第20話「失踪事件、あるいは令嬢は捜索が得意だった」
事件が発覚したのは、二学期が始まって一ヶ月目の朝だった。
朝のホームルームで、担任教官が言った。
「昨夜から、三年生のマルティン・ホルツが行方不明になっている。心当たりがある者は教官に申し出るように」
教室がざわめいた。
レオンは隣のエルフィーナを見た。
エルフィーナは少し考えている顔だった。
「姉上」
「昨夜、学院の北棟の裏で物音がした」
「聞こえたんですか」
「稽古の帰りに通りかかった。人の声だった。ただ、急いでいたので確認しなかった」
「それは重要な情報では」
「そうか。では教官に伝える」
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エルフィーナが担任教官に情報を伝えると、すぐに学院内が動き始めた。
しかし捜索が始まって二時間経っても、マルティンは見つからなかった。
学院の構造は複雑だった。旧館と新館が複数の渡り廊下で繋がっており、地下には魔法実験室が並んでいた。さらに敷地の外縁部には古い貯蔵庫や物置が点在していた。
レオンは教官たちの捜索を遠巻きに見ながら、ミレーユに言った。
「マルティン・ホルツという人、知っていますか」
「三年生の、少し内気な方です。魔法の才能はあるけれど、人付き合いが苦手で」
「一人でいることが多い人ですか」
「そうです。最近、何か悩んでいるようだと噂で聞いていました」
レオンは少し考えた。
「自ら姿を消した可能性もありますか」
「……あるかもしれません」
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昼になっても見つからなかった。
教官たちの顔に焦りが出始めた。
エルフィーナが動き出した。
「レオン、北棟の裏に案内しろ」
「姉上が捜索するんですか」
「昨夜の物音が気になる。確認する」
「教官たちが捜索しています」
「見落としがある可能性がある」
「何故そう思うんですか」
「教官たちは通路と部屋を中心に捜している。しかし昨夜の物音は壁の方向からした」
「壁、というのは」
「旧館と新館の間の壁だ。空間がある可能性がある」
レオンは少し考えた。
「……建物の構造を把握していたんですか」
「入学初日に確認した」
「剣術場と稽古場だけではなかったんですね」
「全体を把握するのは基本だ」
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北棟の裏に向かった。
エルフィーナ、レオン、ミレーユの三人だった。
北棟の裏は薄暗かった。旧館の石壁が続いていた。
エルフィーナは壁に沿って歩いた。
手で壁を触りながら、少しずつ進んだ。
「姉上、何を確認しているんですか」
「空洞音がするところを探している」
エルフィーナが壁を叩いた。音が違った。
「ここだ」
レオンとミレーユが近づいた。確かに音が違った。内側が空洞になっていた。
「扉があるはずだ」エルフィーナが言った。「古い建物には隠し通路が多い」
「隠し通路の存在を知っていたんですか」
「知らなかった。しかし可能性として考えていた」
壁を丁寧に調べた。
三分後、ミレーユが言った。
「ここ、少し出っ張っています」
押した。
石壁の一部が動いた。
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通路の向こうは暗かった。
エルフィーナが魔法で光を作った。
狭い通路が続いていた。空気が古かった。
十メートルほど進んだところで、人影があった。
壁に背中をつけて座っていた。十七歳くらいの男子生徒だった。膝を抱えて、顔を伏せていた。
「マルティン・ホルツか」
男子生徒が顔を上げた。
驚いた顔だった。
「……なぜ、ここが」
「物音が聞こえた。壁が空洞だった。来た」
「誰も来ないと思っていた」
「なぜ隠れているんですか」
マルティンは少し黙った。
「……消えたかった」
「なぜ」
「魔法の実技試験で失敗した。また失敗した。何度やっても同じだ。もう消えてしまいたかった」
エルフィーナはマルティンを見た。
しばらく黙っていた。
「消えたいというのは、死にたいということか」
マルティンは少し止まった。
「……ここで一人でいたかっただけです」
「そうか」
「誰かに見つかるとは思っていなかった」
「見つかった」
「……はい」
エルフィーナはマルティンの前にしゃがんだ。
「魔法の実技で何度も失敗したと言った」
「はい」
「どんな失敗をした」
「制御が乱れます。いつも同じところで乱れる。修正しようとしても、できない」
「どこが乱れるか、見せてもらえるか」
マルティンは目を丸くした。
「……今ですか」
「今でなくていい。しかし見てみたい」
「なぜ、あなたが」
「修正できる可能性があるから」
マルティンはしばらくエルフィーナを見た。
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レオンは通路の入口から二人を見ていた。
ミレーユが隣に来た。
「エルフィーナ様、すごいですね」
「ええ」
「捜索も、声のかけ方も」
「捜索は……まあ、姉上らしい方法でしたが」
「声のかけ方は」
「普通の慰め方ではないですが」ミレーユは少し笑った。「エルフィーナ様らしい慰め方です」
「慰めているつもりはないと思います」
「それがいいんだと思います」
レオンはエルフィーナを見た。
エルフィーナはマルティンに何かを話していた。マルティンが少しずつ顔を上げていた。
「……姉上は、強さを見ます。失敗した回数ではなく、改善できる可能性を見る」
「それが、エルフィーナ様のやり方ですね」
「ええ」
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マルティンが通路から出てきた。
エルフィーナが隣に立っていた。
「教官に連絡する」レオンが言った。
「頼む」
マルティンは外の光に目を細めた。
「……長くいたので、眩しい」
「当然だ」エルフィーナが言った。「腹は減っていないか」
「……減っています」
「では食堂に行け。その後、魔法の問題を一緒に確認する」
「本当に、見てくれるんですか」
「言った言葉は守る」
マルティンはしばらくエルフィーナを見た。
「……なぜ、こんなことをしてくれるんですか。俺は三年生で、あなたは一年生で」
「強くなりたい人間に稽古をつけるのは当然だ。学年は関係ない」
「俺は強くなりたいとは言っていません」
「魔法の制御を改善したいと思っているか」
「……思っています」
「それで十分だ」
マルティンは俯いた。
それから、小さく言った。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない。飯を食え」
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夕方、レオンはミレーユと談話室にいた。
「今日は色々ありましたね」ミレーユが言った。
「ええ。建物の構造を入学初日に把握していた姉上に、改めて驚きました」
「剣術場と稽古場だけじゃなかったんですね」
「全体を把握するのは基本だそうです」
「エルフィーナ様らしい」
ミレーユはお茶を飲んだ。
「マルティン様、明日から変わるかもしれませんね」
「エルフィーナ様が魔法の問題を一緒に確認すると言っていましたから」
「また増えますね、弟子が」
「本人は弟子とも思っていないでしょうが」
「それでも、エルフィーナ様に関わると変わります」ミレーユは窓の外を見た。「私がそうでしたから」
「ミレーユ様は六歳の時からですね」
「はい。あの時から、ずっと変わり続けています」
「いい方向に」
「そうだといいですけど」
「間違いなく」
ミレーユはレオンを見た。
「レオン様」
「はい」
「エルフィーナ様、最近また少し違いませんか」
「違う、というのは」
「稽古の間に考え込む顔が増えました。殿下に好意を伝えられてから」
「……気づいていますか」
「エルフィーナ様のことは、よく見ています」
レオンは窓の外を見た。
中庭からエルフィーナの素振りの音が聞こえた。
しかし今夜も、間が長かった。
「……変わっていると思います。ゆっくりと、しかし確実に」
「それが、いいことであればいいですね」
「いいことだと思います」
「誰にとって、ですか」
「……全員にとって」
ミレーユは静かに笑った。
素振りの音が続いていた。




