第19話「道場完成、あるいは収拾がつかなくなった」
道場完成の知らせが届いたのは、二学期が始まって三週間目の朝だった。
ゴドフリーからの手紙だった。
エルフィーナが声に出して読んだ。朝食の席で。
「『エルフィーナお嬢様。道場が完成いたしました。当初の設計より床面積が二割広くなりました。老師のご意見を取り入れた結果でございます。初日の稽古に備え、道場生の募集を開始しております。現在、門番のカルロス、ヴィクター、護衛のマルクス以下三名、騎士団よりハインツ副長以下八名、屋敷の使用人より七名が登録済みです。拾われた子たちは全員参加を希望しております。なお、侯爵領の外より参加希望者が三名おります。対応をどうすべきかご指示をお願いします。敬具 ゴドフリー・ハルト』」
食堂が静かになった。
「……侯爵領の外から、ですか」レオンが言った。
「ああ」
「どこから来るんですか」
「書いていない。ゴドフリーに聞く」
「姉上、道場生の募集を開始したのはいつですか」
「ゴドフリーに任せた」
「いつ任せたんですか」
「設計を頼んだ時に」
レオンは手紙を見た。
「……道場が完成する前から募集していたんですか」
「需要があれば供給するのは当然だ」
レオンは天井を見た。
ミレーユが小声で言った。
「道場生が増えましたね」
「増えました」
「エルフィーナ様は嬉しそうですね」
「稽古相手が増えると思っています」
「……いつものことですね」
「いつものことです」
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その日の午後、エルフィーナが学院内で道場の話をすると、あっという間に広まった。
翌朝、掲示板の前に人だかりができていた。
エルフィーナが張り紙を出していた。
「アルカディア武練道場 道場生募集。身分問わず。強くなりたい者は来い。場所:アルカディア侯爵邸北端。指導:エルフィーナ・フォン・アルカディア、ゴドフリー・ハルト」
レオンはその張り紙を見た。
「姉上、いつこれを」
「昨夜書いた」
「相談なしに」
「相談する必要があるか」
「あります」
「なぜ」
「人数が増えると管理が大変になります」
「ゴドフリーが管理する」
「ゴドフリーは覚書を書いています」
「両立できる」
レオンは深く息を吐いた。
掲示板の前でアロイスが張り紙を見ていた。
「アロイス様、どう思いますか」
「予想通りだ」
「予想していたんですか」
「夏休みにアルカディア家にいて、この令嬢のやり方を見ていれば、これくらいのことは予想できる」
「……アロイス様、相当変わりましたね」
「修正した」
「そうでした、修正でした」
アロイスは張り紙を見たまま言った。
「俺も道場生として登録する」
「学院にいる間は通えませんが」
「休みの間は通う。学院にいる間は、ここでの稽古で代わりにする」
「ここというのは学院内ですか」
「エルフィーナの令嬢に稽古をつけてもらえる場所がある限り、どこでも同じだ」
レオンはアロイスを見た。
夏休み前のアロイスが聞いたら信じないだろう言葉だった。
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エルヴィンが張り紙を見ていた。
一人で、少し離れたところから見ていた。
レオンが近づいた。
「エルヴィン殿下」
「……アルカディアの弟か」
「はい。張り紙、見ていましたか」
「ああ」
「道場生として登録しますか」
エルヴィンは少し間を置いた。
「俺が登録していいのか」
「身分問わずと書いてあります」
「しかし俺は兄上の弟だ。あの令嬢の婚約者の弟が道場生になるのは」
「エルフィーナ様は気にしないと思います」
「気にしないのか」
「強くなりたいかどうかだけを見ます」
エルヴィンはしばらく張り紙を見ていた。
「……強くなりたい」
「では登録してみてはいかがですか」
「兄上は何と言う」
「おそらく何も言いません。むしろ喜ぶと思います」
「なぜ兄上が喜ぶんだ」
「殿下はエルヴィン様のことを心配しています。道場に通えば、二人の間に共通の話題ができます」
エルヴィンは黙っていた。
「……考える」
「はい」
レオンは一歩引いた。
エルヴィンはもう一度張り紙を見た。
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週末、道場の完成式が行われた。
学院は休みだったため、エルフィーナ、レオン、ミレーユ、カイ、アロイスがアルカディア家に向かった。
エルヴィンも来た。
シグルトも来た。
レオンはその顔ぶれを見て、馬車の手配が増えたことを静かに確認した。
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道場は侯爵邸の北端に建っていた。
木造の建物で、想像より大きかった。床は磨かれた板張り、壁には武具が整然と並んでいた。天窓から光が差し込んでいた。老師の意見が随所に反映されていた。
エルフィーナは道場に入った瞬間、足を止めた。
床を踏んだ。重心を確認した。天井の高さを見た。
「……いい」
それだけ言った。
ゴドフリーが隣に立った。手帳を持っていた。
「お嬢様、ご満足いただけましたか」
「ああ。老師への感謝を文で伝えろ」
「既に送りました」
「よし」
ゴドフリーは道場の外を見た。
「本日の道場生は二十三名です」
「増えたな」
「侯爵領外からの三名は隣国の旅人でした。エルフィーナお嬢様の噂を聞いて来たそうです」
レオンは固まった。
「……隣国から、ですか」
「はい」
「噂がそこまで届いているんですか」
「大会で国王陛下の前で王太子殿下と引き分けたのですから、届くかと」
レオンは空を見た。
エルフィーナは道場の中央に立って、素振りを一度した。音が響いた。
「いい響きだ」
「ありがとうございます。床材にこだわりました」
「ゴドフリー、よくやった」
「恐縮です」
ゴドフリーは手帳に何かを書いた。手が震えていた。感動で。
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完成式の後、稽古が始まった。
二十三名が整列した。
エルフィーナが全員を見渡した。
「始めるぞ」
その一言で、二十三人の背筋が伸びた。
レオンは道場の端に座った。
カイが隣に来た。
「すごい人数ですね」
「ええ」
「エルフィーナさん、嬉しそうですね」
「稽古相手が二十三人に増えたと思っています」
「それはそうですよね」
アロイスが反対側から来た。
「アルカディアの弟」
「レオンです」
「この人数、管理できるのか」
「ゴドフリーが覚書に記録しながら管理します」
「覚書に記録しながら管理する、というのが両立できるものなのか」
「ゴドフリーには両立できます」
アロイスはゴドフリーを見た。ゴドフリーは稽古を見ながら手帳に書き込んでいた。
「……本当に両立している」
「ゴドフリーはそういう人です」
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エルヴィンは整列の端に立っていた。
周囲は騎士団員、使用人、旅人、平民出身の者、様々だった。身分が混在していた。
一学期のエルヴィンなら、この状況に居心地の悪さを感じただろうとレオンは思った。
しかし今日のエルヴィンは、ただ前を見ていた。
エルフィーナが全員を見渡す中で、エルヴィンのところで少し止まった。
「エルヴィン殿下、来たか」
「……来た」
「よし」
それだけだった。
特別扱いでも、軽んじるでもなかった。ただ来たことを確認した。
エルヴィンの顔が、少し変わった。
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稽古の途中、シグルトがレオンの隣に来た。
「エルヴィンが来た」
「はい」
「お前が誘ったのか」
「背中を押しただけです」
「……ありがとう」
シグルトはエルヴィンを見た。
エルヴィンは真剣な顔で型をやっていた。隣の騎士団員のハインツが何かアドバイスをしていた。エルヴィンはそれを素直に聞いていた。
「エルヴィンが騎士団員の話を素直に聞いている」
「新鮮ですか」
「王宮では考えられない光景だ。身分が上の者の話しか聞かなかった」
「エルフィーナ様の道場では、強い者の話を聞くのが当然です」
「ああ」シグルトは静かに言った。「エルフィーナの作る場所は、そういう場所だ」
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稽古が終わると、全員が整列して礼をした。
エルフィーナは全員を見渡した。
「今日は全員よく動けた。特に旅人の三名、遠くから来た甲斐があった動きだった」
旅人の三名が顔を見合わせた。照れたような、嬉しそうな顔だった。
「ゴドフリー、全員の名前と現状の実力を覚書に」
「既に記録しております」
「よし。来週からの稽古計画を立てる。各自の課題を明日までに伝える」
「全員にですか」レオンが思わず言った。
「二十三人だ。問題ないか」
「……時間的に」
「夜に書く」
「睡眠は」
「六刻は取る」
レオンは黙った。
六刻取りながら二十三人分の稽古計画を書く、ということだった。
エルフィーナにはそれができるのだろうと思いながら、それを当然のことと思っている姉を、レオンは少し遠くから見た。
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その夜、道場の隅でエルヴィンとシグルトが並んで座っていた。
レオンは遠くから見ていた。
二人の会話は聞こえなかった。しかし二人の顔が、普段とは違っていた。王族としての仮面ではなく、ただの兄弟の顔だった。
ミレーユが隣に来た。
「殿下とエルヴィン殿下、珍しいですね」
「ええ」
「道場ができたから、ですかね」
「この場所が作ったのだと思います」
「エルフィーナ様が作った場所ですね」
「そうです」
ミレーユは道場を見渡した。
ゴドフリーが手帳に書いていた。カイがアロイスと何かを話していた。旅人の三名が騎士団員と稽古の話をしていた。ソフィアとルカが隅で型を練習していた。
「こんな場所、どこにもないですね」
「ええ」
「身分も出身も関係なく、ただ強くなりたい人間が集まる場所」
「姉上はそれを作るつもりではなかったと思います」
「だからいいんだと思います」ミレーユは静かに言った。「意図していないから、本物なんです」
レオンは道場の中央を見た。
エルフィーナは一人で、稽古計画の書き物をしていた。二十三人分を、一人ずつ丁寧に。
夜が更けていた。
道場の灯りが、静かに揺れていた。




