声優の本懐。
──まず最初に断言しておく。
僕こと神坂登輝には、これといって特殊な癖というか、ずばり女装癖なんてものはない。
だから今現在、アパートの部屋。メイク道具一式を並べた鏡の前でおでこ全開にして、まっさらな肌にペタペタとスキンケアを施し、地味な奥二重に濃いめのアイメイクで飾り、薄い唇をリップで潤わせているのは──決して趣味趣向からではない。
艶やかなセミロングのウィッグをブローし、クローゼットもどきから選んだマキシ丈のキャミワンピに袖を通し、男特有のゴツゴツとした肩や喉仏をゆったりとしたタートルネックで上品に隠したあと、鏡の前でくるりと回ってニッコリと微笑むのは──自己顕示欲のためではなく、仕事上、このような格好をせざるを得ないからだ。
そう、これはあくまで《《仕事》》。
大事なことなので二度言った。決して僕がノリノリで女装してるわけではないことを、何卒ご理解していただきたい。
さて、あれからアニメの収録は順調に進み、本日は第三話のアフレコだ。
とはいえ、並居る女性声優を差し置いて、男の僕がヒロインの声を演じるという、極めて異質な状況の上に、収録の際、わざわざ女の格好をさせられること自体、意味不明だし、今日だって完璧に仕上げてから現場に向かわなくてはならない。
初日こそ、その道のプロである相葉さんの手腕で無理やり美少女に魔改造されたが、今では化粧から何からすべて自分一人。……我ながら順応力が高すぎだろ、と思わなくもない。
仕上げにバスクベレー帽を被り、
「うん……ま、こんなもんか、それじゃあ行くか────って、うおっ!?」
「……」
支度(女装)を終えて、悠々と玄関に向かうと、そこには特級呪霊さながらの禍々しいオーラを放った女──東雲綾乃がいた。
「……おはよう《《橙華》》さん。これから収録かしら。ぜひご一緒させてもらうわ」
「べ、別にいいけど……それより東雲センパイ。ドアには鍵を掛けていたはずなんだけど、どうやって中に入ったの?」
「もちろん合鍵よ。私たち友達だから当然でしょう?」
一見、微笑んでいるようだが、決して目が笑っていなく、ただ無機質に、キ◯ィちゃんのキーホルダーがついた鍵束をジャラジャラと鳴らす東雲。当然、コイツに合鍵など渡した記憶はなく、いっそストーカー規制法に則って、本気で訴えるべきか。
「では、橙華さん。参りましょう」
「はい……」
とはいえ、ここで逆ギレされては、論理的にも物理的にも勝ち目がないので、泣く泣く彼女の意に従う。
そもそも女装してまでヒロイン役を演じている今の僕には、東雲に対して妙な負い目がある。いわば痛み分けだ。……いや、後で合鍵だけはきっちり回収せねば、本気で我が家が事故物件になりかねない。そのままの意味で。
──そんなこんなで、最寄りの駅へと向かう。
ロング丈とはいえ、スカート姿で外を歩くのは相変わらず抵抗感がある。……というか、インナー(トランクス)がスウスウする。もっと厚手のタイツにするべきだったか。
ちなみに、隣にピタッと張り付く東雲は、先ほどのサイコパスな態度から一転、今はすこぶる機嫌が良いらしく、鼻歌まで口ずさんでいた。そこそこ付き合いは長いが、未だにコイツの挙動は解析不能だ。
駅の広場まで来ると、嫌でも人目が気になった。
特に東雲は目立つ。美人な上にモデル並みのスタイルだ(一部分を除く)。いかにも芸能人って感じ。まぁ、その破綻した性格は見た目からは判別できないし。
「……東雲、今日のコーデはフレンチガーリーだっけ? 案外カワイイ系も似合うんだな」
「案外は余計よ。それに貴方の口から気取ったファッション用語が出てくるなんて、本当に世も末ね。気持ち悪いから、さっさと私の視界から消えてちょうだい」
「おい、そもそも僕と一緒に行こうって言ったのは東雲だろ」
すると東雲は人混みの中、やれやれと肩をすくめて嘲笑する。
「冗談よ。軽いジョークも受け流せないようじゃ男にモテないわよ」
「別にモテたくないですけどっ!?」
「そう? だったら貴方も、少しは自分の身を案じることね」
そんな意味深な発言を残し、東雲はカツカツとピンヒールを鳴らしながら、一人駅のプラットフォームに向かって歩き出す。僕も慌てて改札口を潜る。
(は? 自分の身を案じる? 一体何のことだよ……)
今日の収録も例によって関係者各位の好奇の目に晒されながらも、どうにかこうにか無事に終わり、いざ帰りの支度をしているときだ。
「あの……橙華君。少々よろしいでしょうか? それと東雲さんも是非」
今まで現場で見たことがない気の弱そうなオジさん……いや、ここにいる時点で少なくとも番組関係者だろう。そんな彼はカードケースから二枚の名刺を取り出し、僕、そして後ろで背後霊のごとく佇んでいた東雲に手渡す。
「ええと、広報の方ですか……」
「そうなんですよ。是非ともお見知りおきを」
番組広報──鶴岡さんは、汗っかきなのか、やたらに広いおでこをハンカチで拭いながら言う。
「こちらこそ、よろしくお願いします。……それで僕たちに何の御用でしょうか?」
あくまで低姿勢で接する僕に対し、隣で腕を組んで鶴岡さんを威圧する東雲。こいつは一度、社会での礼儀についてしっかり学んだ方がいいと思う。
ともあれ鶴岡さんは若干腰を引きつつも話を続ける。
「いえね、いよいよ年明けに初回の放送がされる訳ですが、一度年内にアニメのPVを兼ねたネット配信番組を当社で企画していまして、それを君たちにパーソナリティとして参加していただきたく──」
「え? 僕と東雲にですか?」
「そうです。一応、事務所には了承を得てますので、後は君たちの返答次第ですが」
ネット限定とはいえ、これは売り出し中の声優として全国に顔を売る絶好のチャンスといえる。東雲に至っても、案外隣でウンウンと頷いてるし、となると、こちらとしては願ったり叶ったりなんだが……ひとつ問題が。たぶん彼も事情は知ってのことだと思う。
「あの……、一つ聞いても良いですか?」
「どうぞ、何なりと聞いてください」
「それって、僕はその……この格好(女装)で出演する、んですよね……?」
「もちろんです!」
あ、やっぱり……。
それと鶴岡さん、僕を見ながらそんなに鼻息を荒くしないで欲しいです……。




