食を食べている方向。
「今日の剣術授業……」
「ええ」
「エルフィーナ様、五合もなかったですね」
「ええ」
「グラハム教官が参ったと言った後、嬉しそうでしたね」
「よい稽古相手が見つかって嬉しいんだと思います」
「……そういう人なんですよね、エルフィーナ様は」
「ええ」
ミレーユは小さく笑った。諦めたような、しかし幸せそうな笑いだった。
「それでも好きなんですよね、私」
「……ミレーユ様」
「わかってます。わかってて、だめですね」
レオンは何も言えなかった。
ミレーユは背筋を伸ばした。
「明日の魔法の授業、エルフィーナ様の隣に座っていいですか」
「姉上は止めても座らせると思いますよ」
「それは知ってます。聞いたのはレオン様にです」
「……どうぞ」
ミレーユは笑って、自室の方へ歩いていった。
レオンは廊下に一人残った。
食堂の方から、エルフィーナの声が聞こえた。給仕の学生に「明日の魔法授業は何時からか」と聞いていた。
レオンは天井を見た。
グラハムは一本で沈んだ。シグルトが手合わせを申し込んだ。ミレーユは諦めていない。明日は魔法の授業がある。
そして姉は何も気づいていない。
――仕方ない。
レオンは自室へ向かった。
明後日の手合わせが、どういう結果になるかは予想できた。
問題はその後、シグルトが何をしてくるかだった。




