危険なサイン会。②
──集客力がある人気アイドル声優……かどうかは一旦置いといて、池袋の某大型アニメショップで開催されている、声優によるサイン&握手会は、正午をもって終了となる。
予定終了まであと一時間。こんな格好で耐えねばならんのか……いや、何を今さら。これも立派な声優としての仕事だ。
腹を括った僕は、地味な文系女子大生から、日本刀(妖刀ツクヨミ)を携えた女子高生へと完全換装を遂げた。どうせやるからと、白肌ファンデーションを濃いめに塗り、赤系アイシャドウで目元を鋭く作り込む。
短いセーラー服の裾から入る冷気に股間をスウスウさせながら、無表情な鉄仮面の女性スタッフを引き連れて会場へ戻ると──思いのほかえらいことになった。
僕が演じる『ヴァルキリーレコード』、略称「ゔぁるれこ」のヒロイン「八城雛月」は、公式の設定上、身長は一六六センチ、体重五二キロ。そして、貧乳。
図らずともそのスペックは、女装した僕──橙華の体型に限りなく近い。
つまり。
ファンからすれば「声が本人」で「ガワも本物」という、奇跡のシンクロが生じてしまったらしい。
僕は艷やかに、黒髪ロング(ウィッグ)をさらりと肩の後ろに流して。
「──あら貴方。いつまで軽々しく私の手を握ってるのかしら? さっさと失せなさい。Blu-rayBOXのお買い上げ、感謝するわ」
「──ツーショット撮影? くすっ、笑わせないで。余程ツクヨミ(木製)の錆になりたいようね。ええ、一枚だけよ。SNSへの投稿は一切禁じているわ(規約的に)」
「──貴方は今後、私の従者となる存在。今すぐ売り場に戻り、原作の最新刊を買ってきなさい。あら、購入済み? ならそれを出しなさい。その忌まわしき禁書(ラノベ本)に、魔術刻印(油性マジック)を施してあげる。床に這いつくばって感謝をしなさ……(っておい、マジで土下座しないで!)」
先ほどとは、比較にならない長蛇の列(男女比9:1)を前に、僕は雛月に成りきってファンサービスを叩き込む。若干、キャラが崩壊というか、厨二を発症した某東雲みたいになっている気もするが……まぁ、ご愛嬌ってことで。
──その結果、もはや自分がコスプレ──女装してるのも忘れて、しかもノリノリで、それこそあと数人で仕事終わり、というタイミングだった。
「ん? あれ……もしかして、神坂?」
「へ……」
最後尾に近い男性客の顔も見ず、例のごとく悪ノリで色紙にマジックを走らせていた僕は、突然放たれた自分の「真名」に思考が停止した。
思わず素に戻り、恐る恐る顔を上げると。
「なっ……い、いえ、貴方なんて、知らない……わ」
全力で目を逸らす。
一気に吹き出した脂汗が、せっかくの白肌ファンデをドロドロに溶かしていく。
(──って、ななな、何でコイツが、こんなところに居るんだよ!?)
僕の動揺を察したのか、相手は一瞬「ヤバッ」という表情を浮かべ、急にオドオドしだした。
「……あ、ええと、あの、す、すみません! 知り合いに似てたんでつい……でも、よくよく考えたらアイツ男だし……俺、なんて失礼なことを」
「そそ、そうね。分かれば……いいわ。ふフふ……」
よそを向いたまま、雛月のトーンを無理やり維持して、ボソボソと返すのが精一杯だった。
「でも、本当に似てるなー、そういえばアイツ、今頃何やってんだろ?」
「……本当に違います、から。……ゴニョゴニョ──」
話が噛み合わない、ちぐはぐなやり取りを続けていると、異変を察知した例の女性スタッフさんが「すみません。お時間ですので」と鋭く一喝。
長居するファンを剥がすための冷酷な声が、今の僕には天使の福音に聴こえる。さっきはウザがってスミマセン。
「あ、橙華ちゃん、ごめん! オレ、マジでこれからも君のことを推すから、頑張って!」
「う、うん。ありがとう、ございます……」
屈強なアスリートの彼女に、無理やり引き離されながらも、男はめげずにブンブン手を振っていた。抱えた買い物袋の隙間からは、あの高額なBlu-rayBOXが覗いているのが哀愁を誘う。
(……たしか、東京の大学に進学してたんだっけ? 別に仲も良くなかったし、流石にもう会うことはないと思うけど──)
一八〇センチを超えるモデル体型のチャラ男のくせに、根っからなアニオタ兼、声オタなこの男──宇佐美健太は、何を隠そう、僕の高校時代の同級生だった。




