佐伯比呂は真のヒロインです。
──閉校となった晴海ヶ丘高校。
かつての喧騒は記憶の底へと沈み、今はただ、ひんやりとした静寂と、褐色に濁った粉塵が舞う、寂れた廃墟と化していた。
「──ねぇ、翔太。今ひとり……かな。あの、隣に座ってもいい?」
「おう、構わないぞ。……で、佐伯。オレに何か用か?」
「用事がなきゃ……ダメ?」
「そ、そんなことはないぞ」
砂埃が積もった中庭のベンチ。
とうに賞味期限が切れた菓子パンを、味気なさそうに噛み締めていた藤原翔太の隣に、制服のプリーツスカートを揺らし、瑞々しい黒髪のショートボブをなびかせて──佐伯比呂がそっと腰を下ろす。
日本人形のように、白く儚げで、色素の薄い横顔が、悪戯っぽく翔太を覗き込む。
「ひゃうっ……あ、砂。目に入っちゃった」
「バカだな。こんな日にわざわざ外に出てくるなよ。教室でみんなと一緒にいれば良かったのにさ」
「それを言うなら、翔太だって。……そのパン、砂まみれじゃない」
「……はは、ちげえねぇや」
自嘲気味に笑う翔太に合わせるように、比呂は静かに灰色の空を仰いだ。雲は重く、陽光を遮る天蓋のように世界を覆っている。
「……それに、今、みんなの雰囲気、最悪だし」
「だよな……」
比呂の細い指先が、膝の上でギュッと拳を握りしめる。
「……でも、私思うの。これから私たちにどれだけの時間が残されてるか分からない。だから、明日も明後日も……。ううん、地球がなくなっちゃうその瞬間まで、私は精一杯生きていたい。だから、翔太に──」
言葉が途切れ、風の音が二人の間を遮る。
比呂は、はにかんだ笑顔を翔太に向けた。だが、その薄い笑みは、どこか儚く悲しげで。
そして、長いまつ毛の縁から、一雫の涙がこぼれ落ち──。
そのとき。翔太は何も言わなかった。
かけるべき言葉も、約束できる未来も、もう壊れて、どこにも残っていないから。
ただ、震える比呂の肩に、自分の体温を重ねるように、そっと体を寄せた。
時に、西暦二〇✕✕年。
地球の軌道上に数万規模の流星群が到来するまで、残り僅か──
【僕たちは終末の世界でアオハルする〜そして彼らは星になる〜】より抜粋
◇
「──うーん、比呂ちゃん……実にいい子だよな(男の娘だけど)」
「こういう健気な女子と付き合えれば幸せなんだろな(でも男の娘)」
「──となると、佐伯比呂の可憐さを声のお芝居で表現するには、やっぱり声質をワントーン高めにした方が……でもオーディションでは、ほぼ地声でお芝居したし……そこんとこ音響監督と要相談かな──」
平日の昼下がり。
短期間でスタジオオーディションを二本もこなすという荒療治に対し、結果的に両方とも合格という快挙を成し遂げた僕。
これで「終末アオハル」を含めると、今後三本も仕事が決まったわけだが、それはあくまでも予定であり、今のところ何一つ収録が始まってなく、他にバイトもしてなければ、現状、ただのニートと変わらない。
っていうか、ぶっちゃけ暇を持て余しているので、この機会にじっくり役作りに専念しようと、原作本を、今一度じっくり読み込んでいたところだ。
今回、僕が演じる予定の「佐伯比呂」は、メインヒロインの「朝霧紅葉」と違って、原作でも登場シーンはかなり限られてくる。
なので、比呂が発する数少ない台詞の一つ一つが、とても心に刻む名言となり、現に彼女? は、未だに幅広い層から根強い支持を受けている。
となると、そんな大人気「男の娘」キャラの声を演じることになった僕は、今更ながらプレッシャーがハンパないわけで。
まだ世間一般には、長編アニメ映画化が正式に告知されていないが、ここ近いうちにその情報がテレビやネットで全面的に公開されたら、たぶん原作ファンから大きな話題となるだろう。当然、キャラの中の人も注目されるわけで……。
うん、そのことについては、あまり深く考えないようにしよう。今も胃がキリキリ痛むし。
それよりも現状大事なのは、自分の演じるキャラの考察だ。
(──とはいえ、この比呂って、「ゔぁるれこ」の雛月よりもお芝居の難易度がハードモードなんじゃ……。ぶっちゃけ、何考えているか分からないし、特に終盤では──)
ピンポーン!
(……だ、だな。とにかく今は、比呂の台詞のすべて抜き出して、と。人物相関図からキャラ位置をじっくりと掘り下げて──)
「ピンポンピンポンピンポンピンポン──! 登輝くーん、今日はお花見だよー」
「ほら、さっさと用意しなさい」
──という感じで。
前触れもなしに、突然アパートの部屋にズカズカと乱入してきたのは、のんびりマイペースな我が姉君こと神坂三鈴。そして、なぜか連れたっての悪役令嬢的アイドル声優、東雲綾乃という、混ぜるな危険、人の都合なんてお構いなしの迷惑コンビ。
もう、何も驚くまい。
毎度毎度のことだし、流石にもう慣れた。こいつらに世間で言う一般常識は通じない。
というか、今は平日の真昼間だよね? 東雲はともかく、姉さん仕事は大丈夫?
「あー……。もう分かったから、ちょっとタンマ、すぐに支度をするから……うげっ!?」
──で、シャツとジーンズを持って風呂場の脱衣所に向かおうとすると、ジャージの首根っこを東雲に思い切り引っ張られた。
「ってか、何すんだよ!? これから服を着替えるから大人しく待っとけよ!」
「ふん、誰が貴方みたいなむさい男と花見なんか行くのよ。だからほら、さっさとメイクを済まして、私の《《女友達》》である橙華になりなさい」
「は?」
その設定、まだ続いてたんだ……。
「登輝くん、今日はお姉ちゃんチョイスの春服なんかどうかな?」
と言う姉さんは、いつの間にやら、ピンク柄のミニスカワンピースを僕に向けて不気味に微笑んでいたりする。
(──おい、お前ら、比呂のヒロイン力、ちょっとは見習えっ!)




