腐ってやがります。
──「2.5次元俳優」、剣崎翔との逢引……いや、ファンサという名の密会から一週間。あれ以来、剣崎……いや、宇佐美健太からは音沙汰がない。
人気(かも知れない)女性アイドル声優、橙華の正体が、女装した底辺声優(♂)──神坂登輝であり、同郷の陰キャな元同級生だとバレたあの日。暴露の恐怖に怯え、あれから眠れぬ夜を過ごしたが……。今のところ平和だ。
……逆に、不気味すぎる。
かと言って、こちらから藪(宇佐美)を突く真似はしたくない。ってか、ぶっちゃけ金輪際二人きりで会いたくない。
──今度はデートしようぜ、《《神坂》》♡
脳内で再生される2.5次元の甘い低音ボイスに、ゾワゾワと悪寒が……いや、今は忘れるんだ。仕事、声優のお仕事に全集中だ。
ということで。
『──ふ、フィーナお嬢様、いけませんっ! 女の子同士で、そんなぁ……ぁんっ♡』
『ふふふ、さあエル、ほら遠慮しないでこちらにいらっしゃい。ああ、寒いわ、早く私を温めて』
『そ、そそ、それでは失礼して……プギャぁああああー! おおお、お嬢様、尻尾を掴まないでくだちゃいませぇええ──!』
来期アニメ『悪役令嬢に転生した私は──(以下略)』の第三話。
僕こと橙華は、初回の脱出劇から奇跡の生還を果たしたモブメイド(A)改め、猫耳獣人少女エル(いつの間にかレギュラーに昇格)を絶賛アフレコ中。基本、深夜枠のアニメなので、台詞内容は……その、だいぶアレだ。
……というか、こんな百合百合なシーン、原作にあったか?
ちなみに、主役のフィーナ役は、あの大人気声優、唯川雫さん。何の因果か彼女は、あの悪名高きアイドル声優、東雲綾乃の実姉……だったりするが。
「──えー、本日の収録は以上となります。皆さん、お疲れ様でした」
「お疲れ〜」「あー、終わったぁ」「ありがとうございました!」
時計の針は、すでに二十時を回っていた。
収録を終え、和気あいあいとスタジオを後にする声優たちの傍らで、メイクは薄く、黒髪ウィッグをシュシュで束ね、フェミニンながらも地味な色合いのワンピース姿で極力目立たず、現場の空気に徹していた僕は、頃合いを見計らい、会釈しつつも、さり気なく雑談する音響スタッフさんの間をすり抜け、このままフェードアウト──、
「橙華ちゃ~んっ!」
「ひっ!」
できなかった。
◇
夜の帳が下りた街を、二人並んで歩く。
「──橙華ちゃん、ハンバーグ好きかな? この先にね、すっごく美味しいお店があるの。一緒に食べよ」
「はひ、ハンバーグ……? あ、はい、ボク……。私も、好きです。あはは……」
僕の隣をてくてくと歩くのは唯川さん。
ギャルゲーのパッケージから飛び出してきたかのような、小柄で可憐な乙女。フリルスカートから覗く絶対領域は、三次元の奇跡といってもいい。
(……つうか、結局この人に捕まっちゃったんだよな、さっさと逃げれば良かった)
例の焼肉屋での一件以来、僕は彼女が密かに怖かった。
……何だろう、東雲の姉だからか? いや、それとは別の、もっと闇深い何かを感じる。
「──橙華ちゃん、スマホの電源は切ってくれたかな?」
「あ、はい、言われた通りに。……でも、どうして?」
「ふふふ、内緒♡」
はて?
というか、いちいち仕草が可愛いなこの人、リアルで「内緒♡」って、人差し指を唇にあててる女子、本当に実在するんだ。
完全にオタク心を刺激された僕は、ずり落ちた黒縁メガネを直しながら、コホンと一度咳払い。
ラブコメの男主人公になった気分……と言いたいが、実際には違う。むしろ今は、百合百合な展開を想像している自分がいた。
「──ねえねえ、お姉さんたち、これから俺らと飲みに行かない?」「そうそう、すぐそこにいい店があるからさ」
そんな妄想を遮ったのは、チャラそうな二人組。反射的に身構えた僕の隣で、つい先ほどまで天使の微笑みを浮かべていた唯川さんの口元が、どろりと歪んだ。
「あぁん……?」
底冷えする声。東雲姉妹の血脈を垣間見た瞬間だった。
「え、えーと、その……」「わ、悪い、俺らなんかが声かけて、さ」
そんな唯川さんの変貌に、二人組は揃いも揃って腰が引けている。ああ、気の毒に。
「ごめんなさい〜、私たち急いでるから」
得意な営業スマイルを浮かべてフォローしておく、同性としての情けだ。
すると、隣で腕を組む唯川さんの表情が、般若から一転して、今度は聖母のような慈愛に満ちたものへと変わる。
「あなたたち、女なんかを構ってないで、自分に正直になりなさい」
「へ?」
困惑する二人組。ちなみに僕も彼女が何言ってるのか分からない。
「そこのヘタレ君っ!」
「お、オレっすか?」
「そう、あなたは〝ヘタレ攻め〟よ、今後しっかりと技を磨くことで開花するから! それと、隣のワンコなボク、〝総受け〟としての責務を果たしなさい、ほら返事は?」
「は、はい……?」
「ん〜でも、リバもありかな?」
意気揚々と、未知の語呂をウィスパーボイスで熱弁する唯川さんを横目に、僕はボソッと、猫耳ボイスで呟く。
「……腐って、やがります」
と。




