桃色の憤怒①
──そして、週明け。
結果あの後、外はザアザア降りの雨模様となり、人の目を忍んで東雲と相合い傘……というか、急ぎ近くのコンビニで購入した一本のビニール傘のマウントポジションを奪い合いながら、そのまま駅でケンカ別れをした次の日。
平穏な日常に溶け込むべく、昭和レトロなアパートの窓際で沈む夕日に黄昏れながら僕は、明日の収録に備え『オレの異世界転生が全然ハーレムじゃなかった件』の台本を、赤ペン片手に隅々までチェックを入れていた。
ときに、とある諸事情により、僕──橙華が演じるヒロイン、アニス(変態メイド)の声出しセリフ読みはNGだ。あらぬ誤解を招いて隣の住人に通報されかねない。
そんな中、コーヒーでも飲もうと電気ポットでお湯を沸かし始めた、その時だった。唐突に「ピンポーン♪」と、部屋のチャイムが鳴った。
誰だ?
一瞬、ストーカー気質の某悪役令嬢、ブラコン気質の姉君の顔がよぎったが、あいつらならインターホンなど鳴らさず不法侵入してくるはず。
僕は忍び足でドアに近づき、ドアスコープから外を覗き見る。
──よし、居留守だ。絶対に開けてはいけない。
なぜアパートを特定できたのか不明だが、とにかくこれは青少年保護条例に基づき、断固として拒否する案件である。
「ガンガンガンガン──《《橙華》》さん、居るのは分かっています。素直に開けてください」
ハッタリだ。音を立てなければ、そのうち諦めて帰るはず……。
「──電気メーターの針が留守の基準値を大幅に上回っています。在宅は明白です」
電気メーターだと? ……くっ、まずいな。想定以上に頭が切れる。凄腕の借金取りかよ。
「──速やかに開けないと、後悔しますよ?」
(む、無視だ。無視。そのうち帰る──)
「あ、お隣の方ですか? あ、はい、わたし、ここの住人、彼の恋人だったんですけど……ええ、そうです……う、う、う、弄ばれて──」
「──なっ、バァン! ちょい待て…………ぁ」
事実無根、冤罪に耐えきれずドアを開けると、そこには通学カバンを肩に掛けたセーラー服姿の少女が一人、あらゆる感情を無にし、まるで悪霊化した怨霊のごとく佇んでいた。
──それから、三十分後。
「──粗茶をどうぞ……」
「ありがとうございます」
あれから浴室で必死にメイクを施し、セミロングのウィッグを緊急装着、ニットブラウスとフレアスカートといった、例に漏れず文化系女子大生風の橙華へトランスフォームした僕は、ちゃぶ台の前でちょこんと女の子座りするJK(女子高生)──小倉ももと、正座(座布団なし)で向き合っていた。
「──わたしとしては、スッピン姿の橙華さんでも全然構いませんが」
「いや、そうはいかないから」
そもそもスッピンじゃなくて、普通に男のままだったんだが?
……というか、これはあくまでも保身。社会生活と、なけなしの尊厳を守るための甲冑だ。
同じ声優仲間とはいえ、あろうことか未成年を部屋に招き入れている事案。体裁を保つためにも、自分を「大人の女性」と偽らなければならない。全くもって意味不明だが。
「そ、それで、ももちゃん。今日は一体何の用かな?」
目の前でカフェオレをふうふうと啜っているJKアイドル声優に、恐る恐る尋ねてみる。
さっさと用件を吐かせ、一刻も早くお引き取り願わなければ。
「ふうふう〜、そうですね。まずは、これについての弁明を求めます」
「べ、弁明って……僕、いえ、私が一体何を……ええっ!?」
瞬間、一気に保身や社会的体裁から何まで、思考から一切吹き飛んだ。
未だに表情筋が欠落したJKが僕に突きつけてきた一枚の紙。それは高画質でプリントアウトされた《《とある》》写真。
つまり。
昨日のテーマパークで、あろうことかSNS放流されてしまった女装した僕──アイドル声優、橙華、及び某悪役令嬢的アイドル声優、東雲綾乃嬢が仲睦まじく(に、みえないこともない)、頬を寄せ合う……という、本来ならあり得ないシチェーション、ある意味、奇跡の一枚。
「え、ええっと……こ、これはですね。マリアナ海溝よりも、深い諸事情があって、その──」
「橙華さん」
「あ、はい……」
「これはわたしに対して、宣戦布告とみなします」
「いや、それはちょっと、根本的に論点が食い違う気が……」
「わたしは騙されました。てっきり橙華さんは、《《妻夫木》》さんに恋心を抱いているものだと」
「ごめん…………は?」
って、たった今、ももちゃんの口から聞き捨てならない言葉が発せられたような……?
「わたし、わたしは、橙華さん(♂)、妻夫木渡さん(♂)……尊いカップリングを、それはもう、陰ながら応援していました。……なのに酷い、酷すぎますっ!」
「ちょちょ、ちょっと何言ってんのか意味不明なんだけど!?」
身を乗り出し、ショートボブのパッツン前髪を振り乱しながら、僕の平たい胸をポカポカと──いや、ドカドカと連打するJK、ももちゃんを抑え込もうと、咄嗟にその小さな両肩を掴んだ。
──その刹那。
ガチャリ、と玄関の扉が、今まさにゆっくりと開き。
「ぁ──」
果たして、そこに立っていたのは──。
「………………。一体、そこで何をしているのかしら?」
(──もう、最悪だ……)




