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侯爵令嬢は恋を知らぬまま最強である 〜最強なのに、恋だけがわからない〜  作者: N


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第17話「告白未遂、あるいは王太子の作戦は失敗した」

 二学期が始まって一週間が経った。


 シグルトが動いたのは、その週の終わりだった。


 レオンは事前に知らされていた。前日の夜、シグルトが廊下でレオンを呼び止めて言った。


「明日、エルフィーナに話がある」


「どんな話ですか」


「俺の気持ちを、もう少し明確に伝えようと思っている」


 レオンは少し間を置いた。


「……具体的にはどう伝えるつもりですか」


「まだ決めていない」


「決めていないんですか」


「言葉を決めすぎると、エルフィーナには通じない気がする」


「それは正しい判断だと思います」


「だからその場で考える」


「……それは大丈夫ですか」


「わからない」


 シグルトは静かに言った。


「しかし、今学期は前に出ると決めた」


---


 翌日の昼休み、シグルトがエルフィーナを中庭に呼んだ。


 レオンは遠くから見ていた。ミレーユが隣にいた。カイも来た。


「見ていていいんですか」ミレーユが言った。


「事前に知らせてもらったので」レオンが言った。


「殿下から?」


「はい。何かあった時のために待機しておけと」


「何かあった時というのは」


「エルフィーナ様が意図を完全に読み違えた時です」


 カイが言った。


「エルフィーナさん、今日の殿下の目が違うことには気づいていますかね」


「気づいていないと思います」


「そうですよね」


 中庭では、シグルトとエルフィーナが向かい合っていた。


---


「エルフィーナ」


「はい、殿下」


「少し話がある」


「稽古の話ですか」


「違う」


「授業の話ですか」


「違う」


「では何ですか」


 シグルトは少し間を置いた。


「俺はお前のことが好きだ」


 エルフィーナは少し考えた。


「ありがとうございます。殿下のことも、信頼できる人だと思っています」


「……そういう意味ではない」


「では、どういう意味ですか」


 シグルトはしばらく黙った。


「もっと傍にいたいと思っている」


「殿下はよく稽古に来てくださいます。十分傍にいると思いますが」


「稽古の時だけではなく」


「では食事の時もですか」


「……それも含めて、だ」


 エルフィーナは真剣な顔で考えた。


「殿下は私のことを、稽古相手以上のものとして考えているということですか」


「そうだ」


「婚約者として、ということでしょうか」


「それも含めて、しかしそれ以上だ」


「それ以上、というのは」


 シグルトは少し笑った。困ったような笑いだった。


「……俺はお前のことが好きだと言った。その言葉の意味を、どう解釈しているか教えてくれないか」


 エルフィーナはしばらく考えた。


「好ましいと思っている、という意味ではないのですか」


「そうではない」


「では」


「恋愛的な意味で好きだ」


 エルフィーナは黙った。


 長い沈黙だった。


---


 遠くから見ていたレオンはその沈黙の長さに、胃が痛くなった。


「沈黙が長いですね」カイが言った。


「処理しているんだと思います」ミレーユが言った。


「処理というのは」


「エルフィーナ様の中に恋愛というカテゴリーが存在しないので、殿下の言葉をどこに分類すればいいか、考えているんだと思います」


「……難しい相手ですね、エルフィーナさんは」


「知っています」レオンが言った。


---


 エルフィーナが口を開いた。


「殿下」


「何だ」


「恋愛的な好意、というのは、具体的にどういう状態を指しますか」


 シグルトは一瞬固まった。


「……定義を求めているのか」


「理解したいのです」


「理解しようとしてくれているのか」


「はい。殿下の言葉は重要だと思っています。正確に理解したい」


 シグルトはしばらく考えた。


「……お前のことを考える時間が長い。傍にいると落ち着く。離れると会いたいと思う。そういう状態だ」


 エルフィーナはその言葉を聞いて、真剣な顔で考えた。


「それは」


「それは?」


「稽古仲間への感情とは違うのですか」


 シグルトは少し間を置いた。


「……違う」


「どう違うのですか」


「グラハム教官やバルディ教官のことを、食事の時も考えるか」


「考えません」


「俺のことは考えるか」


 エルフィーナはしばらく黙った。


「……考えることは、あります」


「何を考える」


「次の稽古でどこを改善すべきか、殿下の踏み込みの癖はどこから来るのか、そういうことを」


「それだけか」


「……それだけ、ではないかもしれません」


 シグルトは静かに聞いた。


「他には」


「殿下が一人で抱えすぎていないか、と考えることがあります」


「それは」


「国王陛下に申し上げたことです。一人で抱えすぎていたら稽古に誘うと」


「覚えている」


「最近、殿下の顔が少し疲れているように見えることがあります。その時、稽古に誘うべきかどうかを考えます」


 シグルトはしばらく黙っていた。


「……それは、俺のことを心配しているということか」


「そうだと思います」


「それが、俺への気持ちだと思わないか」


 エルフィーナはまた長く考えた。


「……わかりません」


 正直な言葉だった。


「わからないのか」


「はい。殿下への感情が何なのか、正確に分類できません。稽古相手への感情とも、義弟への感情とも、違う気がします。しかし恋愛というものが何かを、私は正確に知らない」


 シグルトは静かに言った。


「それでいい」


「いいんですか」


「今すぐわかる必要はない。ただ、俺の気持ちだけは伝えておきたかった」


「……はい」


「考えておいてくれ。急がない」


「わかりました」


 エルフィーナは頷いた。


 シグルトはその顔を見た。


 困ったような、しかしどこか柔らかい顔だった。


---


 遠くからレオンはその会話の最後だけを見ていた。


「どうなりましたか」カイが言った。


「よくわかりませんが、終わったようです」


「エルフィーナさんの顔、いつもと少し違いますね」


 レオンはエルフィーナを見た。


 確かに違った。いつもの「稽古のことを考えている顔」でも「強い相手を探している顔」でもなかった。何か別のことを考えている顔だった。


「ミレーユ様、あの顔は」


「初めて見ました」ミレーユが静かに言った。


「初めて?」


「エルフィーナ様があういう顔をするのを、私は見たことがありませんでした」


「どういう顔ですか」


「……自分の中に答えがなくて、困っている顔です」


 三人は静かにその顔を見ていた。


 エルフィーナはシグルトと並んで中庭を歩き始めていた。何かを話していた。おそらく次の稽古の話だった。


 しかしその顔は、まだ少し違っていた。


---


 夕方、カイがレオンに言った。


「レオン様、今日の複合戦術論の授業、見ていましたか」


「いましたが」


「アロイス様、変わりましたね」


 レオンはその授業のことを思い出した。


 複合戦術論の授業で、グループ演習があった。貴族と平民が混合でグループを組む形式だった。一学期だったら、アロイスは平民と組むことを嫌がっただろう。


 しかし今日のアロイスは、カイと自然に組んでいた。


 それだけでなく、カイの魔力操作の精度を見て「お前の魔力制御は俺より安定している」と言っていた。


「アロイス様が平民の生徒に率直に評価を言うのは、夏休み前はなかったですね」レオンが言った。


「俺もびっくりしました。でも嬉しかったです」


「アロイス様なりの、誠実さの表れだと思います」


「そうですね」


 カイは少し間を置いた。


「レオン様、今日の殿下とエルフィーナさんの話、結局どうなったんですか」


「エルフィーナ様が考えておくと言いました」


「考えておく、ですか」


「はい」


「それって、進展したんですかね」


 レオンは少し考えた。


「……エルフィーナ様が『わかりません』と言ったのは、初めてだと思います。いつもは分析して結論を出します。今日は出せなかった」


「それが進展ですか」


「姉上にとっては、大きな変化だと思います」


 カイは頷いた。


「じゃあ俺も頑張らないといけないですね」


「カイさんも諦めていないんですか」


「諦めるつもりはないです」


「殿下が相手ですよ」


「わかっています。でも」


 カイは中庭の方を見た。


「エルフィーナさんは身分で人を見ない。強さで見る。なら俺にも可能性はある」


「それはそうですが」


「それに」カイは笑った。「今日の殿下の告白、エルフィーナさんに定義を求められていましたよ。俺なら別のアプローチをします」


「どんなアプローチですか」


「言葉じゃなくて、強さで示します」


 レオンはカイを見た。


 十四歳の少年が、王太子を相手に本気だった。


「……応援します」


「ありがとうございます」


---


 その夜、ミレーユがレオンを呼んだ。


「レオン様」


「はい」


「今日のエルフィーナ様の顔、覚えていますか」


「困っている顔、でしたね」


「あれを見て、思ったことがあります」


「何ですか」


「エルフィーナ様は、もしかしたら少しずつ変わっていくのかもしれない」


「変わる、というのは」


「恋愛というものが何かを、少しずつ理解していくのかもしれない」ミレーユは窓の外を見た。「それは嬉しいことだと思います」


「ミレーユ様は、嬉しいんですか」


「はい」


「自分にとって不利になるかもしれないのに」


「エルフィーナ様が何かを理解していく。それ自体が嬉しいです」ミレーユは静かに笑った。「諦めてはいないですけどね」


「ええ」


「ただ、エルフィーナ様が幸せであることの方が、私にとっては大事だと気づきました」


 レオンは何も言わなかった。


 ミレーユは続けた。


「レオン様はどうですか」


「何がですか」


「エルフィーナ様が変わっていくことについて」


 レオンは少し間を置いた。


「……姉上が変わっていくのは、いいことだと思います」


「それだけですか」


「それだけです」


「本当に」


「……本当にです」


 ミレーユはレオンを見た。その目が少し笑っていた。


「そうですか」


「そうです」


 ミレーユは窓の外に視線を戻した。


 中庭から素振りの音が聞こえた。


 エルフィーナは今夜も稽古をしていた。


 しかし今日は、いつもより少し間が長かった。


 素振りとと素振りの間に、短い沈黙があった。


 考えているのだとレオンは思った。


 何を考えているかは、まだわからなかった。

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