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【新装版】オレンジボイス 〜女装してアイドル声優になった結果、周りが地雷だらけで詰んだ件〜  作者: 乙希々


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東雲姉妹の闇

「──あの、ここはわたしがご馳走するから、好きなだけ食べて……ね?」


 香ばしいお肉が焼ける匂いが、暴力的なまでに食欲をそそる、某高級焼肉店の個室。

 

 フレンチガーリーなワンピースに紙エプロンがミスマッチな彼女──唯川ゆいかわしずくさんは、煙が立ち上がる鉄板に手際よく霜降り肉を並べながら、慈愛に満ちた聖女の微笑を浮かべる。


「……ぁ、ハイ」


 対する僕(橙華)は、入店時から落ち着かず、挙動不審のまま女の子座りの姿勢を正し、小さく頷く。


 ……って、なんでこんな状況になっているの、かな?



 唯川雫。


 業界最大手『ミラクルスターボイス』に所属する、今をときめく大人気声優。


 無垢な少女から艶のある大人の女性まで演技の幅は広く、最近では少年誌原作のメインヒロインに抜擢。その人気はもはやアニオタだけでは留まらず、一般層にまで広がっていた。


 掛け持ちの収録やラジオのパーソナリティやらで、常に多忙を極める唯川雫にとって、スケジュールの空きなど奇跡に等しい。そんな彼女が今、僕の目の前でせっせと献身的に肉を焼いている。……なぜだ?


「──橙華ちゃん、急に誘っちゃって、本当にごめんなさい。迷惑だった、かな?」

「ふぇ? そ、そんなぁ! ボク……私こそ、こんな高級そうなお店でご馳走になっちゃって……その、何か生きててスミマセン──」


 恐れ多い。


 申し訳なさ気に両手を合わせる彼女の姿は、チュートリアルでTS勇者を導く女神そのもの。それに対峙する中の人(神坂登輝)にとっては、己の存在意義すら危うい、精神汚染級の高難易度イベントに挑んでいるかのような心境といえる。


「ううん……わたしこそ、橙華ちゃんとお話できて、本当に嬉しい、な」

「ええ、ええっと、そんなぁ……」


 ……うん、とてもじゃないが、某悪役令嬢の血縁者とは思えない。


「──ほらほら、お肉焼けたよ? さぁさぁ、遠慮しないで」


 と。思考回路が悟りの域に達している間に、高級牛肉は最高の焼き加減に仕上がっていた。せっかくの好意を無下にもできず、ウィッグの後ろ髪をシュシュで手早くまとめ、遠慮がちに箸を取る。


「じゃあ、いただきま……って、旨っ!」


 おいおい、これが噂に聞く、富裕層御用達の『◯々苑』かよ。以前、姉と行った九十分食べ放題とは次元が違う。……いや、あそこの豊富なサイドメニューも捨てがたいが、肉の柔らかさが段違い。ああ、もうコンビニの炭火カルビ弁当には戻れないかもしれない。


 そんな感動に浸っていると、正面から怪しい視線。唯川さんが頬杖をつき、口角を三日月形に吊り上げ、こちらを凝視している。……気のせいか、目が全然笑っていない。


 ……あれ、女神と思わせといて、まさかのラスボス系ヒロインだったりする?


「──橙華ちゃんって、本当にまんま女の子だね〜。素の声も、ひっく、すっごく可愛いなぁ〜」

「はひっ……? そ、そうです、か?」


 本日の収録で習得したばかりのメイドAボイスが裏返って我ながらキモい。ふと見れば、彼女の目の前には空ジョッキが二つ。肉には一切手をつけず、とろんと潤んだ大きな二重瞼が、迷わず僕だけをロックオンしている。


「うん。もしわたしが男の人だったら、絶対に放っておかないかも……?」

「ま、またまた、そんなぁ……」


 むしろ、全力で放っといてほしい。


「ふ、ふふ、ふふふふ──」


(……まずい。唯川さん、顔が真っ赤に萌え……じゃなくて燃えている。というか、酔ってる? まだ着席して十五分も経ってないはずだが)


 僕を誘った理由すらまだ聞けてないうちに、酔っ払われても。


「あの、唯川さん……」

「うへへ、ふふ♡」

「へ? ぁ、あの、ちょちょ、ちょっと──」


 ヤバっ、襲われる……? 


 と思った、刹那。


「……もしやと思って足を運んでみれば。本当に、救いようのないほど食えない女ね」

「!?」


 突如として背後から、空間を汚染するような禍々しい闇のオーラが湧き上がる。


 清楚ボイスを売りにする声優にあるまじき、地の底を這うような冷徹な音色。振り返れば、そこには鮮血のロングコートと漆黒のタイトミニを完璧に着こなし、不遜に腕を組んで仁王立ちする人物がいた。


「──ちょっと店員。特上カルビを三人前追加してちょうだい。それと、私の乾きを癒やすための赤ワインも」

「は、はい、かしこまりました……!」


 店員を顎で使い、もはやカスタマーハラスメントの根源すら超越したその人物は、ファッショングラスを指先で外すと、不機嫌そうに眉をひそめて、ピシャリと引き戸を閉めた。


 そのまま、泥酔状態の唯川さんをゴミでも避けるように僕から引き離し、畳の上に転がす。……あ、パンツが見え──じゃなくて!


「──おま、お前……なんでここに……」


 状況の変化に脳の処理能力が追いつかない僕は、しれっと唯川さんの席を奪い、優雅に箸を割る女──東雲しののめ綾乃あやのに向かって、どうにかこうにか言葉を絞り出した。


「質問の意図が分からないわ。私に聞くよりも、そこに転がっている肉塊に尋ねてみることね」


 鉄板で肉を焼きながら、当然の権利であるかのように大ライスを追加注文する東雲嬢。


「ゆ、唯川さん……はぁ、寝てるよ」


 こうなったら、僕も負けじと自分のテリトリーに肉を並べる。


「おい、東雲、いい加減、わけがわからんのだけど?」

「はふ、ふう、ええ、そうね。貞操観念がザルの貴方に慈悲の心で教えてあげるわ。この女は、壊滅的に腐り果てた嗜好を隠し持っているの。平たく言えば、オス同士のピュアな交尾にしか興味がない種族ね」

「は?」


 オス同士の交尾って……。あの、唯川雫さんが……? あっ、人が丹精込めて育てた高級ハラミを勝手に食ってんじゃねぇ。


「──で、その毒牙に掛けられたのが貴方ね。確か、剣崎けんざきしょう、とかいうオスだったかしら?」

「剣崎って……」


(……また、あいつか) 


「──あの女は、彼の、剣崎の信奉者よ」

「んな、唯川さんがマジで!? アイツうらやましすぎ──じゃなくて、今それ関係なくない?」


 ……まるで、話が見えてこない。


 東雲は赤ワインのグラスを、まるで毒見するかのように口元で転がした。


「まだ理解できないのかしら? 要するにあの女は、貴方と剣崎翔の間に、芳しい幻影を見ているわ」


「──え? もしや、あのネット記事のせい、か……」


 とんでもない誤解だ。


 それこそ剣崎──宇佐美が勝手に言ってるだけで。そもそも、そんな事実は微塵もない。


「ええ、そうね。でも元々従順なワンコ気質の貴方は、あの女の脳内創作意欲を刺激する絶好の玩具なの」


 玩具、だと? っていうか、ワンコって……僕は犬扱いか? 


「──ふふ、今後は自分の純潔を守るために、せいぜい用心することね」


 不敵な薄ら笑いを浮かべつつ、再び僕のパーソナルスペースから肉を奪い去る東雲。お前いい加減にしろよ。


「……ってか、そもそも東雲は何しに来たんだ? ああ、そうか、お前も唯川さんに呼ばれて──」

「不愉快だわ。私があの女の招きに応じると思っているの? 心外ね。潔く自害なさい」


 さっきから実の《《姉》》に向かって「あの女」呼ばわりとは……ちょっと酷くない?


 東雲綾乃と唯川雫さんが実の姉妹だと知ったのは最近だが、どうやら僕の想像以上に、この二人の闇は深いらしい。


(……姉妹と言っても、声優としてはライバルという感じか? ……いや、もっと根深い、決定的な確執が──)


「……じゃあ、どうして僕と唯川さんがこの店にいるって、わかったんだ?」

「そ、そんな些細な事情、どうでもいいじゃない……。ほら、貴方の肉が消し炭になろうとしているわ」

「あ、ヤバっ!」


 核心を巧みにはぐらかされ、慌てて高級肉を救出しようと、トングを伸ばした──その時。


「……くん」


 ブラウスの背中に、スカートの太ももに、絶対零度の悪寒が。


 見れば、畳の上で泥酔していたはずの彼女、唯川さんの、白く華奢な指先が──僕の足首を、強く、骨が軋むほどの握力で掴んでいた。


 ストッキング越しに食い込む鋭い爪の逃げ場を奪うその感触に、今まで感じたことのない恐怖が、戦慄が脊髄を撫でる。


「……綾ちゃん、わたしが欲しいのは、チケットなの」


 ウィスパーボイスながら、深淵の底から響くような、低く、鼓膜に直接こびりつく、まさに演技を超えたプロの声に、正面で優雅にワイングラスを傾けていた東雲の指が、あからさまに震える。


「──そう。彼を巡って狂い出す、紳士淑女たちの宴を特等席で眺めるためのチケット。ねえ、橙華ちゃん。次は、もっと……。もっともっと、壊れた、快楽に歪んだ表情を見せてね」


 唯川さんは、Jホラーな動きで僕の膝に這い上がると、怪しく、妖艶に。濡れた唇を僕の耳たぶに寄せ、熱い吐息をふぅ、と流し込んだ。


「……うふっ、きゃは!」


 直後、彼女はそのまま僕の膝に顔を埋めた。聞こえてくるのは、規則正しい女神の寝息。


 正面では、東雲が放送コード、一発アウトな形相で盛大に舌打ちを鳴らす。


(……やっぱり、今後この姉妹に関わると、声優人生どころか、人生そのものがバッドエンドルートに直行な気が──)

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