恋する乙女心は難しい。
突然のコスプレやら知り合いとの鉢合わせやらで紆余曲折がありつつも、何やかんやで無事に終わった某大型アニメショップのイベントから次の日。
僕は朝から満員電車に揺られて、所属事務所──「ノエル声優プロダクション」に訪れていた。今後の仕事についての打ち合わせだ。
普段の業務連絡だったら電話やメールで簡単に済ませることが多いのだが、今回のように直接事務所に呼ばれるのは珍しい。現にこうやって足を運ぶのも年に数回程度だったりする。だからか、自然と身構えてしまう。
また仕事にかこつけて、あの腹黒メガネ……いや、柏木マネージャーに無理難題を押し付けられはしないかと。
「──ええっと……、所属声優の神坂です。今日は柏木マネージャーに呼ばれて来ました」
「神坂、様? ……ああ、例の……い、いえ、こちらにどうぞ」
ノエル声優プロダクション──通称「ノエルプロ」は、小さいながらも都内に三階建てのビルを構えている中堅どころの声優事務所だ。
その入り口には、こじんまりとした受付があり、僕が名乗りを上げると直ぐさま妙齢の女性社員さんの案内で、事務所の小さな会議室に通された。
「ど、どうぞこちらでお待ち下さい……ぷく」
と、あからさまに含み笑いをされながら……って、失礼じゃね? でもまぁ、理由は何となく想像がつくけど。
テーブルで一人パイプ椅子にもたれ掛かり、ボォーっと天井を眺めて待っていると、重そうな段ボールを両手に抱えた柏木さんが「やあ」と会議室に入って来た。荷物をドスンと床に置き、ふうと一息ついて僕の向かいに座る。
「──今日はわざわざ来てもらって悪いね。……おや、神坂君。今日はどうしたのかな? 外出時にスッピンというのは、あまりいただけないな」
「……いえ、今日は特に収録があるわけじゃないので」
「おっと、それもそうですね。素の神坂君を見たのは久しぶりだったから、つい。あはは──」
あはは、じゃねーよ。
ちなみに今の僕は、ファンデーションもチークも塗っていないし、アイシャドウやアイライナーといった目元の細工も一切していない。当然、リップもなし、黒髪ロングのウィッグも被っていなければ、ひらひらワンピースでもない。黒パーカーにデニムと至ってメンズの格好だ。……ってか、この腹黒メガネ、まさか女装姿の僕がデフォルトだと勘違いしてないだろうな?
「──それでですね、神坂君。君には今後、いくつかオーディションを受けてもらおうと思っています」
「あ、はい」
わざわざ事務所に呼ばれたからには、どんな無茶振りをさせられるかとヒヤヒヤしていたが、至ってまともな打ち合わせのようだ。
それこそ声優にとってのオーディションとは、収入源を確保するための生命線。現在、夏に収録を控えた「終末アオハル」を除けば、レギュラーは実質一本(変態メイド)のみ。ゲームアプリの吹き替えは単発だったし。
これは空白だらけのスケジュールを埋めるため……というか、今の貧乏生活を脱却するためにも、気合を入れてオーディションに挑まなければ。
「──じゃあ早速、テープオーディションの準備を……」
「いえ、その必要はありませんよ。直接スタジオオーディションに参加してください。これらはすべて、先方からのオファーです」
「へ?」
……マジかよ。しかも三作品。
つまり、音声データによる一次選考はすでに突破済みということか。「神坂登輝」名義で活動してた頃とは、まさに雲泥の差だ。
いつの間にかヌルゲーと化した状況に戸惑いつつ、目の前に並べられたテスト台本を手に取る。
『悪役令嬢に転生した私は、いつしか敵国の王子に見初められました。第二期』
(ライバルヒロイン ソフィア役)
『乙女ゲーでざまぁされる悪役令嬢に転生しましたが、なぜか攻略対象全員に愛されてます。第二期』
(ライバルヒロイン アニータ役)』
『悪役令嬢の私は、なぜか敵国の腹黒王子に溺愛されてます』
(メインヒロイン マルガリータ役)
──おい、まさかの悪役令嬢もの三連発。どれも知らないタイトルばかりだし……。これ、男性向けじゃなくて女性層ターゲットの恋愛異世界系か? 僕にとっては完全に未知の領域。──つまりだ、芝居の難易度が高いとかいうレベルじゃない。もはや普通にムリゲーだろ。
たとえサブ的なヒロインだろうと、少女マンガ的な(壁ドン?)恋する乙女心なんて、基本エロゲ脳の僕には……というか、どさくさに紛れて、《《メイン》》ヒロイン(主役)が混ざってるんだが。
「あ、あの……さ、さすがにこれは、男の僕じゃ役作りが困難──」
「何か問題でもありますか? そうそう、これが各々の要点をまとめた公式設定です。あと、この中に原作本が入っていますから、至急目を通しておいてください。おっと、もうこんな時間だ。では、私はこれで」
「ち、ちょっと、柏木さ──」
呼びとめる間もなく、胡散臭いエアプ黒幕のごとく去っていく柏木マネージャー。
で、あとに残されたのは、大判ラノベがぎっしり詰まった段ボールと、口をあんぐりと開けたノー女装のモブ男。
(……ってかこれ、アパートまで一人で運ぶの無理じゃね? )




