VS2.5次元俳優 ②
◇
「──ええっと……。それで剣崎さ」
「橙華ちゃん、オレのことは『翔』って呼んでよ」
「はへ? あ、じゃあ……翔、くん?」
「おお、感激っ!」
「オレ、橙華ちゃんの声がマジで好きなんだよね」
「へ、へぇ、ホントにぃ? あ、はは、橙華、嬉しいなぁ……」
「お、今の声サイコーすぎ!」
正直、キツい。
翔くん──いや、宇佐美健太が苦手とするであろう、ギャル系ゆるふわ女子を偽装すれば、アイドル声優、橙華の理想と現実のギャップに戸惑い、あとは勝手に幻滅してくれる……。そう踏んでいたのだが、どうにも計画が狂い始めている。
(……くっ。にしても、恐るべし人気舞台俳優。一見アホのフリして、会話の主導権を完全に掌握してやがる。……このままじゃ本気で食われる、全年齢対象外、的に──)
引きつりそうな口角を無理やり橙華スマイルへと軌道修整させ、緊急アラートを警鐘し続ける脳内CPUを冷却するべく、果汁100%オレンジをズズズッとストローで吸い、今一度、戦況を見極めて──
「橙華ちゃんっ!」
「ぶほっ!?」
っておい、いきなり大声でガワの名を呼ぶな、びっくりして吹き出したじゃんか! という、本来あるべく激昂はぐっと堪えて。
「ご、ごめんなさい、今すぐテーブルを拭くね」
慌ててウィッグの毛先を耳にかけ、紙ナプキンを探る僕を、翔くん……じゃなかった宇佐美が制した。
「あ〜、おっけーおっけー。オレが拭くからさ」
マイハンカチを華麗に取り出し、テーブルに飛び散ったオレンジ色の飛沫を、それはそれは丁寧に、一滴残らず拭き取り。
「──でさ。本当は神坂に頼もうと思って、これ持ってきたんだけど」
ジュースの残り香(+α)がたっぷり染み込んだハンカチを、それこそ慎重に、推し美少女フィギュアを扱うかのごとくブランドカバンに収納した宇佐美は、ここぞとばかりに真っ白な色紙を取り出す。
「あの……もしかして、私のサインが欲しい、の?」
「そそ! オレ、橙華ちゃんのガチファンだからさ」
思いのほかマジなトーンで返され、少々照れくさい。というか、サイン会で一度渡したはずなのだが。
「……これでいいの、かな?」
「おお〜、マジでサンキュー! さっきのハンカチと一緒に家宝にするわ」
手頃なマジックを持ってなかったので、百均のボールペンで「とうか」って、適当に殴り書き……って、さっきのハンカチ、とは?
「──あとさ、ここにちょこっと『大好きな翔くんへ♡』って書いてもらえな、」
「あ、そういうのは事務所的にNGなんで♡」
◇
──結局、当初の計画は完全に破綻したので、こうなれば、早急にこの場から戦線離脱しようと、適当に相づちを打ちながら逃走のタイミングを計っていると。
「でさ、さっきの続きなんだけど……」
「はえ?」
不意に、宇佐美が姿勢を正した。先ほどまでのチャラい雰囲気とは違う。
……さっきまで何を話してたっけ? いつの間にか脳内のセーブデータがリセマラしている。
「橙華ちゃんは、神坂の知り合いなんだよね?」
「ふぇ? え、ええ。ええっとぉ。……友達、的な?」
「友達ね……そっか、ふうん」
宇佐美は何かを企むような、それでいて楽しげな含み笑いを浮かべ、じっくりと品定めするかのよう、僕を補完し。
「え、えと、その……」
グラスを持つ手元が、ストローを弄る指先が、嫌な熱を感じ、ガクガクと震えてきた。
ヤバい。あからさまに、動揺しすぎだ。
(……あ、でも待てよ。いっそのこと僕と橙華が付き合っている設定をぶち込めば、コイツも諦めてくれるんじゃ……?)
底辺声優と、ある意味、話題性抜群のアイドル声優。決して物理的に結ばれることのない禁断の恋。
(……って、バカなの!? これ以上話をややこしくしてどうする──)
「──ははっ。ホント、昔から変わんねぇよな、お前」
あまりの葛藤に、清楚もギャルもゆるふわも、全キャラが跡形もなく崩壊し、頭を抱えて悶絶する僕を、宇佐美はどこか物憂げで、まるでアオハルした少年みたいな微笑みで眺めていた。
──ん? 《《昔》》から……とは?
「しょ、翔くん……あの、さっきの──」
「あ、ごめん橙華ちゃん、オレ、これから舞台稽古があったわ」
聞き直そうとした瞬間、宇佐美は唐突に席を立った。
「え、え、ちょ──」
反射的に呼び止めようとした僕の言葉は、大きくしなやかな指先によって、優しく塞がれ。
「今度は、ゆっくりデートしようぜ──」
2.5次元俳優の、艷やかな低音ボイスが耳元で静かに囁かれる。
「じゃあな、《《神坂》》──お前のサイン、大事にするわ」
「……っ」
伝票をひらひらさせながら、スマートに立ち去る彼のたくましい背中を、いつまでも、果てしなく、憂いに満ちた、ある意味、作画崩壊した表情筋で見送る僕──橙華。死ぬ。
(──じゃねーよ!? 思い切り正体がバレてんじゃん!)




