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侯爵令嬢は恋を知らぬまま最強である 〜最強なのに、恋だけがわからない〜  作者: N


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第16話「二学期開始、あるいは学院が変わっていた」

 二学期が始まった。


 学院に戻ったのは夏休み明けの朝だった。


 正門をくぐった瞬間、レオンは何かが違うと感じた。


 視線だった。


 一学期の時とは違う種類の視線が集まっていた。一学期は「アルカディアの令嬢だ」という視線だった。今は「あの人たちだ」という視線だった。


 エルフィーナ、レオン、ミレーユ、カイ、そしてアロイスが並んで歩いていた。


 その組み合わせを見て、周囲がざわめいた。


「アロイス・クロイツェルがエルフィーナ様と一緒にいる」


「夏休み中、アルカディア家にいたらしい」


「平民の生徒も一緒にいる」


「大会でエルフィーナ様に負けて変わったと聞いた」


 アロイスはその視線を感じていた。


 しかし表情は変わらなかった。


「見られているな」


「そうですね」レオンが言った。


「構わない」


「変わりましたね、アロイス様」カイが言った。


「うるさい」


「褒めています」


「……知っている」


 アロイスは前を向いた。その背筋は相変わらず真っ直ぐだった。しかし一学期の時の張り詰めた硬さとは違っていた。


---


 朝のホームルームで、担任教官が言った。


「二学期から新しい授業が加わる。実践魔法演習と、複合戦術論だ」


 生徒たちがざわめいた。


「実践魔法演習は実際の戦闘を想定した魔法の使い方を学ぶ。複合戦術論は剣術と魔法を組み合わせた実戦理論だ。両方とも成績に反映される」


 レオンは隣のエルフィーナを見た。


 エルフィーナの目が輝いていた。


「姉上」


「面白そうだ」


「また何かやらかさないでください」


「やらかすとは何だ」


「魔法授業で中庭に穴を開けたことがありましたね」


「あれは加減が難しかっただけだ」


「……気をつけてください」


「わかっている」


 エルフィーナは前を向いた。


 全くわかっていない顔だった。


---


 最初の実践魔法演習は午後に行われた。


 担当はファウル教官だった。計測器が追加で三台用意されていた。前回の反省らしかった。


「本日は対人魔法の基礎を学ぶ。攻撃魔法、防御魔法、補助魔法の三種類を実際に使ってみること」


 生徒たちが頷いた。


 カイが隣のレオンに小声で言った。


「夏休みに特訓したから、これは自信があります」


「どのくらい伸びたと思いますか」


「エルフィーナさんに毎日見てもらいましたから、相当伸びたと思います」


「それは頼もしいですね」


 カイの番が来た。


 攻撃魔法を放った。


 精度が上がっていた。夏休み前より明らかに制御が安定していた。ファウルが目を細めた。


「……カイ・ヴェルナー、夏休みに何をしていた」


「稽古です」


「誰に習った」


「エルフィーナ様です」


 ファウルは何かを書き留めた。


「なるほど」


 それだけ言って次に進んだ。しかしその目が少し遠くなっていた。おそらくエルフィーナの番を警戒していた。


 エルフィーナの番が来た。


 攻撃魔法を放った。


 的が消えた。また。


 ファウルは眼鏡を外した。レンズを拭いた。もう一度かけた。


「……アルカディア令嬢」


「はい」


「夏休みに何か変わったか」


「老師の道場に通いました」


「武術の道場ですか」


「はい。体の使い方が変わりました。魔法の精度も上がったと思います」


「……上がった、というのは」


「先ほどの的、十分の一の力でした」


 ファウルは深呼吸をした。


「……的を残してください」


「次は残します」


 レオンは天井を見た。


 一学期と全く同じ展開だった。


---


 複合戦術論の最初の授業は翌日だった。


 担当教官は見慣れない顔だった。四十代、短髪、元軍人らしい体格だった。


「俺はバルディ・ロスト。元王国騎士団第一隊隊長だ。今学期から複合戦術論を担当する」


 生徒たちが緊張した。


「この授業では剣術と魔法を同時に使う技術を学ぶ。理論だけでなく実践を重視する。成績は実技七割、筆記三割だ」


 レオンは隣のエルフィーナを見た。


 エルフィーナは教官を観察していた。立ち方、重心、視線の動かし方。いつも通りだった。


「教官」エルフィーナが手を挙げた。


「何だ」


「剣術と魔法の複合を、体術と組み合わせることは想定していますか」


 バルディは少し間を置いた。


「……体術との複合か。珍しい質問だな」


「複合戦術として有効だと思います」


「理論上は有効だ。しかし実践できる人間は少ない」


「では授業の中で扱っていただけますか」


「お前はできるのか」


「少しは」


 バルディはエルフィーナを見た。


「名前は」


「エルフィーナ・フォン・アルカディアです」


 バルディの目が細くなった。


「……大会で王太子殿下と引き分けた令嬢か」


「はい」


「見せてみろ。授業の後で」


「はい」


 レオンは額に手を当てた。


 また始まった。


---


 授業の後、バルディの前でエルフィーナが動いた。


 剣術と魔法と体術を同時に展開した。


 バルディは五合で止まった。


「……参った」


 声は静かだった。しかし目が違っていた。グラハムと同じ目だった。本物を見た目だった。


「教官、よい稽古相手が増えました」エルフィーナが言った。


「俺が言いたいのはそこではない」


「では何ですか」


「お前の体術、どこで習得した」


「前世の記憶です」


 バルディはしばらく黙った。


「……そうか」


「先生の複合戦術は魔法の比重が高い。体術を加えれば間合いの幅が広がります」


「俺に指摘するか」


「有益な情報として共有しています」


 バルディは少し笑った。厳しい顔に笑みが浮かんだ。


「お前は面白い令嬢だな」


「よく言われます」


「俺も稽古をつけてほしいくらいだ」


「いつでも来てください」


「……本気か」


「本気です。強い相手は貴重です」


 バルディはしばらくエルフィーナを見た。


「授業の後、週に一度、特別指導として手合わせをしよう」


「喜んで」


 レオンはカイに小声で言った。


「また増えました」


「何がですか」


「姉上の稽古相手が」


「数えたことありますか」


「数えたくないです」


---


 夕食後、談話室にレオン、ミレーユ、カイが集まった。


 アロイスも来た。一学期の終わりから自然に来るようになっていたが、夏休みを経てさらに自然になっていた。


「二学期、早速変わりましたね」カイが言った。


「バルディ教官という新しい稽古相手が増えました」レオンが言った。


「エルフィーナさん、本当に稽古相手を集めますね」


「集めているつもりはないと思います」


「でも集まる」


「ええ」


 アロイスが言った。


「バルディ・ロストは元第一隊隊長だ。実力は本物だ」


「ご存知でしたか」


「クロイツェル家は王国騎士団と付き合いがある。名前は聞いていた」


「アロイス様、二学期はどうするつもりですか」レオンが聞いた。


「どうするとは」


「一学期とは随分変わっていますが、周囲への接し方など」


「……変えるつもりはない。ただ、以前のやり方が間違っていた部分は直す」


「具体的には」


「平民の生徒への態度だ」


 カイはアロイスを見た。


「俺のことですか」


「お前だけではない。全体的に、身分だけで判断するのをやめる」


「それは大きな変化ですね」


「変化と言うな。修正だ」


「修正でもすごいと思います」


 アロイスは少し黙った。


「……夏休みに色々考えた。カイ・ヴェルナーに交渉術を習った。エルフィーナの令嬢に何度も地面に沈められた。シグルト殿下が平民の少年を対等に扱うのを見た」


「それで変わったんですね」


「変わったのではない。修正した」


「わかりました、修正ですね」


 カイは笑った。アロイスは笑わなかったが、その顔は柔らかかった。


 ミレーユが言った。


「二学期も色々ありそうですね」


「ありそうです」レオンが言った。


「楽しみです」


「……ミレーユ様はポジティブですね」


「エルフィーナ様の傍にいると、何でも楽しくなります」


 レオンは窓の外を見た。


 中庭から素振りの音が聞こえた。


 エルフィーナは今夜も稽古をしていた。


---


 その夜、廊下でシグルトがレオンを呼んだ。


「レオン」


「殿下」


「今日の複合戦術論の授業、聞いた」


「早いですね」


「バルディが俺のところに報告に来た」


「教官が殿下に報告を」


「元第一隊隊長だ。王太子に報告するのは習慣らしい」


「なるほど」


「エルフィーナが五合で教官を仕留めたと聞いた」


「はい」


「夏休みで伸びたか」


「伸びました。道場の老師に毎日通いましたから」


 シグルトは少し黙った。


「俺も道場に行くべきだったかもしれない」


「殿下も相当稽古されていましたが」


「エルフィーナほどではなかっただろう」


「……それはそうかもしれません」


 シグルトは窓の外を見た。中庭の素振りの音が聞こえた。


「あの人は、どこまで強くなるつもりなのか」


「本人に聞いたことがあります」


「何と言っていた」


「強くなりたいから強くなる、と言っていました」


「上限がないということか」


「そうだと思います」


 シグルトはしばらく黙っていた。


「レオン」


「はい」


「俺は今学期、もう少し踏み込もうと思っている」


「踏み込む、というのは」


「エルフィーナへの気持ちをもう少し明確に伝えようと思っている」


 レオンは少し間を置いた。


「……伝わらない可能性が高いですよ」


「わかっている」


「友好的な態度として処理される可能性が」


「わかっている」


「それでも、ですか」


「それでも、だ」


 シグルトは静かに言った。


「一学期は様子を見た。夏休みで距離を縮めた。二学期は、もう少し前に出る」


「……覚悟を決めたんですね」


「最初から決めていた。ただ、今がそのタイミングだと思っている」


 レオンはシグルトの横顔を見た。


 本気だった。いつも本気だったが、今日は特に静かな本気だった。


「……わかりました。応援します」


「ありがとう」


「ただし姉上が気づかなくても、私のせいではありません」


「わかっている」


 シグルトは廊下の奥へ歩いていった。


 レオンは一人残った。


 素振りの音が続いていた。


 二学期が始まった。


 この学期で何が変わるのか、何が変わらないのか、レオンにはまだわからなかった。


 ただ一つだけ確かなことがあった。


 姉は今夜も素振りをしていて、それは何も変わっていなかった。

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