東雲綾乃VS榊美琴 ①
──そして、収録開始時刻。
「えー、おはようございます。本日はシーン109から321の収録を予定しています、宜しくお願いします」
音響監督の号令とともに、スタジオの空気が一変した。さっきまで和気あいあいとしていたベテラン勢も一瞬でプロの顔になる。今回から参加の麻耶ちゃん(アイドル声優)なんて、緊張で今にも泣いてしまいそうだ。……うん、守ってあげたい。推せる。
僕──橙華も、喉の奥がひりつく。今回は出番こそ少ないが、油断は禁物。たった一言の台詞で、数え切れないリテイク(撮り直し)を食らった記憶はまだ新しい──というか、つい先日。
──それから、各々の演技指導を終え、リハーサルが始まった。
マイクの前に立つのは、同じ事務所の先輩後輩コンビ。「終末アオハル」の正統派ヒロイン、朝霧紅葉役の東雲綾乃。そして、不思議ちゃん兼ヤンデレサイコパスという属性盛り盛りのボクっ娘サブヒロイン、星野千尋役の榊美琴。
僕が演じる男の《《娘》》サブヒロイン──佐伯比呂の出番は最後の方だ。今はブース内の長椅子で待機中。隣には主人公、藤原翔太を演じる妻夫木渡さんが座っているので、ちょっと照れる。この人、相変わらずいい匂い……。これがいわゆるイケメン臭?
ちなみに今回の収録は、物語中盤での紅葉と千尋の対決が肝だ。だから必然的に東雲と美琴の収録がメインとなる。……大丈夫か、今のこいつらで?
『──では、シーン109から112、通しのテストを始めます』
助監督さんの声で、モニターに未完成の白塗り映像が流れる。舞台は「真夜中の旧校舎」と、台本に書かれている。椅子に縛られる紅葉と、それを見下ろす千尋。不穏な沈黙を破り、東雲が台本を片手に、一瞬だけ僕の方を振り返り、モニターと向き合う。
『ふ、ふざけないで! あなた、一体どういうつもりなの!』
叩きつけるような悲鳴のような叫び。
対する美琴も、こちらをチラリと見てから──、
『キャハハ! いいよいいよ、その表情、君の醜い内面を表しているようで最高だね! でも朝霧紅葉、ボクは君を排除しなきゃいけないんだ。……あは、なんたる祝福、あああ、きも、きも、き、気持ちいいぃい──』
画面の中の千尋とシンクロするように、美琴の表情も歪む。目が完全にイッている。
『な、縄を解いて……。お願い、もう許して……』
東雲の演技も相変わらず凄い。だが、モニターの中の絶望感と比べ、その表情はどこか無機質。まだ本番前のテスト、エンジンを温めている状態か。
『──ダメだよ〜。君にはとびっきりのお仕置きが必要なんだからさ〜。ほら、見てよ。もうすぐ世界は終わり、みんな仲良く新世界へ羽ばたくんだ。ボクも、翔太も、ね。……あは、最高だと思わない? でもね、朝霧紅葉。君はダメ〜。君はここで終わりさ。たった一人きり、誰にも愛されず、孤独に腐っていくんだ。……ねえ、今どんな気分かな〜?』
くく、くくく……きゃは、きゃーっははははははははひはひぃひひゃははははははっ──!
……あ、ヤバい。原作以上の臨場感。
星野千尋というキャラが持つ底なしの闇が、榊美琴のお芝居によって何十倍にも膨れ上がっている。というか美琴さん、台本にはそこまで高笑いしろなんて書いてないが……。
『ひっ……、きゃあ!』
抗うあまり、モニターの中の紅葉が椅子ごと後ろにひっくり返った。すかさず、美琴演じる千尋が馬乗りになって覆いかぶさる。右手には、鋭利な鉈が握られている。
『ねえねえ、どうしてほしい? このままボクが一思いに首をかっ切ってあげようか……くくく、それともぉ、じっくり、四肢を切り落としてからにする?』
絶体絶命。
だが、隣に座る妻夫木さんは動かない。まだ主人公(翔太)の出番じゃない。ここは東雲……いや、朝霧紅葉の踏ん張りどころだ。
『このっ!』
仰向けに倒れた紅葉が、千尋の腹部へ起死回生の膝蹴り。両手は縛られているが、足の自由は死守していたらしい。こんな狂気なシーンでもパンチラというサービスカットは、もはやお約束らしい。
『あ、朝霧紅葉ぃいい……っ』
画面いっぱいに、千尋の憤怒が映し出される。演じる美琴さんも、それ以上にサイコな顔芸。
『千尋、あなたはとっても可哀想な人ね』
紅葉も、いつの間にか拘束を抜け出していた。メインヒロイン補正、恐るべし。掃除用モップを薙刀のように構え、千尋と対峙する。
演じる東雲も、邪悪な笑みを浮かべ、ノリノリで声を乗せていく。
『──死ねぇえ! 紅葉ぃいいいいいいいいいいっ!』
『さ、させないっ!』
二人のヒロインが激突したところで、シーンが切り替わった。
エフェクトもSE(効果音)もない未完成な映像なのに、凄まじい熱量だった。あまりの迫力に、出番を待つベテラン声優でさえ、「へぇ……次は俺の番? あいつらの後はやりづらいなぁ」と、ボヤいている。
主役の妻夫木さんも、苦笑いを浮かべながらマイク前へと立ち上がった。
そして。
嵐のようなリハを終えた東雲と美琴が、何食わぬ顔で戻ってきて──、同時にどすん! と僕の両隣を陣取る。
(……ぁ、ちょっと、それ勘弁してほしい……)




